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チェサピーク&オハイオ鉄道のマスコット猫、チェシー

チェシー(Chessie)は、アメリカ史上、最も慕われ、最も成功した企業マスコットの一つだろう。
1933年、チェサピーク&オハイオ鉄道(Chesapeake and Ohio Railway, C&O)の広報・宣伝担当役員だったL.C. Probert氏は、新聞に掲載されていた仔猫のエッチングに釘付けになった。その仔猫は、毛布に包まって眠り、手を満足気に前に突き出していた。

当時、Probert氏は新しく導入されるエアコン完備の寝台車の広告キャンペーンに取りかかっていたが、このエッチングを見た瞬間、『これだ!』とひらめいた。『エアコンの心地よさの中で、仔猫のように眠り、デイジーのようにフレッシュに目覚める』……これが氏の頭の中に瞬時に沸き上がったスローガンだった。
チェシーがC&Oのマスコットとして初めて登場したのは、1933年9月のフォーチュン誌上だった。モノクロ印刷のチェシーの下には、"Sleep Like a Kitten" というスローガンが添えられていたが、仔猫の名前はなかった。
この広告の元となったカラーのエッチングは、ウィーンのアーティスト、Guido Gruenwald氏の作品だ。Gruenwald氏は、動物を愛し、中でも猫に魅せられていた。猫たちの様々なポーズや繊細な毛色を銅板エッチングという難しい手法で表現した作品をたくさん生み出したが、その中の1点が後にチェシーという名で親しまれることになるこの仔猫だった。C&Oは、Gruenwald氏から、この作品の使用権をわずか5ドルで買い取った。

C&Oの広告代理店は、この仔猫を軸としたキャンペーン展開を行い、仔猫をチェシーと名付けた。もちろん、チェサピークという社名にちなんでの命名だ。1934年にはチェシーの最初のカレンダーが誕生したが、発行部数は40,000部に上った。また、チェシーの広告は、国内のほとんどの雑誌に掲載された。

上の2枚の広告は、どちらも1934年に掲載されたもので、エアコン完備を訴求する内容だが、インパクトの違いは一目瞭然だろう。

チェシーの人気が上昇の一途を辿る中、チェシーに家族が加わった。1935年にはチェシーに瓜二つの仔猫2匹が、1937年には、ピークという名のパートナーが生まれた。ピークは、チェサピークのピークから取った名前で、Chessie と Peake で Chesapeake とう社名になる。

チェシー一家は、何百万という人々に愛され、大恐慌時代の沈みきった人々の心を支え、元気づけた。第二次大戦下では、お気に入りの寝台車のベッドを兵士のために明け渡した。この時代を象徴する広告がある。

戦場で懐かしいチェシーからの手紙を受け取ったピーク。一日も早い帰宅を心待ちにしていると書かれている。壁にはチェシーの写真。ピークの遠い目が胸にずしんとくる
戦後チェシーは元の乗客獲得のプロモーション業務に戻るが、1971年、客車部門がアムトラックに引き継がれた後は、新たな任務を負うことになる。C&O、ボルチモア&オハイオ、ウェスタンメリーランド鉄道が、『チェシーシステム』という名の元に貨物業務を展開したのである。

現在、チェシーは引退し、時刻表にも客車や貨車にも登場することはなくなったが、チェシーが現役のプロモーターとして活躍していた時代に育った何百万という人々の心には、今なお鮮明に息づいている。
また、Chesapeake & Ohio Historical Society がチェシーの偉業を今に伝えている。

チェシーの現役時代、食堂車の食器も、長旅のお伴でありトランプにもチェシーが描かれていたが、それらは、今、レア・アイテムとしてオークションで高値で取引されている。
また、チェシーのカレンダーは今でも毎年発行され、他にもチェシーをモチーフとしたクッションやTシャツ、帽子、コレクターズ・プレートなど、様々な商品が作られ、人気を集めている。