「(仮称)荒川区良好な生活環境の確保に関する条例」
区長からの2通目の返信とさらなる意見書
2008年10月19日
10月15日付け 区長からの書面
10月19日付け 区長宛のファックス
「(仮称)荒川区良好な生活環境の確保に関する条例」案に、野良猫に対する不適切な餌やりが含まれ、罰金や行政代執行の対象とされる、という憂うべき自体につき、9月21日と10月5日の2回にわたりお伝えしてきました。 平成20年10月15日 横倉 初江 様 荒川区長 西川 太一郎
連絡・問い合わせ先 平成20年10月19日 荒川区長 西川 太一郎殿 この度は、「荒川区良好な生活環境の確保に関する条例」に対する私の私見に書面でのご回答をいただき、ありがとうございました。 まず、飼い主のいない猫に関する問題については、「繁殖抑制と、糞やエサの適正管理など、動物愛護を踏まえた諸活動」こそが合法的解決であると認識されていることを再確認でき、安心いたしました。 飼い主のいない猫の避妊・去勢に対する助成金の交付は、上記の解決策の行政支援の一環として行っておられるわけですが、交付対象を構成員5名以上の登録団体に限っておられることについては、「飼い主のいない猫は手術の後も地域の中で生きていくことを考えますと、個人での取組よりも複数の住民グループによる取組の方が、地域の中で孤立することもなく、周囲の理解も得られやすいものと考えていることから設定」されたとのこと。確かに、命ある猫が相手である活動には休みはなく、一人で行うより複数で責任を分かち合う方が望ましいと思います。しかしながら、複数での活動になることを後押しするためにも助成の対象を5名以上の団体に絞るというのは、目的の取り違えになるのではないでしょうか。一年に3回出産する猫の繁殖抑止には待ったはありません。個人から団体へと活動の輪を広げていく支援は、別途行うべきであり、助成金については個人の活動にも交付されるよう、早急に要件緩和をお願いいたします。 先ほど引用した区長の弁、「個人での取組よりも複数の住民グループによる取組の方が、地域の中で孤立することもなく、周囲の理解も得られやすい」は、裏返せば、地域猫活動がいかに地域に認知されにくく、四面楚歌で孤立したものか、さらに、飼い主のいない猫がどれほど疎んじられているか、ということです。こうした根強い感情の中へ、条件付きであれ、えさやりを取り締まる条例を投げ込んだ時、どんな事態が起きるか、お考えになったことがありますか?「不適切な」「大量の」「常軌を逸した」「異常な」という条件はすっかりこぼれ落ち、『野良猫へのえさやり=犯罪』という誤解、曲解が蔓延し、都合良く使われ、動物愛護の精神は地に落ち、地域猫活動はますます孤立無援となってしまいます。 本条例案に対するマスコミの報道が誤解に満ちたものであったと、再三おっしゃっておられますが、マスコミをして誤解せしむる条例案である、と考えたとき、猫に対してマイナスの感情を持つ人々を多数含んだ一般住民に至っては、どのような結果になるかは明白ではないでしょうか。もっとも、マスコミは、この条例案が誤解された場合の警鐘を鳴らしていた、と私は解釈しておりますが。 つまり、問題は、条例が対象としているえさやりが何なのか、条例適用までの手順がどうなのか、ということではなく、えさやりという文言を含めること自体の危険性なのです。 条例案が取り締まろうとしている「不適切な」「大量の」「常軌を逸した」「異常な」えさやりは、一体どれ程の事例があるのでしょうか。おそらく、極めて少ない事例があまりに眼に余るために、大きな問題としてクローズアップされているのではないかと推察いたします。数少ない事例に対して、なぜ曲解、誤解のリスクを多分に孕んだ条例を作らなければならないのでしょうか。 「動物愛護の精神により行われる屋外の猫に対する諸活動は、個人であろうと団体であろうと、飼い主のいない猫が及ぼす問題を改善しようというものであり、環境を不良状態にする行為とは、全く逆の活動であることは明白です。」と述べておられますが、動物愛護の精神により行われる屋外の猫に対する諸活動は、あくまで今いる飼い主のいない猫が生きる手助けであり、将来に向かって飼い主のいない猫を増やさないことを第一の目的としています。猫が及ぼす問題の解決は、地域の中で人と共生するために必要なことですが、それは命の次に来る問題です。したがって、環境を不良状態にする行為も、そもそもの目的が命を助けるということであるならば、決して逆の行為ではないのです。ただ、やり方が誤っているだけなのです。その誤りを是正するのは、条例ではなく、人ではないでしょうか。 「荒川区としては、区の登録団体であるか否かに係わらず、そうした活動が阻害されるような状況は、改善されなければならないと考えます。」とおっしゃっておられますが、確かに結果を顧みない誤ったえさやりのお陰で、本来あるべき地域猫活動をされている人々までもが、批難の目に曝されることもあるでしょう。それはやりきれないことであり、或は一般の住民よりも強く取締を要望しているかもしれません。その気持は察して余り有ります。 どんな条件を並べても『えさやり』という言葉を条例の中に入れることは、お腹を空かしている猫に対して抱く痛みやいたわりの心、人として大切な心を、荒川区から、東京から、日本から奪っていくことにつながります。それほど、今の日本人は、自分のことしか考えられず、自分に不利益なものは排除するという貧しい心がはびこっているのではないでしょうか。 今回の条例の中から、飼い主のいない猫に対するえさやりの文言をすべて削除くださるよう、改めてお願いいたします。 |