蝉丸 EXHIBITION2004 桜春 訪問

2004年4月2日

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春を待っていたかのように、この時期、個展、作品展が目白押しだ。年頭の決意である『尻重返上』を再度胸に刻み直し、どんどんと出かけることに。幸い久しぶりに連休も取れ、旦那様と連れ立って北鎌倉は明月院の裏手、ギャラリー月で開かれている蝉丸さんの作品展に向かった。
葉祥明美術館の明るいレンガ造りの建物を左手に、明月院の入口のしっとりと隠れるような佇まいを右手に見ながら坂を上る。明るい陽射しにコートを脱ぎ、Tシャツ一枚で歩を進めていたが、明月院を越えるころから空気が変わる。野鳥のさえずりが澄んだ山の空気に際立ち、そよぐ風もひんやりとして、ほてった顔に心地よい。


『明月窯』という大振りの看板が目に飛び込んできた。看板の右手に、木の黒が漆喰の白に映える建物が2棟、その間の階段の向こうにギャラリー月はあった。数段の階段を上った所に鐘が釣ってある。カランという音と同時に、ギャラリーの中から青蜩丸さんが、階段の下から蝉丸さんが姿を見せ、温かく迎えてくださった。

ギャラリーに足を踏み入れて、まず目を奪われるのが、大きな屏風に描かれた母娘の日本画だ。まだ幼い少女は、いかにも利発そうで、行く先に確かな視線を向けている。まるで自分の将来を見定めているような、きりりとした視線だ。少女と手をつないで歩く母親は、娘を振り返る。少女のオーラが母親を振り向かせたのかもしれない。娘を見る母も、わが子の成長と将来に確かな手応えを感じているように見える。やさしくはあっても、情に流されず、責任をもって子を育てる母の目だ。母も娘も気品に満ち、しかも力強かった。私が息子を見る目は、もっと上ずった、ふわふわしたものだったような気がして、恥ずかしくなった。
この母親は、実は青蜩丸のお祖母様。娘がお母様なのだ。
この北鎌倉の地に窯を造られたのは、京都出身の陶芸家、青蜩丸さんのお祖父様だという。青蜩丸さんは、同じ陶芸に打ち込む蝉丸さんをパートナーに迎え、それぞれが独自のモチーフや表現を模索しながら、明月窯の火を焚き続けている。その時の重みは、鎌倉という地にも和して、重厚な光を放っている。

蝉丸さんの猫がならんでいる。手許の写真に写った猫たちが、ほどよいスペースを占めながら、そこに居た。お互いを牽制しあうこともなく、あるものは寄り添うように、またあるものは孤高を保つように、そこに居る。以前別の場で目にした猫も、ギャラリー月という空間の中でまったく違う表情を見せている。私は4体の猫を譲っていただくことにした。私の用意する空間では、どのような表情になるのだろうか。ギャラリー月に居る猫たちの誇らし気な表情を見ると、ここから引き離すのは忍びなくも思われるが…。

奥に光源氏を思わせる若君が姫君を胸にかき抱く人形が置かれている。激しく燃える二人の胸の内が、見る者を苦しくするほど素晴らしい作品だ。蝉丸さんの底知れぬ力量が感じられる。

「そのチェスセットは譲っていただけるのでしょうか?」黙って作品を見ていたの旦那様の突然の声に、私は驚いた。
「う〜ん、これは手放すつもりは…」
「そうですよねえ」
男同士の会話が続く。
青蜩丸さんが一昨年に制作したチェスセットは、圧巻だった。大きさもさる事ながら、一つとして同じ駒がない。いずれも力強く、いざ戦わんとする気迫がみなぎってきる。赤のチームは炎、黒のチームは月。通常のようにキングを囲い込むのではなく、クイーンを我が者にするのが、このチェスの戦いの目的だそうだ。それを伺っただけで、いろいろなシナリオが頭を駆け巡り始める。

4人でしばしアート談義に花を咲かせ、ギャラリーを後にした。気付けば2時間半の時間が経っていた。

せっかく訪れた鎌倉なのだから、お昼は懐石料理を、と調べて来たのだが、どこもお昼は3時まで。わずかのところで、チャンスを逸してしまった。止むなしと入った甘味処で、私たちを迎えてくれたのは、嬉しいかな、3匹の猫たちだった。

入口脇のテーブルに置かれた籠の中にいた茶とら白は、まだまだ子猫。近付く人に、あどけなさと警戒の混じった目を向け、テーブルから飛び下りた。それでも遠くへ行くわけではなく、傍をする抜けては戻ってくる。やがて鯖とらがやって来て、二匹で鬼ごっことなった。手入れの行き届いた庭を二匹の姿が駆け抜ける。いつの間にか、入口の籠の中に茶とらが座り込んでいる。茶とらは、大人の落ち着いた視線で、庭を眺める。その視線の先を、私たちも眺める。

猫に始まり、猫に終った半日だった。
蝉丸さんの作品を飾るテーブルを用意しよう。
猫たちが気に入ってくれるといいのだが…。

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