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2007年7月28日
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杉並区では、『杉並区動物との共生プラン』が検討されており、このコーナーでも、これまで数回にわたってその草案や私の私見、区長宛のメールとその返信を掲載してまいりました。その流れは、歯噛みするようなものでしたが、パブリックコメントの募集や意見交換会を経て、この程、『飼い主のいない猫の世話・杉並ルール(案)』が提示されました。
このことは、7月21日付区報『すぎなみ』、杉並区役所ホームページにも掲載されました。 「飼い主のいない猫」の世話をしている方、 区には、人間による無頓着な猫とのかかわりにより生まれた「飼い主のいない猫」に対する苦情や捕獲の要望(「動物の愛護及び管理に関する法律」により、外で生きている猫を捕獲・処分することはできません)が、数多く寄せられていますが、動物は命あるものとして、尊重されなければなりません。 上記表現のトーンが、これまでと大きく変わったことに、皆さんもお気づきと思いますが、物言えば唇寒し、と半ば諦めかけていた私には、嬉しい驚きでした。 以下、転記させていただきます。 |
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『杉並区における猫の適正飼育と飼い主のいない猫対策(提言)』 平成19年7月28日 7月21日付、区報『すぎなみ』に掲載された本件に関する告知の文面に始まり、『杉並区における猫の適正飼育と飼い主のいない猫対策(提言)』(以下、提言という)、『飼い主のいない猫の世話・杉並ルール(案)』(以下、杉並ルール案という)の表現全般に、これまでにない公平さが感じられましたことを、大変嬉しく思っております。根気よく議論を続けてこられた皆様に心より感謝しております。ありがとうございました。 これまでも、再三繰り返し申し上げてまいりましたが、猫の問題は、そのまま人間の感情の問題です。ところが、苦情主と世話をする側は、一見対立しているように見えて、実は、飼い主のいない猫がいなくなるように、という願いにおいては、まったく一致しているのです。世話をする側も、産めよ増やせよ、と餌をあげているわけではないのですから。このことに気付くことが、問題解決のスタートラインであり、具体策の拠り所となるのだと思います。 今回の提言と杉並ルール案につき、加筆いただきたい点がございます。 地域猫活動の認定に関してですが、行政が支援するためには、掲載されているような要件を備える必要があるのでしょうが、個人の活動をグループ活動へと移行し、認定いただけるような活動に育てるための支援もまた、重要と考えます。 ここからは、提言ならびに杉並ルール案の中から、質問、懸念等を列記させていただきます。瑣末と思われる箇所もありますが、瑣末な部分にこそ、思いが滲み出ると考えますので、敢えて述べさせていただきます。ご回答、よろしくお願いいたします。 【提言5ページ(1)飼い猫への対策 ?身元表示】 ……飼い猫である表示となるため、「飼い主のいない猫」と間違われず、責任を持った対応ができる。 この一文の意味がわかりません。飼い主のいない猫と間違われると、どのような事態が起きるのでしょうか?この場合の、責任を持った対応とは、どういうことでしょうか。この文に、飼い主のいない猫に対する差別を感じますが。 【提言5ページ(2)飼い主のいない猫への対策】 「飼い主のいない猫」が生きている背景には、えさやりなど人から何らかの食べ物を与えられていることが多い。これが苦情の発生原因になり、近隣住民同士の関係悪化の要因にもなりがちである。 この一文は、「餌を与えるから野良猫が生き延びる、餌をやらなければ死んでいなくなるのだから、餌はやるな」という前時代的な暴言を擁護しているように読めます。後段で、 「飼い主のいない猫」については、その地域から排除するのではなく、…… と記されていますが、最初の一文は、論旨としてどこに結びつくのか、不明です。 屋内飼育猫の寿命が10年以上あるのに比べ、「飼い主のいない猫」は3から4年とも言われている。そこで、飼い猫の適正飼養が進めば、「飼い主のいない猫」は次第に減少すると推定される。 とありますが、「飼い主のいない猫」の寿命が10年あったら、「飼い主のいない猫」は減少しないのでしょうか。「飼い主のいない猫」の去勢・避妊と、飼い猫の適正飼養が進めば、数は減少するのであり、「飼い主のいない猫」の寿命は、その減少の速度に関わるだけではないのですか? この項の3つの段落は、繋がりも悪く、趣旨が見えにくい文となっています。次ぎのように書き換えたらいかがでしょうか。 「飼い主のいない猫」を生む大きな要因としては、 【杉並ルール案 1ページ 飼い主のいない猫のお世話をする方へ1】 グループで行動し、苦情には誠実に対応しましょう。 猫の問題を地域全体の取り組みとしていくには、グループ活動の方が望ましいとは思いますが、この文だけでは、個人の活動を蚊帳の外に置くことになります。次ぎのような一文を加筆してはいかがでしょう。 個人の活動もネットワークを組めば、大きな力になります。どんな形であれ、現在活動されている方は、○○までご連絡ください。 【杉並ルール案 1ページ 飼い主のいない猫のお世話をする方へ5】 公共の場所では、無許可で小屋を設置することはできません。 許可を得るには、どこに申請すればいいのでしょうか?また、どのような要件を備えていれば、許可されるのでしょうか? 【杉並ルール案 2ページ 飼い主のいない猫のお世話をする方へ10】 あなたの活動を公開し、情報を地域で共有し、協力や理解を得ることが、活動を活性化させ、地域で認められることにつながります。動物と共生できる社会の仕組みを作っていくことにもつながりますので、いつでも公開できるように活動や会計の報告書を作成しましょう。 一文目はまったくその通りです。ですが、それに続く文が違うように思います。いつでも公開できるように活動や会計の報告書を作成する前に、「どんな形の活動であれ、まずご連絡ください」という文でなければなりません。そして、連絡先を明記してください。 【杉並ルール案 3ページ 飼い主のいない猫から迷惑を受けている方へ1】 野良猫を捕獲して殺処分して欲しい、という連絡を頂く事がありますが、「動物の愛護及び管理に関する法律」により、むやみに猫を捕獲殺処分することはできません。…… 野良猫の殺処分の要望は、増えているのでしょうか、減っているのでしょうか。増えているなら、由々しい問題です。動物との共生という理念が浸透していないか、ごく一部ではあれこうした発言を生む土壌を助長しているのかですから。この場合は、『動物との共生』の理念を諄々と説かなければなりません。法律で禁じられていることは、補足でありたいものです。 逆に、もし減っているなら、「年々少なくなっているとはいえ、今でも、まれに野良猫を捕獲して殺処分して欲しい、という声が聞かれることがありますが」のように加筆できないでしょうか。その発言が今や社会的に受入れられるものではないことを自覚していただく必要があるからです。 いずれにしても、動物との共生を目指していること、命の尊厳への言及が第一で、法律はその裏付けとして追記されることが望ましいと思います。 相手は動物であり、習慣で行動するので、すぐにその行動を変えさせるのは困難です。いま少し、ボランティアの努力を見守り、時間を与え、ご協力とご理解をお願いします。 地域住民の理解があってこそ、地域猫活動は円滑に回っていくのだとは思いますが、かといって、地域猫活動が、猫を疎ましく思う人の許可をいただき、制限された時間の中で結果を出さなければならない、というのもおかしなものです。二文目は、 ボランティアの努力を見守りつつ、自分にも出来ることはないか考えてみてください。 と書き換えられないでしょうか。冒頭に記した通り、ボランティアと苦情主は対立するものではなく、飼い主のいない不幸な猫がいなくなることを共に望んでいるのです。このことに気付いてもらい、目的達成のために自分にできることを考えていただければ、両者の感情的な垣根は低くなっていくと思うのです。 【杉並ルール案 3ページ 飼い主のいない猫から迷惑を受けている方へ2】 苦情を言うだけではなく、地域の問題として協力してあげてください。 こうした項目が加えられましたことを、本当に嬉しく思っております。一連の不毛とも思える議論が決して無駄ではなかったことをしみじみ噛み締め、今後の杉並に希望を感じることができました。 言葉尻を捕えるつもりはないのですが、できれば、「地域の問題として協力してあげてください」の「あげて」を削除していただけないでしょうか。地域猫活動にとっては、これまで苦情ばかり言っていた方に、「協力してあげる」と言っていただけたら、どれほど嬉しいか分からないのですが、公平な行政の言葉としては、「協力してあげてください」ではなく、「協力してください」でなければならないと思います。
ご回答をお待ちしております。
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