豪徳寺訪問
<平成14年5月2日>

招き猫と言えば豪徳寺。ぜひ一度訪ねてみようと、一家で車で向かったものの、道一本のところで探し当てられず、夕立ちにも祟られて、やむなく帰って来たのが昨年の夏。今回はしっかり地図で確かめて出かけた。敷地内には参拝者用の駐車場も用意されている。雲一つない快晴のもと、豪徳寺2丁目の住宅街のただ中に、思いもかけないほどの静寂と空間、溢れる緑…そこにはまったくの別世界が広がっていた。

招福猫児(まねぎねこ)の由来となる一件以来、井伊家の菩提寺となった豪徳寺には、世田谷最古の梵鐘や井伊直孝の娘、掃雲院が父の菩提を弔うために仏像五躯を祀った仏殿、本堂、位牌堂などが整然と配置されている。

仏殿と本殿の中程の左手に、我らが招福猫児を祀ったお堂がある。

お堂前には参拝者が供えたお花、左手には願いごと(ロト6が当たりますように!などなど)を書いた猫の絵馬がかかっている。お堂には大きな招福猫児2躯を従えて御本尊の招福猫児が鎮座している。そのなんとも清らかな姿に、写真を撮ることが憚られて、門だけを撮らせていただいた。

招福猫児や絵馬は本殿右手の総合受付で買うことができる。

そして入手してのが、これ。

絵馬は一旦持ち帰り、思いを込めて願いごとを書いて、改めて奉納することにした。


あと2週間早ければ芍薬の花が盛りだったのに、と一人の男性が声を掛けてくれた。この男性、豪徳寺をこよなく愛しているようで、豪徳寺の歴史を語って聞かせてくれた。勤労感謝の日のあたりに、ぜひお出でなさい、と真っ赤に紅葉した豪徳寺の紅葉の写真を広げる。京都に負けませんからと。

招福猫児と一緒にいただいた『招福猫児の由来』を転記させていただく。

東京都世田谷区豪徳寺二丁目所在の豪徳寺は幕末の大老井伊掃部頭直弼公の墓所として世に名高く寺域広く老樹爵蒼として堂宇荘厳を極め賓者日に多く誠に東京西郊の名刹なり、されど昔時は至って貧寺にして二三の雲水修行して漸く暮しを立つる計りなりき、時の和尚殊に猫を愛しよく飼いならし自分の食を割て猫に与へ吾子のように愛育せしが、ある日和尚猫に向かい、「汝我が愛育の恩を知らば何か果報を招来せよ」と言い聞かせたるが其後幾月日が過ぎし夏の日の午さがり俄に門のあたり騒がしければ和尚何事ならんと出て見れば、鷹狩の帰りと覚しき武士五六騎、門前に馬乗捨てゝ入り来り和尚に向かい謂えるよう「我等今当寺の前を通行せんとするに門前に猫一疋うずくまり居て我等を見て手をあげ頻りに招くさまのあまりに不審ければ訪ね入るなり暫く休息致させよ」とありければ和尚いそぎ奥へ招じ渋茶など差出しける内天忽ち曇り夕立降り出し雷鳴り加りしが和尚は心静かに三世因果の説法したりしかば武士は大喜びいよいよ帰依の念発起しけむやがて、「我こそは江州彦根の城主井伊掃部頭直孝なり猫に招き入れられ雨をしのぎ貴僧の法談に預かることは是れ偏へに仏の因果ならん以来更に心安く頼み参らす」とて立帰られけるが、是れぞ豪徳寺が吉運を開く初めにしてやがて井伊家御菩提所となり田畑多く寄進せられ一大伽藍となりしも全く猫の恩に報い福を招き寄篤の霊験によるものにして此寺一に猫寺とも呼ぶに至れり。和尚後にこの猫の墓を建ていと懇に其冥福を祈り後世この猫の姿形をつくり招福猫児と称へて崇め祀れば吉運立ち所に来り家内安全、営業繁昌、心願成就すとて其の霊験を祈念する事は世に知らぬ人はなかりけり。