くさび(H.19.8.16)

ロッキーママが突然逝ってしまった。

7月の豪雨や雷雨、梅雨明け以来の猛暑、折りあるごとにロッキーママを抱いては、屋内に連れてきてはいた。
豪雨や雷雨は余程怖いらしく、おとなしく2階の一室で我慢していたが、大雨さえ降っていなければ、身を低くして居間から抜け出し玄関に直行してしまう。4年程前までは、一緒に暮らしていた我が子に怯えてしまうのだ。2階のクーラーの程良く利いた部屋に一人閉じ込めても、鳴き通して、ドアをガリガリと引っ掻くばかり。

この一週間の夏休み、家族揃って老舗のランチ巡りに連日出掛けていた。その都度、ロッキーママをどうするか思案したものの、10時ともなれば、小屋の中にいる筈もなく、空の小屋を一瞥して出掛けた。
かすかな心配をよそに、夕方になれば、お気に入りのよしずの掛かった小屋の屋根に戻っていた。

一昨日は、昼食後、マーケットでロッキーママのご飯や猫砂を車のトランク一杯に買って帰った。10?の猫砂を何袋も物置に運ぶのは一仕事だ。クーラーに当たって一心地ついた後、庭の水まきを始めると、水の嫌いなロッキーママは、慌てて塀に駆け上がり、隣家に逃避行。だが、ホースを片付け終えた頃には、よしずの上に戻っていた。
「さあ、お家に涼みに入ろうよ」と抱き上げて居間に行くと、いつも座る私の椅子にはミヤちゃんが寝ていた。お父さんの席のクッションに下ろすと、意外にも大人しく座っている。私が動くと、私のいない方、いない方に座り直す。随分と嫌われたものだ。
「そうだ、ママ、お風呂に入ろうか。ずっと前から約束してたもんね。さっぱりしようよ」
約束していたとは云え、水嫌いのロッキーママがお風呂好きな訳もない。嫌われついでの思いつきだった。

いつものように裸の体にロッキーママを抱き、お風呂へ。シャワーの音を聞くと、ひび割れたような声で2、3度ないたが、これは毎度のこと。シャンプーバーを塗って爪の間からお尻まで、きれいに洗いあげた。その間はシャワーが止まっているから、大人しいものだったが、再びシャワーを出すと、またまた悲鳴をあげる。はいはい、もうすぐ終わりだから、と顔を洗って、何とか終了。タオルでざっと水気を取り、おばあちゃんを呼んだ。
「ドライヤーで乾かす?」
「タオルで良く拭いてあげればいいんじゃないかなあ」

そんな言葉を交わした時だった。突然、ロッキーママが喘ぎ呼吸を始めた。
「おばあちゃん、水!注射器!先生に電話!」
私は叫んだ。危機的な状態であることはすぐにわかった。ロッキーママは、揺れる腰で玄関の方に歩き出す。飲ませた水は喉を通らず、玄関で二度程咳き込んで、そのまま私の腕の中に倒れ込んでしまった。おばあちゃんがオウム返しに伝える先生の言葉に従い、お風呂に戻って水をゆっくりと掛け、心臓マッサージしたが、瞳孔は大きく開き、あっと云う間に、瞬膜が眼の大半を覆ってしまった。
濡れそぼった何の反応もない体をバスタオルに包み、車の後部座席に乗り込んで、人工呼吸と心臓マッサージを繰り返しながら、先生の元へ急いだ。もうどうすることもできないことは判っていた。先生は、一目見て、聴診器を当てただけだった。
最初に喘いでから倒れるまで、1分となかった。

いつかは必ずやってくるロッキーママとの別れが、脳裏に浮かぶようになったのは2ヶ月ほど前からだろうか。辛くない別れなどあろう筈もないが、ロッキーママとの別れは全く異質の、身にズシンと堪えるものだろうと思った。だが、その別れの光景をちらとも思い描くことはなかった。外に暮らす猫のこと、死期を悟れば、身を隠してしまうのが常だが、そんなことさえ思いもよらなかった。ただ、毎晩帰宅したとき、ロッキーママと語り会う時間がわずかずつ長くなっていた。ロッキーママを抱いて、星を見たり、庭のそこここに咲く花を眺めたり……。小屋を奇麗に洗い、新品のベッドをしつらえたのは、つい2週間前だ。

こんなに直ぐの、ましてこんな形の最期など、だれが想像しただろうか。一番嫌いな水を浴びたのが最期だなんて。お風呂で体温が上がってしまったのか、水に対する恐怖が引き金か……お風呂にさえ入れなければ……。今、胸に深く突き刺さるものは、後悔や懺悔ではない。
暴れないようにロッキーママの両手を握っていた左手……抵抗できない者を追い詰め、命まで奪ったことに対する恐怖と、自分の傲慢さとご都合主義に対する絶望だ。

ロッキーママの死顔は、決して優しくなかった。
こんな死に方はしたくなかった、自然に命が消えるまで生きていたかった、この無念がわかる?
いつから、そんなに心の通わない人になっちゃったの?私が子どもを託した貴方なのに?なぜ?
ロッキーママの問いかけは、私の胸の奥底にくさびとなって打ち込まれた。痛い。

7年前、ロッキーママがまだ会社のビルの裏手の、人の入れない塀の陰で子育てをしていたとき、ロッキーママは、仔猫をくわえてきては、差し出した私の両手の中に置いてくれた。私に仔猫たちを託してくれた。あの頃は、猫の心と呼応できる柔らかさを持っていたのかも知れない。我が家が常に10数匹の大所帯になって、たくさんの猫と接し、たくさんの猫の書物を読んで知識も詰め込み、いつの間にか、いっぱしの猫の達人を気取っているうちに、私は猫たちと水平線の上で話すことが出来なくなっていったのだろう。私がしたり顔で接しているのは、私が思い描いた猫であって、真の猫の姿はどんどんと遠のき、すっかり見えなくなっているのだろう。
ロッキーママの子どもたちを両手に受け取った頃は、私は、まだまだ手探りだった。手探りしながら、猫たちの声を聞き取ろうとしていた。そんな私の耳には、はっきりと猫の声が聞こえた。

ロッキーママとの別れを漠然と思うようになったこの数ヶ月、ロッキーママは私に精一杯訴えていたのだ。それを真正面から受け止めなかったのは、私の鈍化とご都合主義のせいだ。この炎天下、せめて夏休みの日中くらい、ロッキーママを膝に、クーラーの入った居間で過ごすことはできたはず。どこかでそれを願いながら、家族の夏のお楽しみを壊すことが怖かった。家族に自分の気持ちを話すこともないままに、後ろ髪引かれながら外出し、ひとたび家を離れればすべて忘れ、美味しい食事を堪能するばかりだった。
その間に、老いた体がどれほど消耗しているかを想像もできず、外見異常の見られないロッキーママの姿に安心しきって、お風呂にまで入れる始末……。

そう言えば、最近、ロッキーママはいつもの返事をしなくなっていた。話しかければ、「ふぅぅん、あぁぅん」と絶妙な間合いで返事をしていたのに。
「ママ、だぁーい好き!」と「ママは可愛いねぇ」の二つがことのほか好きで、大きなごろごろで答えてくれていたが、そのゴロゴロも小さくなっていた。

亡くなる前日の月曜日、久しぶりにおばあちゃんがゴミ出しに行った。
「ロッキーママ、付いて来た?」
「車のところまで来て、そこで待ってた」
「あらまあ、横着しちゃって、暑いもんねぇ」
ロッキーママがいつも通り付いて来たかどうか尋ねたのは、一つの健康のバロメーターだと思ったからなのに、なぜこんな風に会話を終わらせたのだろう。付いて行こうとしたことに安心して、それでおしまい。それ以上、歩いて行けなかった、となぜ思い至らなかったのだろう。

そう言えば、そう言えば、そう言えば………
なぜ、なぜ、なぜ………

ロッキーママの写真を探す。何千枚にもなった猫たちの写真の中で、ロッキーママの写真の数は少ない。いくらマイハウスを持っていようと、家の外で暮らすということは、そういうことなのだ、と改めて思う。
その少ない写真を辿っていくと、一年前の夏と今年の夏との間に大きな落差があることに初めて気付かされる。
先日の健康診断の時に測った体重は前年と変わらず、全身状態も良好だったが、その外見の下で動く精密機械は、きしみ、脆くなっていたことだろう。
どんなにしんどかったろう。

ロッキーママが亡くなってからの暑さは、私には何倍にも感じられる。その暑さに喘ぐことが償いになるのなら……
シャワーの音は、私の心臓を鷲掴みにする。酸欠のような苦しさが続く。その苦しさをじっと苦しむことが償いになるのなら……

てっちゃん、ロッキー、なっちゃん、マロン、ファイト、チビタ……これまでは天国での再会までの短い別れを別れた。
ロッキーママと再び会うことは叶うのだろうか。なぜか、ロッキーママは、天国ではなく、天上にいるような気がする。

ロッキーママが打ち込んだくさびを溶かすのは、これからの私の生きようなのだが、くさびをそっくり溶かすことができるほどの生き方ができたとしても、私が天上になど上れるはずもない。ただ、ロッキーママに「よしよし、たまには会いにいこうかな」と思ってもらえるような生き方をして、ロッキーママの訪問を待つことしかできないだろう。でも、もし、ロッキーママが会いに来てくれて、私が引き止めたら、ロッキーママは、いつまでも傍に居てくれるような気がする。

ロッキーママの遺骨は、今日、家に戻る。