『杉並区動物との共生プランへの提言(中間のまとめ)』に対する私見

2007年3月25日

これまでにも数回にわたり、杉並区で目下検討されている、『杉並区動物との共生プラン』に対する疑問や私見を述べた区長へのメールと区側からの返信を掲載してきました。『動物との共生具体化検討委員会』において検討されてきた共生プランは、提言としてまとめられ、25日と28日に意見交換会が開かれることになりました。合わせてパブリック・コメントの募集がありましたので、私も私見をまとめて送信しました。

言いたいことは山ほどあるのに、いざ書いてみると、これまでの主張の繰り返しに終止し、胸中の半分も書けなかったような気がします。また、この機会に東京都の答申等、調べてみたのですが、いずれも「はじめに結論ありき」の感は否めず、海外事例も、その結論に導くために都合の良いもののみが取り上げられており、公平性に欠けるものでした。知る機会を得ず、知る努力もしなかったために、多くのことが規制事実として今後の議論の前提とされていることを知り、恥ずかしいやら、腹立たしいやら。

以下、今回の送信した私の私見を転記させていただきます。パブリック・コメントの対象である『杉並区動物との共生プランへの提言(中間のまとめ)』については、

http://www2.city.suginami.tokyo.jp/library/library.asp?genre=702579

をご覧下さい。


『杉並区動物との共生プランへの提言(中間のまとめ)』に対する私見

私見を述べさせていただく前に、冒頭に添付された矢花会長の1ページの書面につき、一言申し上げます。パグリック・コメントは、『杉並区動物との共生プランへの提言(中間のまとめ)』(以下、『提言』と呼びます)本文に対して求めるものであり、予断を持たせるような文面を付与されたことは誠に残念に思います。誤解を解いておきたい、というお気持ちはお察しいたしますが、極端な例を引き、それを強く否定することは、パブリックコメントを誘導する行為です。一見まったくの誤解や歪曲に思われる風評の底流には、提言に対する疑念や問題点が潜んでいることが少なくありません。また風評は、提言として明文化されたものの裏側に隠された本音を直感的に嗅ぎ出している場合もあります。風評を一蹴する前に、皆様の出された指針が、なぜそのような伝わり方をするのか、一度お考えいただければと思います。

 

総論

動物との共生をプランとして行政が策定しなければならないことは、人がごく自然に動物と共生していく風土が培われていない証でもあります。確かに他者への気遣いの欠けた、良識のない飼育や、自身で責任の取れない繁殖是認など、飼育者や保護者に対する啓蒙は必要でしょうが、その前段として、区民全員に動物の愛護精神を培うことが肝要です。

「……人を動物に対する圧倒的な優位者として捉えて、動物の命を軽視したり、動物をみだりに利用したりすることは誤りである。……」

これは、動物愛護管理基本指針(素案)の冒頭、「動物の愛護」の項の一節で、これは「動物の管理」に先立って述べられています。この「人を動物に対する圧倒的な優位者として捉えて」いることが、昨今の動物に関わる地域の軋轢の根底にあるように思われます。

「国の偉大さや、モラルの高さは、その国における動物の扱い方でわかる」とは、マハトマ・ガンジーの言葉ですが、杉並区民の中に、この大前提を根付かせ、偉大な杉並、モラルの高い杉並、となることが最優先課題であると信じます。

これをを大前提として、以下項目ことに具体的な私見と要望を述べさせていただきます。

第2章        計画の基本視点と具体的指標

視点1 「……こうした地域づくりのために、動物の飼い主だけでなく、……」という文言の「動物の飼い主だけでなく」を削除して欲しいと思います。これが入ることにより、言及されている動物が、飼い主のいる動物に限定的に読まれる危険があるからです。

視点3 「人と動物の共通感染症」という部分に、「狂犬病等」という文言を追加して欲しいと思います。巷では、「猫エイズ」が人間にも感染するという誤解が蔓延しており、それが家のない猫を迫害する大きな要因になっています。犬の発症例がなくなって久しい日本では、共通感染症と聞いて、狂犬病よりむしろ猫エイズを誤って想起する可能性が高いのではないかと危惧されます。共通感染症は狂犬病に限ったことではありませんが、猫エイズに対する誤解の後押しを避けるためにも、「狂犬病等」を加えてください。

総合目標達成のための3つの具体的指標 収容される頭数

収容数ではなく、殺処分数に変えてください。区ごとの殺処分数が把握できない場合は、「収容頭数の内、猫は98%が殺処分となっている」と明記されることが必要です。

 

第3章        基本視点に基づく4つの推進プランと重点施策

第2章の基本視点でも第一に述べ、目標達成のための具体的指標でも「収容頭数」3割減として最初に掲げられた目標に対し、推進プランの1が「飼い猫の登録制」になっているのは、腑に落ちません。

収容される猫の9割が生まれたばかりの目もあかない子猫です。その最大の要因を、子猫の遺棄とする向きがあるようですが、これは検証する必要があると思います。飼い猫の避妊・去勢率が90%近くになっているのに対し、家のない猫の避妊・去勢率はどれほどなのでしょう。

この数字をもって、はじめて、施策の優先課題が決められると思います。

家のない猫の避妊・去勢については、助成枠の拡大とボランティアに丸投げしない実施方法を検討すべきではないでしょうか。

推進プラン1に掲げられる内容は、「動物愛護精神の普及・啓発」であり、提言の後段にあるものが前段にくるべきです。

さらに啓蒙を必要とするのは、まず大人です。

「とりわけ、子どもたちには……」は「子どもたちに、動物との関わりを通して、命を大切にし、他者を尊重する心を育てるためにも、教育機関での取り組みだけでなく、子どもを家庭、地域ぐるみで育む大人たち全員の深い理解が不可欠です。」としてください。

後段において、収容頭数を限りなくゼロにする施策として、家のない猫の避妊・去勢の助成と行政の積極的な取り組み、飼い主に対する啓蒙が述べられるべきでしょう。

この飼い主の啓蒙も、イコール登録制度とはなりません。

登録制の目的にはいくつかあるようですが、それぞれについて述べたいと思います。

1)逸走の際の救済

提言では、鑑札を付けるようになっていますが、猫の行動パターンから、猫の首輪は安全のために一定の力が加わると、外れるようになっているものが多く、この機能がない首輪の場合、緩めに装着しているのが普通です。猫が首輪をなくしてくるのは常で、これに鑑札を付けても、あまり意味がありません。このような意見が上がってくるのは、専門家である委員には十分に予見できるはずで、それが摩擦のないマイクロチップ導入に繋がると考えておられるのではないでしょうか。マイクロチップについては、その安全性を十分に立証していただくことが大前提となりますが、もしマイクロチップが必要であるなら、最初の対象は、家のない避妊済みの雌猫でしょう。これは、二重の開腹を防ぐためです。

2)遺棄の抑止

無責任な飼い主が猫を遺棄する場合、鑑札を付けたままで遺棄するはずもありません。

これは自身の責任を逃れるためばかりでなく、首輪を付けた猫は飼い猫と思われて、保護の手が伸びないことを思う、残されたわずかな良心のなせる行為です。飼い主がどのような思いで遺棄するのか、さまざまでしょうが、安易な考えであれ、断腸の思いであれ、鑑札が食い止めることなどできないと考えます。

3)適正な飼育を啓蒙する機会の提供

確かに登録に際して、飼い主が保健所との接点をもつことになり、「自分と猫」だけの関係を地域という一回り大きな枠の中で捉えることにはなるだろうと思います。こうした接点を経験することにより、困ったときに相談する道も開けるでしょう。しかしながら、こうした接点をもっとも必要とする人は、自発的に登録に来るような人ではなく、たとえ義務化されても登録しないような人たちなのではないでしょうか。すでに述べた通り、啓蒙は、あまねく区民全体に必要なのであり、そのためには、飼い主、保護活動者、その他一般の区民、それぞれに向けた内容を一冊に収めた保存板のリーフレットを作成し、区報のように全戸に配布した方が効果的だと思います。

当面、任意登録として、適正飼育への効果を検証するとありますが、動物愛護推進員や動物適正飼養普及員の活動、相談窓口の設置や避妊・去勢に対する助成の拡充等が複合的にスタートする中、何をもって登録の効果と判断するのでしょうか。

実際に登録した人のアンケート等が、その判断の主材料となるとしたら、それはあまりに偏ったデータとなります。

このように、登録の効果のみを見ても、大きな疑問が湧きますし、より効果的な代替案も多数あるように思われます。ましてや、登録制度の弊害を考えると、とても賛成できるものではありません。登録の弊害として、登録のない猫に対する差別や虐待に繋がる、という意見が多かったのではないでしょうか。委員会ではこれを強く否定されておられますが、問題は委員のみなさんの真意がどこにあるかより、受け取る側の反応なのです。人は、自分の都合のよいように、ものごとを歪曲していきます。それは、委員各位に防げるものではありません。差別や虐待が予見される中、それに対する対策もないまま、効果的とは言えない登録制を実施することに対しては、断固反対させていただきます。

 

推進プラン2

飼い主のいない猫対策にこそ、行政の力が期待されますが、この項になると、突然にボランティアが前面に押し出され、行政は後方支援に回っているような感があります。

行政は、我が事として考え、ボランティアがそれを支援するのが本来ではないでしょうか。

1)飼い主のいない猫の避妊・去勢に対する助成について

・申込期日を撤廃してください。いつ捕獲できるかわからない猫に対して、助成の申込期日があることは、実勢に全くそぐわないことです。期日を設けるのは、予算との兼ね合いでしょうが、予算を毎年に分割するのではなく、一度、集中的に使ってみてはどうでしょうか。正当な給付対象全頭に給付する方が長い眼で見て効果的だと思われます。さらに、この予算を補填する寄付の募集やバザーなども開催してはどうでしょうか。

・広く個人にも給付してください。飼い猫に助成することを防ぐため、特定の団体や、条件をクリアした個人に給付を絞り込んでいるのだと思いますが、これでは公平性に欠けます。個人が対象となる猫を発見したら、担当部署に連絡し、即時猫の生活状況を確認していただいた上で捕獲、給付、という手続で良いのではないかと思います。

・捕獲器の貸出し、輸送の支援もお願いします。避妊・去勢をしなくては、と思いつつ、手順も判らず、輸送手段も持たない人が多くいます。手順の指導や捕獲器の貸出し、動物病院と連携した輸送支援等、一連の援助が待たれます。(単発で捕獲器を貸し出すと、売却や虐待目的で捕獲することに使われる危険があるので、避けなければなりません。)また、こうした支援について、周知徹底できるよう、公園や遊歩道等、飼い主のいない猫が生活する場所に、目立つ掲示をしてください。こうした掲示をすることにより、一般の区民に対しても、杉並の取り組みが明確になり、いたずらに猫を疎んじる傾向が是正されると思います。

・動物適正飼養普及員の立場と与えられる権限、その権限の裏付けを明確にしてください。『委嘱』という言葉が使われていますが、行政に準ずる権限を与えられ、有償で任務を果たす人、と考えてよろしいのでしょうか。不適切な行為に対する注意や改善指導は、不用意にできるものではありません。これはペットマナー普及員についても同様です。

 

推進プラン4 (15)問題のある餌やり方法への対策

・ 「……近隣の理解を得て、……」とありますが、これは具体的にどういうことでしょうか。不妊処置をし、衛生管理をしながら餌やりをしている人が、衆人環視に曝されるのを防ぐのは行政の仕事ではないでしょうか。まっとうに餌やりをしている人が理解を求めなければならない状況は由々しいものです。まっとうな餌やりは「許される」ものではなく、「奨励される」「望まれる」ものでなければなりません。このコミュニティ感情を培うべき提言の中に、なぜこのような文言があるのか、良く考えていただきたいと思います。

・ 同項で、「……猫の無策な増加に関しては、改善のための注意・指導・命令等が必要です」とありますが、ここでも不妊処置を我が事と考えていない行政の姿勢が見て取れます。撒き餌や置き餌について、注意・指導はできても、「猫の無策な増加」をどう注意、指導・命令するのでしょう。不妊処置に協力を求め、それが得られなかったら、行政、もしくはそれに準ずる機関、団体が主体となって実施するしかありません。不妊処置の必要性は訴えることができても、不妊処置を餌やりの免罪符にするという考え方は、誤っています。

・ 同様の理由で、罰則をも視野に入れた規制方法の立案には反対です。撒き餌、置き餌に対しては、ゴミのポイ捨てを取り締まる軽犯罪法を適用すればいいのではないでしょうか。餌をあげている人の多くが不妊処置を我が事として捉え、実施していると思います。それは必然ではあっても、当然ではないと思うのです。それを当然、とするところに、飼い主のいない猫の問題が軋轢を生む原因が潜んでいるのです。餌をあげない人は不妊処置には無関係で、苦情ばかり言っていればいいなんて、おかしくありませんか?不妊処置をみんなの問題としたときに、はじめて苦情の根っこが消えてくるのです。学校を例に取っても、校則の多い学校ほど、風紀が乱れています。規則は少ない方が望ましいのです。規則を作るというのは、ある意味、敗北であり、民度の低さの証でもあります。規制方法など、思いつく全てを尽くした後に敗北感を舐めながら検討すべきで、この段階で文字になることすら恥ずかしいことと考えます。

 

長々と書き連ねてまいりましたが、動物の問題に限らず、「自分さえよければ」症候群に冒されている昨今、この提言が、区民一人一人が、自分には厳しい眼を、コミュニティとその住人である人や動物には優しい眼を向け、自分にできることが何かを考え、臆せず手を差し伸べる、そんなきっかけになることを願って止みません。

 

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