親の背中を見て子は育つ(H.19.6.30) 子供は親の背中を見て育つという。この比喩的な表現に、ふむふむ、と納得しながら、私はそれなりに頑張って仕事をしてきた。勤め人だった私の仕事中の背中を、子供が実際に見ることはなくても、それは伝わるものと信じて疑わなかった。だが、最近、「背中を見て育つ」というのは、比喩ではないのではないか、と思い始めた。 私は、仕事場と家が同じ屋根の下にある商家に育ち、親は仕事、私の面倒を見てくれるのは専らお手伝いさんだった。夕食の話題も、仕事がらみのことばかりで、学校から帰ると、まず母親の横顔にその日の仕事の状況や気分を読み取るのが習慣となった。私にとって親は甘える対象ではなかったような気がする。かと言って、特定のお手伝いさんに愛着を持ったこともない、妙に大人びた子供だった。自分の性格の歪みは、すべてここに起因すると勝手に思い込んでいた。 このところ、毎朝、ぬーちゃんにハーネスを付けて玄関先の植込みのあたりで一時を過ごす。我が儘を言わないぬーちゃんの唯一のおねだりが、朝の外出(?)なのだ。最初は、コンクリートの上でごろりと寝転ぶぬーちゃんの隣に腰を下ろして、お天気のこと、日に日に伸びるアジサイやアマリリスの話しなどをしていた。だが、植物も毎日眺めていると、剪定した方が良さそうな枝や、咲き終わった花などが目に付くようになり、いつの間にか花ばさみを手に外に出るようになった。植物に関心が芽生えると、花の小鉢を一つ、また一つと買い求めるようになり、その世話が待ち遠しくなる。両手を自由にするために、ぬーちゃんのリードは門扉にくくり付けることにした。咲き終えた花にはお礼の、今が盛りの花には賞賛の、膨らむ蕾みには期待の言葉を掛けながら、切り戻しをしたり、肥料をあげたり。ぬーちゃん相手に語っていた言葉は、バーベナやペチューニアに向けられるようになった。ぬーちゃんは、背後で朝の陽射しに目を細めながら、私の声を聞くともなく聞いている。わずか10分か15分だが、出勤前の慌ただしさも忘れ、静かで、穏やかで、実に贅沢な時間が流れる。 そんなある日、ふと思った。子供とこんな時間を過ごしたことがないと。仕事人間だった私は、家事一切は母に任せきりで、家にいる時間のほとんどは、子供の隣で過ごした。幼稚園の時に始めたピアノの練習も付きっきりなら、小学4年生から通い始めた塾の家庭学習も隣で檄を飛ばし、親の道楽を押し付けたゴルフも当然のことながらびったり一緒だった。こんなことができるのも母のお陰と感謝しながら、私は子供の隣に居続けた。今思えば馬鹿げたことだ。いずれも、途中で放り出さなければ、それなりの成果も得られたかもしれないが、先に音を上げたのは私の方だった。 隣に居て、否応なしに見えてしまうものもあれば、見えなくなってしまうものもある。私は、子供の隣に居続けて、目先の壁に早々と諦め、ひとりでに伸びていったであろう様々な可能性を育む時間も自主性も奪い続けたように思う。私はいつも、子供を見ているか、子供と同じものを見ているかのどちらかだった。子供は、何か別のことをする私の足下で遊ぶこともなければ、何かに夢中になっている私の丸まった背中を見ることもなかった。ああ、こう書いているだけで、息が詰まりそうだ。こんな家庭で、息子が学んだことは、相手の意を汲んで我慢することだけだったかもしれない。 子供の関心事とは別のことをしていなければ、子供に背中を向けることはできず、子供は親の背中を見ることがない。子供を育てる「背中」とは、そういうものだ。その背中が窮屈そうでも、ゆったりとしていても子供は育つ。親が向き合っているものを背中越しに眺め、それが子供にとって興味の惹かれるものであっても、まったく面白気のないものであっても、子供は育つ。自分と切り離された親の背中を見る事で、はじめて子供は育つのだろう。 思い出す。師走も押し迫ったころ、連日夜なべ(残業などと格好のいいものではない)をする仕事場の片隅で、私は転がっている道具をおもちゃに遊んでいた。私は、多くの大人の背中を見るともなく見ていたのだろう。その中で一際目を引く背中が親の背中だった。 |