2007/12/24

 Merry Christmas !!

気が付けば、今日はクリスマス・イブ。
都心では、イルミネーションの競演のようだが、高円寺の商店街にはクリスマス・ソングも流れず、今一つ盛り上がりに欠ける。
そういう我が事務所も、例年流す有線のクリスマス・ソングに飽きがきて、昨日まではジャズをかけていた。
クリスマス・ツリーを飾っても、ジングル・ベルを聞かなければ興も乗らないならば、せめて、今日・明日はクリスマス・ソングを、と今朝から事務所にはお馴染みの曲が流れている。

今年は、本当に追われ追われた一年だった。
このHPの更新も例年の半分ほどになってしまい、悔やまれる。
振り返って客観的に思うに、仕事の量は確かに5割増しというところだろうが、それにも増して、仕事が遅くなっているのだ。
一つことに時間が掛かるなら、これまで何より大切と豪語していた『無駄な時間』を削るしかない。このHPは、私のライフワークなのだから、こっちを削るようでは主客転倒だもん。

ロッキーママと分かれ、クーちゃんを迎えた2007年。
ゆっくり振り返ることもできないが、こうして、日々、息を切らして暮らすのも悪くはない、と思っている。分かれた命とは、いずれ会えると信じているし、ゆっくりするのは時間切れのない来世で良いではないか、と。

仕事納めの後は、自宅の大掃除に年末のお墓参り。
自宅のパソコンを息子に持ち出されてしまったので、これが本年最後の更新となってしまうと思います。

みなさん、今年一年、『猫三昧』を支えていただき、本当にありがとうございました。
来る2008年は、『猫三昧』スタート時の初心に立ち返り、コンテンツの充実を心掛けてまいります。
来年も引き続き、ご支援賜りますよう、心よりお願い申し上げます。
どうぞみなさま、楽しいクリスマスと良いお年をお迎えください。

2007/12/14 前回の更新から17日が経ってしまった。
日々やり残しの仕事が増える一方で、これは歳のせいか、と苦笑していたのだが、ここまで来ると笑い事ではない。
気ばかり急いて、体にも変調をきたしそうだ。
あれこれ書き連ねたいことはあるのだが、今日は、頂戴した一通のメールへの返信を書かせていただこうと思う。

こつぶさん、書いていただいたメールアドレスが途中だったようで、メールで返信ができませんでした。この場をお借りしてお返事さしあげます。読んでくださると良いのですが。

口内炎で痛がるトム君を目の前に、何も出来ずにいる時の気持ちがどんなものか、お察しいたします。口内炎は、猫にとって不治の病とも言われています。トム君は生まれつきだったようですが、猫エイズも陽性ですか?
私のところにも、口内炎のノラちゃんがやって来たことがあります。警戒心の強い子で、触ることが出来ず、一度もお医者様に連れて行くことができなかったのですが、デカドロンという副腎皮質ホルモン系の薬をいただいてきては、ご飯に混ぜてあげていました。痛みには周期があるようで、良くなれば食べることができたのですが、悪くなると唾液さえもしみるのか、食べ物を見ただけで飛び上がる程痛がっていました。
口内炎の子は、痛みのせいで、食べることを苦にするようになり、次第に体力を失っていくようですが、我が家に来た子は、頑張って食べてくれていました。体力維持のために注射をしてあげることもできませんでしたから、ドライフード、缶詰の他に、猫の赤ちゃん用のミルクをあげていました。
こつぶさんは、お医者様とご相談されておられると思いますが、ご心配でしたら一度セカンド・オピニオンを求められたらいかがでしょうか。

もし、このコラムを読んでおられる方で、口内炎についてご存知の方、ご経験のある方がおられましたら、どうぞ、猫談義にご投稿ください。
どうぞよろしくお願いいたします。

2007/11/27 4月下旬頃から事務所の南側のルーフバルコニーにやって来るようになったズレータは、
開け放してあるドアから事務所に入り、おやつをねだるようになった。
最初は、大好きなシーバのカリカリで大満足していたのだが、それも飽きてきたのか、いつしか猫缶を出すまで粘るようになった。
事務所内にいる時間も次第に長くなり、客席からキッチンに至るまで探検しては、自分のエリアを広げてきた。
足音を立てない猫だから、振り向き様に鉢合わせをして、こちらがビックリ仰天することもしばしば。
ズレータのお気に入りの場所は、私のパソコンデスクの左側に置いてあるテーブルの下で、そこで横になるようにもなった。
それなら、と段ボールにタオルを敷いて置いておくと、用心しながらも入り込み、なかなか具合が良いと分かると、肩の力を抜いて、眼をつむった。
この1週間、急に寒くなった。
さすがに、バルコニーから事務所に入るドアを開け放してはおけない。
ズレータは、私のライティングデスクの前の窓から中を覗き込み、一声大きな声でなく。
その鶴の一声で、ドアは開けられ、ズレータは王様のように登場する。
そして、お決まりの缶詰。
ズレータが食べている間に、ドアは音もなく閉められた。
木枯らしをまともに受けては、こちらがかなわない。
いくら静かにドアを閉めようと、ズレータは即座に気付いた。
慌ててドアに掛けより、異様な声で泣き続ける。
動物病院に連れていくためにキャリーに入れた時の声と同じだ。
慣れ親しんだ事務所も、退路を断たれたとなっては状況が一変する。
翌日、ズレータは、ドアを開けてあげても中に入らず終い。
以来、ズレータの事務所訪問は途絶えてしまった。
再びズレータがやって来るのは、春風に向けてドアを開け放つようになってからなのだろうか。
2007/11/18 先住猫11匹の性分を見抜き、甘える相手、遊ぶ相手、警戒不要な相手、要注意な相手、と4種に区分して、的確に対処してきた賢いクーちゃんだったが、この2晩、居間の椅子の後ろの、幅10cmの隙間で夜を明かしている。
それまでのクーちゃんのベッドは、まだまだ小さい体には不釣り合いの、一番大きな皮のリクライニング・シートだったのに。
原因は、宮沢さんとコエリちゃん。
コエリちゃんは、もともと要注意にランクされていたから、コエリちゃん一人なら瞬時に逃げきっただろう。
だが、宮沢さんは、警戒不要に分類されていた。
その宮沢さんが、クーちゃんが横になったリクライニング・シートに仁王立ちになって、クーちゃんを攻撃した。
クーちゃんにとっては、晴天の霹靂。
宮沢さんの横にはコエリちゃんが控えていた。
堪らず逃げ出したクーちゃんにとって、猫パンチの痛さより、読み違いのショックの方が大きかったのではないだろうか。
なぜ、宮沢さんが、急に???
答は、すぐに判明した。
それまで、特段仲が良かったわけでもないのに、コエリちゃんが一日中、宮沢さんの傍を離れず、折りあるごとに、優しく舐めてあげている。
宮沢さんは、まんまとコエリちゃんに懐柔させてしまったのだ。
コエリちゃんとしては、自分の実のきょうだいであり、子分でもあったレオナとシマが、クーちゃんと楽し気に駆け回る様を苦々しく思い、我慢ならなくなったのだろう。
味方につけるとしたら?と思案した揚げ句に選んだのが、ポリシーがなく、乗りやすい宮沢さん。
この選択は正しかった。
やれやれ……

昨晩は、おばあちゃんと添い寝している宮沢さんを、おばあちゃんの部屋に綴じ込め、コエリちゃんを2階に追いやって、居間のドアを閉めた。
椅子の後ろで小さくなっているクーちゃんに、もう大丈夫だから出ておいで、と声を掛けると、まるで言葉がわかるかのように、椅子の背を這い上がってきた。
そして、一直線、トンちゃんの傍で丸くなった。
窮地に立たされたクーちゃんを守ってやれない、ふがいないトンちゃんだが、クーちゃんにとっては、一番信頼のおける相手なのだろう。
やれやれ……

2007/11/9 会社の外猫さんの朝ご飯は、水の取替えから始まる。
犬用のフードディッシュを水入れに使っているのだが、それを持ち上げようと屈むと、脇に小振りのネズミが横たわっていた。
誰が仕留めたのか、みんなの顔を順にながめると、みんながみんな、自分です!と言っている。
偉かったねえ、ありがとね、と全員に声を掛ける。
目立った傷もないまま事切れているネズミは、愛らしくもあり、駆除しなければならない運命が不憫に思えるほどだ。
新聞紙に移したネズミに手を合わせ、今度はネズミじゃなく生まれておいでね、と声を掛けながら、新聞紙を閉じる。
何に生まれてくればいいのだろう、やはり生まれない方がいいのか。
外猫さん5匹が食事を終え、駐輪場のそこここで身繕いをしている姿を見ながら、給水塔の裏側に回り込むと、もう一匹ネズミが転がっていた。
新しい新聞紙を持って傍に寄ると、何とその隣にもう一匹、3メートルほど向こうの隅にさらに一匹。
一度に4匹のネズミを取ったことになる。
どこかでネズミが大発生しているのだろうか。
毎日仕留めるようなら『本日のお手柄』と題した表を作り、町内会の掲示板に貼ってあげたいくらいだ。
このところ、ネズミ取りのテレビCMが目立つ。
そろそろ猫の存在価値を見直してくれてもよさそうなものだが。
2007/11/1 「クーちゃん、どうしてる?」
クーちゃんがやって来てから、「おはよう」や「ただいま」の代わりになっていたこの言葉も、最近はめっきり使用頻度が少なくなった。
それだけ、クーちゃんが我が家に馴染んだということだ。
遊び相手も、トンちゃんの他に、ゴンちゃん、レオナと増え、エンドレスに見えた体力も、毎日、底をつく程に駆け回り、体に不釣り合いな大きな椅子を占領して爆睡している。
本当に手のかからない子だ。
トイレも教えないまま、迷わずトイレに入り、堂々と用を足し、粗相の一回もない。
ご飯も選り好みこそするが、気に入った猫缶は、最後の一かけらまでしっかりと食べ切る。
猫パンチの『かわいがり』にも、いじけることなく、しっかりと空気を読みながら、先住猫に接したり、離れたり。
家の中に入れた当初は、外のログハウスを見て泣いたものだが、今では、家の中を自分の唯一の空間として受入れたようだ。
こんな逞しい仔猫を前に、適応を迫られているのは、先住11匹の方かもしれない。

猫の世界にもイジメはある。
らーちゃんがやって来たときなど、それは陰湿で酷いものだった。
らーちゃんがトイレに入ろうとすると、トイレの前で数匹が通せんぼする。
2階に行こうとすれば階段のところ、隣の部屋に行こうとすればドアの前、と行く先々を塞いだ。
面と向っての猫パンチ、すれ違い様の一撃……
決して逆らわなかったらーちゃんの体は、野良時代の数倍のカサブタで、でこぼこになった。
見ていられない程、不憫だったが、らーちゃんはいじけなかった。
怯えはしたが、いじけはしなかった。
今では、多くの猫に慕われ、いつも誰かを抱いて眠り、私の膝で甘え、おとうさんに鰹節をねだり……人も羨むような時間を送っている。
一体何が新入りの猫たちの不安定さを支えるのだろうか。
それは、やはり自分に対するプライドのような気がする。
プライドがあろうがなかろうが、怖いものは怖い。
だが、プライドがあれば、いじけはしない。
人は、安っぽい見せかけのプライドを身に纏うことは上手だが、自分が自分であること、あり続けることの本当のプライドを見失っているのではないか。
クーちゃんの小さな体の中の誇り高い熱い血は、私に多くを語り続ける。
2007/10/27 クーちゃんが家の中で暮らすようになって10日。
生活空間はまだ1階だけだが、それでも、小さな体には巨大な空間なのだろう。
日々、探検に余念がない。
まず床面の全体像を掴み、目下、縦方向に探索を進めている。

ふすま紙、障子紙の、ちょこっとめくれた端っこを引っ張ると、ビリビリと愉快な音を立てて、破けるの。
キャハハッ……面白〜い!
和室の神棚の上には、お洗米がのっているのを発見。
これを一粒ずつくわえて、飛ばすとパチンパチンって音がするの。止められない!
洗面台の上に乗ったら、いい臭いの石けんが置いてあった。
でもね、触ってみたら、ぬるぬるする。
キャッ、気持ちわる〜。
思いっきり手を振ったら、石けん箱ごとすっ飛んだ。
スゴい音がして、ビックリしたよ〜。

と、毎日、小さないたずらの痕が、そこここに残る。

クーちゃんの日課は、探検だけではない。
11匹もいる兄さん、姉さんの人柄(猫柄)を知ることも大事な仕事だ。

象さんみたいに大っきなぬーちゃん、はじめは怖かったけど、傍に寄っても怒らないみたい。
一緒に寝たいけど、ぬーちゃんはいつもトンちゃんを抱っこしてる。
あたし、トンちゃんとぬーちゃんの間で寝たいの。
そっと忍び込むんだけど、トンちゃんに蹴っ飛ばされる。
だから、端っこで我慢、我慢。
トンちゃんは最高の遊び相手だけど、面倒見が悪いのよね。
きっと精神年令があたしと一緒なんだわ。
モナコちゃんとシマは、あたしのこと、嫌いじゃないみたいだけど、やたら追い掛けて来るのよ。
遊ぼうとしてるのは判るけど、追い掛けられると逃げるしかないじゃない。
レオナちゃんは、あたしと同じ毛色で、本当のお姉さんみたい。
あたしが独り遊びしてると、傍でじっと見てるの。
あたしが遊び上手なのに、きっと感心してるんだわ。
ほとんどのお兄ちゃん、お姉ちゃんとは、何とかやって行けそう。
問題は、コエリちゃん。
コエリちゃんは、あたしのこと、大嫌いなんだと思う。
あたしがトイレしてる時に、トイレの縁に乗っかって、パンチするんだもん。
あたし、トイレの中でうずくまっちゃうの。
おばあちゃんは、あたしがいじけちゃうって心配するけど、あたし、そんなに弱虫じゃないもん。
昨日は、トンちゃんが、コエリちゃんにパンチして、仕返ししてくれたの。
あたし、独りじゃないんだって思ったら、ますます勇気が出てきた。

クーちゃんは、先住11匹のいる決して大きくはない家に閉じ込められたが、11匹の2倍食べ、10倍跳ね回って、居心地の悪かった空間を自分のものにしようとしている。

2007/10/21 火曜、水曜と連休を取った。
2日続けて家に居られるこの機会を逃してはならじ、とクーちゃんを室内に入れた。
もちろん夜も室内で過ごす。
完全室内飼いのスタートだ。
しばらく予行演習をしたこともあって、先住猫もクーちゃん自身も大きなショックはなさそうだ。
唯一心配なのがこえりちゃん。
クーちゃんを見ては『シャーッ!』と威嚇し、猫パンチを繰り出す。
対するクーちゃんは……これが何とも拍子抜け。
逃げ出すでもなければ、身を縮めるでもない。
パンチが当たらない程度に身を引いて、そこで横座りしている。
何とも太っ腹なのだ。
こえりちゃんは、クーちゃんが怖いのだろう。
クーちゃんの格好の遊び相手は、トンちゃんだが、レオナもシマも直に遊び仲間になるだろう。
モナコは、最初からクーちゃんが気に入っているらしいのだが、遊ばせ方を心得ていない。
遊びを誘うときは、逃げてみせて、相手に追い掛けさせるのがコツなのだが、モナコは自分からクーちゃんに向って走ってしまうから、クーちゃんは逃げ出してしまう。
モナコには、遊びの天才、トンちゃんを観察して、学習してもらわなければならない。

水曜日には病院で健康診断とワクチン接種をしていただいた。
体重1.6キロ。健康状態良好。
6月の半ばから末までに生まれたのだろうとのことで、お誕生日を6月30日にした。

無事に火曜、水曜を過ごし、安心して出勤した木曜日。
帰宅すると、クーちゃんは外に脱走していた。
逃走経路は以前と同じ。ラティスと網戸の間を抜けたのだ。
ログハウスを覗くと、保護色のようなグレーの毛布の上にちょこんと座っていた。
近づいても逃げる様子はなく、すぐに私の手の中に収まった。
迎えに来てくれるのを待っていたのだろう。
翌朝も、一遊び終えると、ちゃっかり脱走。
出勤前だったので、また連れ戻した。
こんなことが習慣になってはいけない。
ラティスを二重にして、脱走口の隙間をふさいだ。
思い掛けないこちらの逆襲に、クーちゃんは戸惑い、隙間という隙間を覗き込むが、自分の大きさを心得ていると見えて、無理に体をねじ込むことはしない。
窓越しに、一月半過ごしたログハウスを見て、「キュー」と小さく泣いた。

2007/10/13 チビたんは、クーちゃんに改名された。
仔猫の代名詞のような名前から固有名詞への変化は、これから、ずっと一緒、という契りのようなものだ。
少なくともこちらにとっては……
そんな大事な名前だが、由来は至ってシンプルだ。
9月に来たからクーちゃん。
でも響きはいいし、ジュースのように Qoo という字を当てても可愛いし、気に入っている。
当のクーちゃんは、近頃、朝食時と夕食時の2回、ウッドデッキの中で先住猫と遊んでいる。
とは言っても、まずは1対1から。
一番精神年令が近いと思われるトンちゃんが目下の遊び相手だ。
案の定、2匹の相性は上々だ。
だが、30分も経つと体力の差が歴然と現れる。
方や遊び盛りの4ヶ月(推定)、方や7歳半の中年とあっては、仕方がない。
頃合いを見計らい、クーちゃんをログハウスに戻すと、トンちゃんは倒れ込むようにクッションに横になり、眼を閉じた。
一方のクーちゃんは、夜中もログハウスの中で一遊びすると見える。
毎朝、キャットベッドに敷いた毛足の長いブランケットが脇に押しやられ、山のようになっている。
ちゃんと敷き直そうと、ブランケットを取り出した私の目は、一点に釘付けになった。
超小型のミステリー・サークルのような丸。周囲は茶色く汚れ、丸のど真ん中には一房の突起ができている。
クーちゃんの大事な大事なおっぱいなのだ。お母さんの温かさを思いながら、夜な夜な吸っているのだろう。
回りの茶色は、泥の付いた手で押した痕。
胸が詰った。
不憫だった。愛おしかった。
気丈に振る舞う陰で、独り寝の寂しさを紛らす毛布の一房……。

どういう経緯で親兄弟と別れたのか知る由もないが、こんな幼子が恨み言を言うでもなく、懸命に生きている。
人は、いつから言い訳を始めたのだろう。
私は、眼の前に座る15センチほどの仔猫を前にして、自分が情けないほど小さく小さく感じられた。
2007/10/7 忙しさに文字通り心を亡くして2週間。
前向きな忙しさなら歓迎だが、非生産的な後ろ向きの雑事に負われると、身も心も消耗しきってしまう。
何もかも忘れさせてくれるのは、ログハウスで暮らすようになったチビたんと猫じゃらしで遊ぶ時くらいだろうか。

10日ほど前に、居間の掃き出し窓を大きめに開けて、こちらから猫じゃらしで室内に誘った。
猫じゃらしには両手を目一杯広げてじゃれつくものの、しばらくは敷居をまたぐことはなかった。
だが、根気よく続けていると、ついつい夢中になったチビたんは、敷居を越えて猫じゃらしを追い掛けるようになった。
決しては長居はしないチビたんだったが、頃合いを見計って背中を抑え、窓を閉めた。
ふむ、案外と簡単だったなあ……
だが、閉じ込められたチビたんの口からは聞いたこともない音がもれた。
パチン、プチン……不思議な破裂音だ。
それに続いて、サイレンのような抑揚の切ない鳴き声。
背伸びして、閉まったガラスの向こうの暗い夜を掴もうとする幼い後ろ姿に、思わず、窓を開けそうになる。
いかん、いかん、室内で暮らせる猫に育てなければ……

先住猫の反応も予測不可だったので、その夜は、ケージに入れることにした。
チビたんの破裂音もサイレンも止まったが、その晩、目覚めるたびに、おチビの大きく見開かれた両目の、強い視線に射すくめられた。
翌朝、ウッドデッキで先住猫と追いかけっこを始めたが、これが遊びなのか、真剣勝負なのか、判断がつかない。
おばあちゃんが見ていてくれるから、まあ心配ないだろう。

まんじりともせず、何も口にしなかったおチビのこと、慣れれば、ぐっすり眠っているに違いない。
楽しみに帰宅したが、チビたんが寝ている場所は、なんとウッドデッキの8割を囲むラティスの外側、ログハウスの前だった。
ラティスと掃き出し窓の間から脱走したという。
なるほど、緩んだ網戸の網を押せば、3ヶ月の仔猫が抜け出る隙間ができるのだ。
やれやれ……
チビたんにすれば、悪夢のような半日。
懲りて、どこかに身を隠しても仕方ないところだ。
こうして目の前で寝てくれているだけでも、良しとしなければならない。

新規蒔き直し。
帰宅し、家の用事を済ませた10時頃から、おチビとの遊び時間が始まる。
オモチャは相変わらず猫じゃらしだが、チビたんと私の間にガラス窓はない。
私がログハウスの前に陣取っているのだ。
夕べは、ちょっとした隙に抱き上げた。
シャーッと威嚇していたが、頬ずりをすると体の力が抜けた。
焦らずにふたりの距離を縮めていこう。
2007/9/23 小さな命は、どうしてこうもワクワクさせてくれるのだろうか。
ベビー用のフードを買いに行くときも、知らず知らずに笑みがこぼれるし、小さな器に盛ったドライフードの小さな小さな粒を見て、また胸がキュンとなる。
ドライフードより仔猫缶の方を好む小さな食客は、ドライフードを完食しいたことはないが、それでも半分位は食べてくれる。
それも皿のど真ん中を食べるから、残ったフードはドーナツのようになっていて、これもまた笑える。
一週間前から、仔猫のご飯はログハウス1カ所に置くことになった。
今は亡きロッキーママのキャット・ベッドの一つをハウスに運んだ。
ロッキーママの天昇と入れ替わるように突然現れた仔猫だけに、この出会いには人知の及ばぬ縁を感じる。
ロッキーママのベッドを仔猫に差し出しても、ママは許してくれるだろう。
最初の数日は、ベッドに入れたタオルには足跡一つ付いていなかった。
一体どこで寝ているのか……
3日前、空いた皿を取りにいった時のこと、何と、ベッドの中のタオルは山のように丸まっていて、その下のクッションもベッドからはみ出していた。
やったー!仔猫ちゃん、ここで思いっきり遊んだのだ。
以来、ハウスの前で長々と寝る姿、反対側の散水栓の当たりで一人遊びをする姿を目撃。
薄いグレーのシマシマで、長い尻尾がカクカクと折れている。
我が家の猫たち4、5匹が並んでじっと見ている方向には、必ず仔猫がいる。
居間の掃き出し窓に手を掛けるようにもなった。
人と視線が会うと、一足飛びに物置の下に隠れてしまうが、ガラス戸を仔猫分だけ開けておけば、自分から入ってくるかもしれない。
neco家の11匹の内、仔猫に一番ご執心なのはモナコちゃん。
仔猫が家の中に入ってきたら、ずっと傍を離れないことだろう。
家の中は気になるが、でもやっぱり怖い……仔猫ちゃんの小さな胸の内の綱引きを、そっと見守るのも、また楽しい。
2007/9/14

長野は戸隠に一泊で出掛けた。
旦那さまの実家がここにある。
私も結婚当初1年半を過ごした地だ。
一泊がせいぜいの身、このところ足が遠のいていた。
戸隠に至る道は亀裂や修繕の痕が目立ち、時の経過を思い知らされる。
だが、唐松林を抱く空気も、
切り立った屏風のような戸隠山の風情も変わりなくそこにあった。
戸隠には九頭竜神が祀られている。
ふと見上げると、龍を思わせる雲がこちらを見ている。
長い無沙汰を咎めるでもなく、いつでも来いと言っているようだった。



今回は、お父さんが一人、留守番役となった。
人一倍怖がり、寂しがりのお父さんには、猫たちが頼みの綱だ。
かいがいしくニャンコ・トイレの掃除や、ご飯をあげた跡が見てとれる。
当てにしていなかった、外の仔猫のご飯まで、きちんと取り替えていた。
この日、東京は降ったり止んだりの荒れ模様の天気だったらしい。
仔猫が気になったのか、お父さんがふと窓の外を見ると、以前、キャラリンが住んでいたログハウスで、仔猫が雨宿りをしていたという。
子猫は、ご近所で保護されたわけではなかった。
暗い夜を幾晩も一人で過ごしていたのだ。
だが、我が家に少しずつ近づいてくれているのは確かだ。
その日から、ご飯は以前の場所とログハウスの中の2カ所に置くようにした。
物音を聞いて、エアコンの室外機の隙間に逃げ込む姿を見かけるようにもなった。
neco家の家族になる日も近いかもしれない。

2007/9/8
東海から関東、東北、北海道と、意地悪なほどのろのろと進んだ台風9号。
皆様ご無事でしたでしょうか。
neco家は、2年前の同時期に集中豪雨で浸水しているだけに、眠れぬ夜を過ごしました。
猫たちも、さすがに不安だったようで、未明まで一緒に起きていました。
無事に朝を迎えることの有り難……すぐに忘れてしまうのですが。



一ヶ月前、「 おぉ〜、ぐるるおぉ〜」と独特のなき声でやって来る猫がいる、と書いたが、毎晩の訪問が一週間前にぴたりと止んだ。
その代わりに聞こえてきたのが「み〜ぉ、ぁみ〜ゃ」という仔猫の声。
最初に聞いたのは夜で、懐中電灯を持って家の裏に回ると、南隣の家のフェンスの隙間からこちらを除く小さな顔が、光の輪の中に浮かび上がった。
月齢2ヶ月か3ヶ月というところだろうか。
以来、仔猫は姿を見せないが、その叫ぶような声はひっきりなしに聞こえてくる。
その度に急いで外に出るのだが、ドアが開く音を聞くと、ピタリ、泣き止んでしまう。
いくら声を掛けても、猫の泣き真似をしても、効果なし。
ただ、せっせと運ぶご飯は、なくなっている。
と云っても、ペビー用の猫缶だけ食べて、ドライフードの方は残してあるのだが。
仔猫の声がして5日目。台風が近づいている、という。
仔猫はどうするだろう、と気を病んでいると、久しぶりに「 おぉ〜、ぐるるおぉ〜」が聞こえてきた。
その声が去ると、仔猫の声も聞こえなくなった。
もしかして、 「おぉ〜、ぐるるおぉ〜」が仔猫を連れてきたのだろうか。
そして今度は、危険を察知して連れ戻しに来た?
台風に備えて、仔猫のご飯皿は、発砲スチロールの箱を横にした中に置いた。
屋根を付けて台に固定し、さらに傘を据え付けた。
台風が通り過ぎた朝、ご飯皿を見にいくと、ちゃんと食べていた。
残ったドライフードは乾いていたから、雨は避けられたらしい。
それにしても、いつ食べに来たのだろう。
夕べ、帰宅すると、少し前にキッチンの外で声がしたという。
「もうじきママが帰ってくるから、待ってなさいね、って言ったら静かになったの」
とおばあちゃん。
さっそくご飯皿を取りに行くと、朝たっぷり入れておいた猫缶は完食。
ドライフードも少しは食べた模様。
昨晩も今朝も仔猫の声は聞こえない。
聞こえれば聞こえたで、気が気ではないが、聞こえなければ、また寂しい。
しばらくは、ご飯当番をするしかなさそうだ。
2007/8/30 今日の更新内容は、前田マリさんの本と個展の紹介。
『ニューヨーク猫画帖』を買い求め、持ち歩いている最中に、ポストに封書が届いた。
差出人は、な、なんと前田マリさん!
良く考えれば(良く考えなくても)偶然の引き合わせなのだが、その時は、
「うっそー!どうして私が本を読んでることわかっちゃったの?」
なんて本気で思ってしまった。
封書の中には、二人展のご案内と『猫の時間割』とメッセージ。
嬉しくて舞い上がった。
前田マリさんの著書に出会ったのは遅かったけれど、不思議な縁を感じた。
猫好き、ジャズ好きも前田さんと一緒。
慌てて、『猫(キャット)はジャズが好き』を注文した。

ジャズが好きと云っても、千枚ほどのレコードとオーディオ機器が物置に仕舞い込まれて10数年になる。
これは家の作りの問題。
何しろ、スピーカー1つがタンス並に大きくて、今の家には置けないのだ。
ゆったりとジャズを聞く時空を埋めてくれたのが猫たちだが、両方揃ったら最高だろうなあ。
よし、実現に向けて頑張りますか。
2007/8/25 ロッキーママの他界に際し、多くの方から温かいお言葉と励ましをいただき、
本当にありがとうございました。
ロッキーママは、お骨になって戻ってまいりました。
今は、居間で一緒に過ごしております。
本人の選んだ生き方とは云え、
生前にこうして一緒に屋内で暮らせなかったことが、残念でなりません。

さて、さて、今日25日と明日26日は、高円寺の阿波踊り。
会社でも5時頃から酒盛りが始まります。
その買い出しで商店街を歩いていたら、
高円寺限定販売の阿波踊りキティちゃんを発見。

高円寺の阿波踊り、お時間がありましたら、ぜひお出かけください。

2007/8/17 昨日の朝、いつものように、こあねちゃんを除く4匹が朝ご飯を待っていた。
私の姿を見ると駆け寄ってくる4匹だが、あっちゃんだけは、駐輪場の端でじっと座ったままだ。
近寄ってみると、何と大きなネズミとにらめっこをしている。
これまで再三、彼らが仕留めたネズミを片付けてきたが、こんなにらめっこを目撃するのは初めてのこと。
大捕り物はできれば見たくはない。
ビルの裏手の食事場所の方に曲がり込み、「あっちゃーん、あっちゃーん」と大声で呼ぶ。
獲物を前に、そんな誘いに乗るはずもないのだが。
残る3匹は、まるで気にする様子もなく、銘々のご飯皿の前に座っている。
ご飯を食べ始めてすぐに、タマサがふと席を立って、あっちゃんを見に行った。
その方向に目をやると、何と、あっちゃんと鼻を付き合わせていたネズミが、足下の水たまりの水をぺちゃぺちゃと飲んでいる。
この危機的状況にあって、どういう心境なのだろう。
いかん、いかん、見たくない。
タマサもすぐに戻ってきて、3匹は平然とご飯を平らげた。
しばらく掃除をして、帰り際に駐輪場を眺めると、2匹の姿はなかった。
この猫たちは、仕留めた獲物は、食事場所に運んでおくのが常だ。
近隣の迷惑になってもいけないと、それから何度も獲物の姿を探しに行ったが、どこにも転がっていなかった。
あっちゃんとネズミ、もしかして、お友達???
2007/8/7
このところ毎日、夜の来訪者がある。
おぉ〜、ぐるるおぉ〜
尻上がりの独特ななき声の主は、目のくりっとした、美少年を思わせる雄猫だ。

去勢はされておらず、首輪もなし。
随分とスリムで、野良ちゃんかとも思うが、その顔つきは飼い猫そのもので、判断に窮している。
毎晩、やって来ては、塀の上でひとしきり鳴く。
ウッドデッキの直ぐ向こう側に来てみたり、時にはデッキの屋根から2階のベランダに飛び上がっても来る。
neco家の猫たちは、その声にぞろぞろとデッキに出ていき、金網を隔ててご対面。
だが、不思議と誰一人背中の毛を立てることも、尻尾を太くすることも、威嚇することもない。
静かに向き合っている。
お腹が空いているのかと、慌ててご飯をお皿に盛って外に出る。
「ご飯、ここに置くからね」
5mほど離れたところから声を掛けるが、ご飯皿はいつも手付かずのままだ。
お父さんは、その猫の声に寂しさを感じるという。
誰一人他所ものに対する警戒心を見せない、その不思議な猫に、深い縁を感じるという。
ロッキーの伝令で来ているような、そんな気がすると。
その縁が繙かれる時が来るのだろうか。
2007/7/29
緑の少ない高円寺にも、セミの鳴き声が聞こえるようになった。
ようやく遅い夏の到来だ。
7月は、ほとんどお日様の顔が見えず、プランターの草花は元気なく、葉の緑もくすんでいる。
neco家の猫たちにケンカが頻発したのも、どんよりとした曇り空のせいかもしれない。

先日、ロッキーママの小屋の一つ、大型犬用のキャリーを洗った。
雨避けのビニールも新品と取替え、日除けによしずを掛けた。
中にはキャンプ用のマットを敷き、その上にキャットベッドをのせた。
ロッキーママはかなり気に入ったと見え、満足気、自慢気な表情で、屋根でうたた寝をしている。
そういえば、ロッキーママが自室にいる時間がめっきり増えた。
歳のせいだろうか。

ペーニャ・メロディという造形作家の作品で、素晴らしい1点を見つけた。
量産する前のプロトタイプで、作家自身の手彩色という貴重品だ。
背中に輝く羽をつけた三毛猫……
満たされた表情は、いわれなく美しい。
こんなに素晴らしい作品には二度と巡り逢わないだろうと思う。
だが、いずれ訪れるロッキーママとの別れを先取りするような気がして、どうしても手を延ばすことができなかった。

ロッキーママと語り合う、朝晩のわずかな時間の幸せを噛み締めている。

2007/7/22
7月に入ってから、このコーナーにはお見舞いの言葉ばかり……
九州の集中豪雨、台風四号、そして中越沖地震。
家屋の倒壊等の直接の被害はもとより、不自由で息苦しい避難所生活は、どれほど辛いことか……
高齢の方を中心に、ホテルや旅館に移っていただく、という動きが一部始まったようですが、
一日も早く、避難所生活から抜けられるよう、賃貸住宅の空き物件等を一時行政が借り上げるなど、官民一体となった取り込みができないものでしょうか。

前回、一緒に暮らす猫たち、犬たちの安全対策を、と書きましたが、動物たちを避難所に連れて行けない状況を思うと、テントなどのキャンプ用品やケージを揃えておく必要があるのかもしれません。

いつ何時起こるか予測の立たない天災……
真剣にシミュレーションしておこうと思います。

2007/7/15
6日前の更新の際に、すでに被害の出ていた九州地方は、天候が回復する間もなく、台風4号の上陸となってしまいました。
何とお見舞いを申し上げたらよいのか……

こちらは、今、雨は小振りになっています。
一昨日から、外で暮らすロッキーママを家の中に避難させる準備を整え、暴風と豪雨に備えていましたが、今のところ、大きな影響は出ていません。
出勤前に、2階の一室に閉じ込められたロッキーママは、今頃、外に出してと、ないていることでしょう。

昨日、日本動物福祉協会より、動物たちを迷子にさせないために、迷子札やマイクロチップの埋込を奨励するパンフが届きました。
折しも台風4号が猛威を振い、毎年、観測史上初を更新する異常気象に怯えていただけに、共に暮らす動物たちの安全への取り組みにはあまり猶予がないように思われました。

2007/7/9
九州地方にお住まいの方、ご無事でしょうか?
被害に遭われた方には、心よりお見舞い申し上げます。

こちら東京は、この数日、雲天ながら雨は降らず、26度前後の過ごしやすい気温に一心地ついておりますが、未曾有の集中豪雨も明日は我が身かと、一昨年の洪水を思い出しながら緊張が走ります。

梅雨時の雨上がりには、我が家の庭に必ず現れるでんでん君。
日頃はどこに身を隠しているのでしょうか。
先日、植木鉢の縁に乗り、葉っぱをのんびりと食む姿を発見。
葉に残るでんでん君の歯形が愛おしくさえ感じられます。
彼らの動きをじっと眺めていると、
こちらの血の巡り方もゆったりとしてくるようで、日常、人間の本来のリズムと掛け離れたペースで暮らしていることに
改めて気付かされます。

emailの登場で、普通の郵便を英語でsnail mail (カタツムリ便)と呼ぶようになりましたが、即刻返事が期待できるemailの便利さの中にあっても、じっくり待つことの楽しさを忘れないように、とカタツムリは教えてくれているようです。

2007/6/30 5月の半ばに早々とご案内した、小西修氏の写真展が本日より開催されます。

多摩川の河川敷に捨てられた猫たちが、必死に生を全うしようとする姿を、ぜひご覧になってください。

2007/6/22 毎朝、毎夕のことで、タマサもさほど嫌がらずに薬を飲むようになった。
ところが、足の方は改善が見られない。
昨日の朝は、まったくの3本足でよちよち歩き。
かと思えば、今朝は、足を引きずっているかどうかも分からない。
薬を飲み始める前も、こんな繰り返しだった。
どうも雨降りの方が具合が良いようだ。
もう少し、天気と足の具合の相関関係を見てみようと思う。

昨日は、ハーネスを付けて庭に出たぬーちゃんに逃げられた。
近頃は、リードを門扉に繋いで、ごろり寝そべるぬーちゃんの傍らで庭いじりをしていたのだが、昨日、ふと振り返ると、主がすっぽり抜けた赤いハーネスがニヤニヤ笑いをしていた。
ぬーちゃんは、アマリリスの鉢植えに鼻を寄せていたが、一度脱走を心に決めた時は、捕まる筈もない。
「お花、きれいでしょ」などと、何気ない素振りで近寄っても、走るでもなく、必要最低限の距離を移動する。
案の定、家の裏手に回り、追い掛けるとウッドデッキの下に身を隠した。
おばあちゃんはデイサービスに出掛けてしまったし、出勤の時間も迫り、ぬーちゃんをそのままにして家を後にした。
おばあちゃんが家に帰ると、大きな声で鳴いていたというが、玄関からは入ろうとせず、ウッドデッキ脇の掃き出し窓を開けろとせがんだという。
私が家に戻っても、ぬーちゃんは知らんぷり。
今朝も、外へ行こうと玄関で待つ姿はなく、和室で横になったまま、薄目を開けてこちらの様子を伺っている。
脱走を反省しているのか、はたまた、外に出したまま出掛けた私に腹を立てているのか。
答えはおそらく、後者だろう。
猫の記憶は二日間というが、外へ行こうと次にせがむのは明日か、明後日か。

2007/6/16 会社の外猫、タマサが3本足で歩いている。
右後ろ足が痛いらしい。
以前から、時折足を引きずって歩くことがあった。
その時は、足の甲に腫れが見られた。
当時、玉砂利のような直径2cmほどの石がたくさん落ちていた。
猫たち目がけて石を投げるとんでもない輩がいるのだろう。
一番人なつこいタマサが、その犠牲になったものと思い、タマサには、誰彼構わず近づいてはいけない、と言い聞かせていた。
その石も近頃は見かけない。
タマサの足を湛然に調べても、腫れも外傷も見つからない。
関節炎とか神経痛なのだろうか。
天候とも関係があるかもしれない。
等々、あれこれ考えていたが、3本足も3日続けば放っておけない。
お休みの朝、車でタマサを迎えに来て、掛かり付けの病院へ連れて行った。
触診では異常なし。
血栓が足の付け根の動脈に詰って、麻痺を誘発しているかもしれないとのこと。
だが、レントゲンと血液検査の結果も異常なしだった。
取り敢えず、ステロイド剤を投与して様子を見ることになった。

いつものようにご飯を食べていたところを、いきなりキャリーに押し込められ、自動車などというものに乗せられて、遠くの病院に連れていかれ、初対面の白衣の先生に足を触られ、揚げ句の果てに麻酔までかけられて、タマサの機嫌がいい訳がない。
ようやく仲間の待つ住処に戻してもらえたが、この日以来、朝晩、捕まえられて薬を飲まされる。
私は、すっかりタマサに嫌われてしまった。
他の4匹と違って、タマサだけは、食事が終わった後も、撫でたり、抱いたりさせてくれたのに、今ではすっかり他の猫たちと同じになってしまった。
つまり、ご飯前は大の仲良し、ご飯が終われば赤の他人だ。
仕方がないとは云え、やはり寂しい。

今朝も、ご飯の後、日向ボッコをするタマサに近づいていったが、タマサは、わずかに右後ろ足をひきずりながら、逃げていった。
2007/6/9 仕事に追われ追われて、お休み返上で2週間。
ようやく取れた連休で、箱根に出掛けた。
今回のお目当ては、ラリック美術館だ。
高島屋で初めてラリックの猫を見た時は、あまり心に響くものがなかった。
以来、ラリックに関心を持つ事はなかったのだが、先月訪れた小田原城ミュージアムで、思い掛けなくラリックの別の作品と出会い、マイナスの第一印象はすっ飛んだ。
ラリック美術館には、スペシャル・エクシビションとして、オリエント・エクスプレスのサロン・カーが置かれている。
ラリックのレリーフで車内が装飾されているからだ。
そこでお茶を楽しめるようになっている。
さっそく予約を入れて、先に美術館を巡った。
大胆な発想、緻密に計算し尽くされた構成、確かな技術、繊細な気配り……
どの作品も、その完成度の高さに心酔するばかり。
なかなか次ぎの作品に歩を進めることができず、オリエント急行の予約が悔やまれるほどだった。
再び訪れるまで、図録を眺めていよう。
展示品の中には、猫はなかったが、ミュージアム・ショップには、3体置いてあった。
大きな作品2つは、いずれも当初の型をそのまま使って整形したもので、いわゆるレプリカというわけではない。
確かに、鋭い観察眼と卓越した技術を感じさせる。
だが、残念ながら、今回も猫たちと心を通わせることはできなかった。
なぜなのか、わからない。
いずれ、ラリックの猫たちが私に語りかけてくれる日が来るまで、難しいことは考えずにいようと思う。
2007/6/2 他所の猫がneco家に顔を出すのは珍しくない。
玄関先のマイルームで暮らすロッキーママも鷹揚なもので、自分のご飯を食べられても、空いている方の家に寝泊まりされても、気に留める様子もない。
ところが、このところ、一匹の小柄な猫に、neco家の面々は、引っ掻き回されている。
白いソックスを履いた黒猫が、10日ほど前から、突然顔を見せるようになったのだが、この子だけは、どうも肌が合わないらしい。

ロッキーママは威嚇するし、室内の猫たちに至っては、ウッドデッキ越しに猛烈に唸り、喧嘩を仕掛ける。
喧嘩の相手は、クロちゃんのはずなのに、興奮状態の室内の猫たちは、手の届かないクロちゃんの代わりに、隣に居合わせた兄弟で取っ組み合いを始める始末。
この騒動が朝6時半に繰り返されては、ご近所迷惑も甚だしい。
やむを得ず、ウッドデッキは、閉鎖となった。

どんなに威嚇されようと、唸られようと、意にも介さない様子で、一日に何度でもやって来るクロちゃんは、まだあどけなく、ふっくらとした体を包む皮毛も艶やかだ。
どこかの飼い猫なのだろう。
「ぼく、お家に帰りなさいね。ここに来ちゃだめよ」
などと、話してわかる相手ではない。
一言で言うなら、空気の読めない子なのだ。それが、嫌われる原因なのかもしれない。

ご近所を憚って、外の気配に過敏になっている私は、ロッキーママのうなり声を聞いたような気がして、夜中に何度となく外を見に行くようになった。
ほとんどは、私の空耳らしいのだが、その時は、お風呂の窓越しに、ニセドもうなり声を上げていた。
大事にならない内に追い払おうと、慌てて開けたドアから、疾風のように駆け抜ける者があった。
しまった!!
逃げるクロチビは、あっけなくニセドに追いつかれ、塀の向こうで壮絶な喧嘩となった。
夜の明けきらない薄明かりの中、私は、
背中合わせに建っているその家に向って、必死で走った。
門扉のすぐ向こうで、二匹が火の玉になっていた。
二匹は門扉を開ける音にも気付かない。
次ぎの瞬間、ニセドは私の腕の中で動けずにいた。
どうやって抱き取ったか、思い出せない。
総毛立ち、目を見開き、荒い呼吸をするニセド……
口には毛の束、胸には血のり。
おそらくチビクロちゃんの方が深手を負っているにちがいない。
騒動は困るが、クロチビちゃんが憎いはずもない。
どちらが傷ついても、切ない。
猫の喧嘩は、本当に切ない。

その朝、会社に向おうとドアを開けると、サビ猫がロッキーママのログハウスから小走りに逃げ出した。
ロッキーママは、隣のハウスで平然としている。
室内の猫にも変わった様子はない。
猫たちの許容の基準は一体どこにあるのだろうか。

2007/5/24
梅雨入り前の晴天の休日、再び神代植物公園を訪れた。
GW前半に出掛けたときは、満開の藤、今回は、色とりどりの薔薇が咲き競っていた。
今年は、例年より見頃は早かったようで、盛りを過ぎた感はあったが、初夏の風が運ぶ薔薇の香りに包まれながら、愛らしい小輪の薔薇、見事な大輪を楽しんだ。
中でもラベンダー・カラーの大輪に魅了され、同じ色の小輪の苗をお土産にした。
家に戻り、テーブルの上に鉢を置いて眺めていると、音もなくテーブルに飛び乗ったトンちゃんが、ガブリ。
犠牲になったのは、葉の2,3枚だったが、あわてて外に出した。
やれやれ。
ともあれ、皆様にも薔薇の姿のお裾分けを……




2007/5/17 月曜日の夜、帰宅すると、おろおろするおばあちゃんが待っていた。
デイサービスから戻ると、玄関から廊下、至る所に鮮血が飛び散っていたという。
ケンカの末の傷かと、一匹一匹の体を調べる。
それらしい痕跡はどこにもなかったが、らーちゃんの足が血で汚れていた。
どうやら、血尿らしい。
折悪しく、その日は病院がお休み。
止む無く夜間救急に連絡を入れた。
待つ事わずか10分、ドクターカーが家の前に横付けとなった。
診察台、酸素吸入器、薬品類を入れた大きな抽き出し等々が、一際明るい照明に白く浮かび上がっていた。
らーちゃんは、診察台の上で観念したようにうずくまっている。
問診の結果、急性の膀胱炎だろう、とのこと。
私は何回も膀胱炎も罹っていながら、思いも付かなかった。
取り敢えず、止血剤と抗生物質を混ぜたリンゲルを輸液することになった。
先生が取り出したのは、直径4cmほどの太ーい注射器。
そのまさに瞬間、ずっと先生にお尻を向けて座っていたらーちゃんが、ぬーと振り向いた。
まるで注射器の太さを確認しているような仕草だ。
膀胱炎と聞いて、過度の緊張がほどけた私は、注射器に向けられた流し目に思わず吹き出した。

明けて翌日、掛かり付けの病院の診察に向う。
尿検査と血液検査の結果、膀胱炎に間違いないとのこと。
ただ、腎機能がかなり衰えていることも判明した。
もって今年一杯……
多飲多尿が気になり、覚悟を決めたのが1年半前。
いただいた病院食は受け付けず終いだったが、昨年の半ば頃からは、多飲多尿も改善されていた。
最近は、新入りさんを誘って家中を走り、運動量の多さでは、レオナと一、二を競っていた。
いつしか、腎臓を気に掛けることもなくなっていたのだが……

毒素を吸着する薬剤入の病院食……らーちゃんは全く食べようとしないが、こちらが根負けすることなく、何としてでも食べてもらおう。
一緒にいられる時間のために。
そして、私も時間を薄めることなく、毎日を過ごそうと思う。
2007/5/12 な、なんと前回の更新日から3週間が経ってしまった。
またまたワースト記録の更新だ。
病気をしているの?とご心配のメールもいただき、恥ずかしいばかり。
体は至って快調。仕事にかまけておりました。
GWも会社は9連休なれど、前半は出勤。
家族優先の後半を休んだ後は、そのツケが溜まり溜まり……
自宅のノートPCを息子が持って行ってしまったから、自宅での更新もできず、と弁解ばかりで済みません。
皆さんは、どんなGWをお過ごしでしたでしょうか。
毎年GWは近場の散策を楽しむのですが、今年は、神代植物公園、江戸東京博物館、そして浅草。
両国では、KIOSK の出店で、七福神猫を求め、浅草オレンジ通りでは、裃袴の招き猫さんをゲット。
どこへ行っても猫に焦点が合ってしまうのは、いたしかたありません。
神代植物公園は、おススメですよ。
母を車椅子に乗せて、みんなで森林浴を楽しみました。
丁度フジが満開でした。
そうそう、今日からはバラ・フェスティバルが始まります。
初夏の爽やかな季節、武蔵野まで足を延ばしてはいかがですか。
2007/4/20 近頃、同窓会が多い。
五十路を過ぎて、皆、旧交を温めたくなるのだろう。
中学校のクラス会に始まり、サラリーマン時代の仲間、大学、そして先週は東京銀行協会ビルにあるクラブ関東で、高校の同期会があった。
猫のバッグに猫のペンダントを付けていた私に、会場の方が、声を掛けてくださった。
「猫がお好きなんですか?」
「ええ……」
「こちらに『目なし猫』の絵があるのですが、ご覧になりますか?」
「ぜひ」
そして案内された個室に飾れていたのが、これ、


熊谷守一氏の作品だった。
思い掛けない対面に、時の経つのも忘れた。
案内人に促され、しぶしぶその場を離れたが、この作品を皮切りに、レンブラント、藤田嗣治氏等、貴重な所蔵品を見せていただいた。
会場に戻った時は、宴も半ばを過ぎ、35年振りの再会を驚き、喜ぶ間に、お開きとなってしまった。
気が付けば、何も食べないまま……残念!!
でも、でも、食事より素敵な出会いに恵まれ、ひとりでに笑みの浮かぶ同期会となった。

2007/4/15 最近、刺繍を始めた。
昔から、編み物や刺繍は嫌いではなかったが、子供の産着を編んだのが最後だから、この20数年、手芸とは縁が切れていた。
今回始めた刺繍は、チャールズ・ワイゾッキの猫の絵を素材にしたもので、そのキットは以前から手元にあった。
何がきっかけという訳でもないが、一旦始めて見れば時間が経つもの忘れる。
プチポワン並みに目の細かいキャンヴァスで、老眼鏡をかけても、眼数を数えるのが容易ではないが、一目一目、針を通す単純作業の中に、『癒し』効果があるようだ。
その凪いだ気分は、毎朝小一時間かけてビルの周りを掃除する感覚にも似ている。
これをするとどうなる、と、結果や報酬が先に立つ日々の営みの中で、ただ針を進めるだけに専心することは、わき水のような静かな喜びを与えてくれる。
この幸せは、ゆうに一年は続きそうだ。
何しろ、週に3cm四方くらいしか進まないのだから。
2007/4/9 先日、皆様から寄せていただいた使用済み切手を送っている社団法人日本動物福祉協会から、ニューズレターが届いた。
トップ記事もそこそこに、中面を覗く。
そこには、使用済み切手を送った方々の氏名が列挙されている。
今年のリストは、昨年の倍の長さだ。
年々関心の輪が広がっていくのは、嬉しいことだ。
どれどれ……
あれっ?
見落としたかな?
もう一度丁寧に、っと。
あら、まっ、名前がないじゃない!
『猫三昧に集う仲間たち』……
やっぱりない。
使用済み切手を送るのは、それを役に立てていただくためで、それ以上でも以下でもないけれど、名前が漏れちゃうのは、やっぱりがっかりするものですね。
宅急便で送っているので、到着していないはずはないのです。
お礼の催促など、するつもりは毛頭ないものの、電話をしてしまいました。
その結果届いたのが、次ぎのお手紙。
猫三昧に切ってを送ってくださった皆様に宛てられたものです。
画像をクリックしてご一読ください。

2007/3/31 能登にお住まいの皆様に、心よりお見舞い申し上げます。
何とお声を掛けたら良いのか、言葉も見つかりませんが、今はまず、お体をおいといくださいますよう。


明日は我が身、という危機感は日ごとに強くなるものの、母と猫たちをどのように避難させたら良いのか、見当もつきません。
いざ、という時のことを想像することすら怖くて、真剣に向き合おうとしていない、というのが本当のところ。
こんな無責任なことではダメですよね。
家に常時大量にあるのは、ペットボトル入の水と、猫缶くらい。
避難用のバッグも作ってはあるけれど、
押入の奥に突っ込んであっては、役に立ちそうもありません。
皆さんは、どのような準備をしておられますか?

この度、たくさんの使用済み切手を拝受いたしました。
匿名で頂戴いたしましたので、お礼のお手紙も差し上げられずにおります。
この場をお借りして、心より御礼申し上げます。
ありがとうございました。

2007/3/25 昨晩は、東京も大荒れだった。
夜半から風が強くなり、日頃喚起のために僅かずつ開いている窓をすべて閉めた。
なま暖かな朝を迎え、ロッキーママの家を覗きにいくと……
扉代わりのフリースの毛布が飛ばされていた。
雨は家の中までは吹き込んでいなかったが、ロッキーママの姿はない。
可哀想に、どこで夜を過ごしたのだろう、と思いながら、もう一つの小屋の扉をめくると、
何喰わぬ顔で、ロッキーママが眠っていた。
扉の向きが違うから、こちらは難を逃れていたのだ。
考えてみれば当然のことだが、その臨機応変な姿に感心至極。
ロッキーママが一回り大きく見えた。
2007/3/21 毎年、桜の開花宣言が出ると、ほっとする。
外猫たちが、無事冬を越せたのだ。
もっとも今年の冬は楽だった。
毎年こんな暖冬だったらありがたいが、それは地球の病気でもあるから、そんなことを願ってはいけないのだろう。
あっちゃんは、3頭身から4頭身に変わり、随分と大人びてきた。
外猫4匹に加わった時は、幼年期用のフードを一生懸命食べていたが、次第にあれこれ選り好みするようになり、今朝など、一粒が二粒食べたと思ったら、私が持参するバスケットの中から猫じゃらしをくわえ出して、一人夢中に遊び始めた。
タマサもズレータも、猫じゃらしが気になって、食事もそこそこに、あっちゃんの傍に座る。
neco家の猫たちは、一つのオモチャを順番に譲りながら遊ぶのだが、あっちゃんは、順番待ちなど気にする素振りもない。
脇目を振らず、じゃれ続ける。
『厚かましいあっちゃん』の本領発揮というところだろうか。
やれやれ。
2007/3/12 中性脂肪の値が360(正常値は50〜149)という大変よろしくない結果が出て、即刻栄養指導を受けるよう指示されたのが昨年8月末。
200以上で高脂血症だそうだから、立派な病気だ。
半世紀以上生きてきたとは云え、まだ暫くこの世で過ごすことになるだろうから、今から薬はご免被りたい、と食事に気をつけることにした。
大好きだった生クリーム類や油ものを避け、野菜と魚中心の食事に切り替えた。
週に一日は、好きなものを好きなだけ食べていたから、苦もなく、半年が過ぎた。
というより、野菜の美味しさを発見し、
毎々、「美味しい〜!!」を連発する日々だった。
その間に体重は7キロ減。
20年前の体重に戻った。
そして、半年お預けにされていた血液検査の結果が、ついに出ました!!
中性脂肪153。
おおっ〜、と喜んだのは先生、私は怪訝な表情を浮かべていたと思う。
153は正常値の上限を僅かながら超えている。
私は100を切っているものと信じていたのだ。
栄養士さんに与えられた目標値も200だったし、153は上出来というところだろうが、何となく手放しでは喜べない。
もう一声には、やはり運動が必要なのだろうか。
2007/3/4 「ジロちゃん、お宅に行ってますか?」
毎朝、通学する児童のために『緑のおじさん』をしているジロちゃんの飼い主さんに尋ねられた。
そう言えば、このところ姿を見せない。
いつ来てもいいように用意してあるご飯は手付かずのままだ。
一週間以上も前に、大部離れた公園で見かけたのが最後だという。
以来、実家には全く戻っていないらしい。
ジロちゃんがneco家に通うようになって8年。
喧嘩の絶えないジロちゃんは、満身創痍でやって来ることも多かった。
その度に薬を付け、化膿止めをご飯に混ぜた。
そんなジロちゃんだが、neco家の猫と諍いを起こしたことは、ただの一度もない。
私たちにとって、ジロちゃんが半ば家族だったように、ジロちゃんにとっても、neco家の面々は家族だったのかもしれない。
昨年の秋の終わり頃から、とんと足が遠のいていて、飼い主さんにこちらから消息を尋ねていたが、年の瀬の押し迫った頃から、またやって来るようになっていたのに。
実家にも戻らないと聞くと、手つかずのご飯皿が一回り大きく見えてくる。
遠く旅に出てしまったのだろうか。
ジロちゃんの飼い主さんは、私の返事を聞くと、家とは反対方向へ足早に歩いて行った。
最後に見かけた公園へ向っているのだろう。
外猫との付き合いは、まさに一期一会だ。
ジロちゃんとの8年も、一期一会の連続の結果にすぎない。
会社の外猫たちと接するときも、いつもそれを胸に刻んでいる。
外猫たちと触れ合う僅かな時間の方が、あるいは濃密なのかもしれない。
2007/2/24
ちょっと いい話

僕の家には猫はいないんですけどね、駐車場に猫が居着いてるんですよ。
ご飯をあげてくれる人がいるから、みんな元気。
でも、猫って増えるんですねえ。
いつの間に子猫がぞろぞろで……。
これは避妊してやらなくちゃ、と思って、一匹捕まえて籠に入れておいたんです。
そしたら、他の子猫たちが、兄弟の一大事とばかり、みんなして、金網をがりがりやって、逃がそうと必死になってる。
お蔭で、全員まとめて捕まえられちゃった(笑)。
近くにドイツ人の親切な獣医さんがいて、その人が、自転車で連れていって、術後も送り届けてくださった。
手術費も格安でしたよ。
全員女の子だったから、避妊をして本当に良かったと思って。
僕は、その猫たちの飼い主でもないし、餌もやってない。
避妊しただけなんだけど、居る場所が僕の家の駐車場だから、通りがかりの人は僕が飼い主だと思ってるんですねえ、
「猫を譲っていただけませんか」ってよく声を掛けられるんです。
事情を説明して、可愛がっていただけるんだったら、猫も幸せでしょう、と伝えるんですけどね。
同じような子猫が数匹いる中で、いの一番に貰われていったのが、小さくて、弱くて、具合の悪そうな子だった。
僕も心配して見ていたんだけど、その人も通りかかる度に、気にしてくれていたんでしょうねえ。
ありがたいことです。

(NECOZANNMAI 店頭での猫談義より)

2007/2/18 大阪で、たくさんの鳥と猫と犬が、農薬をまぶした餌の犠牲になった。
そして川崎でも……
大阪の事件は、『餌やりおばさん』と近隣とのトラブルが原因だったとか。
なんともやりきれない。
最近、猫問題の根幹は、実は猫ではないような気がしてきた。
まだ息子が小学校だった頃だから、20年近くも前のことだが、小学校の近隣から、校庭の砂埃がひどいから、校庭をコンリートにしろという話が持ち上がった。
おろし金の歯を連ねたようなコンクリートで転べば、大根おろしならぬ、膝おろしとなる。
自分も自分の子供も、土の校庭で思いっきり遊びながら、一度、子供が育ち上がれば、こんな発言が平気で飛び出す。
自分に不都合なものは、徹底的に排除しようとする傾向は、どんどんと強くなっているように思う。
自分は二の次、まずは他を、などと奇麗事を言うつもりはないが、自分ばかり見ていると、ガンジガラメになるような気がする。
たまには、自分を放り出し、外を眺めてみたい。
校庭で、砂を蹴りながら走る子供たちの元気に、思わず笑みがこぼれるかもしれない。
冬空の下、木枯らしにさらされて小さく丸めた公園の猫の背中に、不憫さと強さを感じるかもしれない。
そんな感情を一滴、一滴しみ込ませて、自分を見つめ直すとき、自分も世間も一回り大きく、穏やかに見えることだろう。
2007/2/12 飼い猫の7割以上が、拾い猫、居着き猫、貰い猫だという。
猫が好きで好きで、猫を探し求めていたわけではなく、
最初に猫ありき、だ。
「餌やりおばさん」にしても、餌をやらなければならない猫が
少しでも減ってくれることを願っている。
猫に苦情を言う人と「餌やりおばさん」の願いは実は同じなのに、どうして、こうも対立してしまうだろうか。
このことは愛猫家の間だけで話していても埒があかない。
広く、一緒に考えてもらえるような機会はないものだろうか。
広く一般なら、新聞に限る。
と、一念発起して思いをしたためた。
書いては消し、書いては消しして、ようやく、そこそこにまとまった。
新聞社の投書受付要項を調べる。
読売新聞が400字、朝日新聞が500字以内だそうな。
私が書いたのは……文字カウントすると、なんと2500字近い。
5分の1に減らさなければならない。
削るような部分はないのだが、仕方がない。
目をつぶってバッサバッサと切り捨てても1600文字。
エイヤーで800文字。
ところが残りの300文字がどうしても減らせない。
泣きそうになりながら、3時間かかって、やっと497文字。
最初に書いた2500文字が頭にこびりついていて、思いの1割も伝わらないような気がする。
最初に文字制限を調べておくべきだった。
そうすれば、もう少しまとまりのあるものになったかもしれないのに。
半分ヤケッパチになりながら、eメール投稿の送信ボタンを押した。
2007/2/4 あっちゃんも無事退院。
ズレータとタマサのワクチンも終わり、取り敢えず一段落がついた。
朝のお出迎えも復活だが、あっちゃんは寝坊を決め込んでいる。
自分のお皿にご飯が入るまさにそのタイミングで起きてくるのだ。
寝床で聞き耳を立てているに違いない。
5匹揃った食事は、やはりいいものだ。
************************
neco家では、一人息子が独立をすることになり、これまで閉切だった2階の1室の扉が開け放たれた。
何もなくなってがらんとした部屋を見るのは寂しいものだが、猫たちにとっては、格好の遊び場ができた。
6帖の部屋も、階段、廊下と続ければ、思いっきり走れる。
お蔭で、ダダダダッ、ドスドス、バゴッ、ドガッ、と大変な騒音と振動が階下にも響く。
猫密度の異常に高い中で暮らしていた猫たちにとっては、多少のストレス発散にはなるだろう。
兄弟喧嘩も、これで下火になってくれるといいのだが。
2007/1/30 先週の土曜日、ついにあっちゃんを捕まえることができた。
食事の後、駐輪場を掃除していたときのこと、ふと食事場を覗くと、あっちゃんがキャリーの中に入り込む姿が見えた。
慌てずにそっと近寄り、パタンと扉を閉めた。
実にあっさりと御用になった。
ところが、ところが、あっちゃんはキャリーの中で大暴れ。
キャリーがバラバラに分解してしまいそうな暴れようだ。

慌てて事務所に運び、キャリーの上から風呂敷を被せた。
視界が遮られて、多少落ち着いたのか、諦めたのか、あっちゃんは、敷物の下に潜り込み、じっと動かず、恨めしそうな視線で見つめるばかり。
キャリーをしっかりと縛り、さっそく獣医さんの元へ運んだ。
全く人に懐いていない、野性そのものの猫も気持ち良く受入れくださるその診療所は、暴れ馬ならぬ、暴れ猫の扱いにも慣れている。
ところが、一瞬のすきに、あっちゃんはキャリーから飛び出した。
あっちゃんは、ムササビ同然に宙を舞い、壁という壁に激突し、ネズミのように、あらゆる隙間に入り込み、果ては窓のブラインドにぶら下がり、ついにネットの中に落ちた。
まさに大捕り物だった。
その日の夕方、あっちゃんの手術は無事終わった。
女の子だった。
夜7時には麻酔も醒めたようで、経過は順調そうだった。
だが、何も口にしないという。
昨日、面会に行った。
聞き慣れた私の声に、多少は反応してくれるかも、と期待していたのだが、あっちゃんは、大きなケージの隅に置かれたキャリーの奥に
縮こまったまま、微動だにしなかった。
小さなお腹に巻かれた包帯が痛々しい。
今日も、電話を入れたが、相変わらず食べていないらしい。
家がないだけに、大事をとって木曜日まで入院する予定なのだが、せめて一口でも食べ物を口にしてほしいものだ。
2007/1/23 あっちゃんの避妊・去勢は思いのほか手こずりそうだ。
洗濯ネットで捕まえるのが一番と思い、何気ない振りをして食事の前にネットを広げた。
これに興味津々だったのがタマサで、さっそくネットに入り込んだ。
ふむふむ、いい調子!
仲間が遊んでくれれば、あっちゃんの警戒心も薄らぐだろう。
タマサがネットから出てご飯を食べ始めた。
さっそくネットをこちらに引き寄せて、あっちゃんのご飯をネットの中に用意する。
あっちゃんのご飯皿は、瀬戸物だから、割れると危険だ。
そこで、この日は、ステンレスのお皿に変える。
これが、失敗の始まりだった。
食いしん坊のあっちゃんなのに、お皿に近寄ろうともしない。
これ、ぼく(あたし)のお皿じゃない、という訳だ。
一度に二つの変化は、警戒させるのに十分だった。
背中をさっと撫でることくらいは、許してもらえていたのに、これを境に、あっちゃんとの距離は広がってしまった。
お皿の缶詰も、一かけらくわえて、台車の下に逃げ込んで食べる始末。
それならと、翌日キャリーを食事場に置いた。
もちろん、すぐに捕まえることはしない。
ステーキ屋さんが置いてくれるダンボール代わりに、自由に出入りさせておけば、そのうち……という魂胆だ。
だが、数日経った今も、あっちゃんはおろか、だれも入っている形跡がない。
さてさて、この捕り物、どう決着することやら。
2007/1/19 毎朝、会社の外猫5匹衆のお迎えは続いている。
新入りあっちゃんは、早々に避妊・去勢に連れていかなければならない。
何とか手なずけて、という下心から、どうしても、「あっちゃん」と一際甘い声で連呼してしまう。
それが面白くないのか、タマサが拗ねている。
食事の途中で、すっと1メートル離れ、身繕いを始める。
人一倍の食いしん坊が、大好きな缶詰の前に中座してしまうのだ。
昨日は、またまたコアネちゃんが2番目のお皿を横取りしたのか、と思ったが、ちゃんと3番面のお皿で食べていた今日も、タマサは同じことを繰り返す。
「どうしたあ?タマサー」と近寄ると、ゴロリと転がりお腹を見せた。
なあんだ、甘えたいのか、と抱き上げるが、みんなの見ている前では、どうも体裁が悪いらしい。
喉をならしながらも、身をを翻す。
みんなが食事を終え、三々五々散っていった後、改めて缶詰をお皿に入れてあげると、素直に平らげた。
猫の脳の構造、特に愛情を司る部分は、人間に似ているという。
などほど、なるほど。
2007/1/13 松が取れ、ようやく日本の社会も平常の動きに戻った。
年明けの最初の大仕事は、ゴミ出しだった。
大晦日のぎりぎりまで続いた大掃除の残骸は、45?袋にたっぷり20個の可燃ゴミと10袋の不燃ゴミ。
さらに折りたたみベッドを筆頭に、粗大ゴミが7つ。
これらは、お正月の間中、ウッドデッキを占拠していた。
可燃ゴミは、さすがに一度に出すのは気が引けて、2回に分けて持って行った。
この時ばかりは、おばあちゃんも自転車(三輪車)を出動させた。
と、どうだろう。
ちゃんと、ロッキーママがお供をするではないか。
昨年一年、ゴミは私が出していたが、一度たりとて、ロッキーママが自室を出たことはなかった。
おばあちゃんのゴミ出しは、まるまる一年振りだと云うのに、ロッキーママは、お供を忘れない。
チリチリという鈴の音も軽やかに、嬉々としておばあちゃんに付いて行く。
信号の手前にきちんと座り、おばあちゃんが信号を渡って戻るのを待つ。
何もかも以前と変わらない。
そんな姿を、私は、両手にずしりと重い袋をぶら下げながら、立ち止まり、面白くなく思いつつ、眺める。
2007/1/6 あけましておめでとうございます。
2007年の年のはじめ、
みなさま、どのようにお過ごしでしたでしょうか。

ここ、東京は暖かく穏やかなお正月でした。
(もっとも、今日は一転、冷たい雨が降っていますが。)
neco家も、日頃疎遠な父親と息子も揃ってお屠蘇を酌み交わし、病み上がりのおばあちゃんも、おせち料理とお雑煮を楽しみ、家の中の猫たちは、新しいホットカーペットの上で極楽気分。
会社の外猫さんは、変則的な食事時間を気長に待ち、お正月の大盤振る舞いをぺろり平らげておりました。

昨年の12月が、想定外の出来事に振り回されていただけに、こんな平穏が殊の外ありがたく、仕事の始まった今も、心の底にホカロンがあるみたいに、じんわりとした暖かさが体中に広がっています。

昨年、毎度吊り上がり気味の目尻をことさら吊上げて、ぜーぜー言いながらこなした仕事も、こんな平穏な心持ちで取り組めば、すんなり終えられるような気がします。
このちょっとしたゆとりをぎゅっと握りしめて、簡単に手放さないようにしなくては。

本年も、どうぞよろしくお願い申し上げます。