立って半畳寝て一畳(H18.7.30)

神社猫、じん子は、おそらく天国に旅立ったのだろうが、生前、じん子はいったいどれほどの人を神社に通わせたことだろう。私もその一人。骨に皮を被せたような体、艶のない毛……その風貌はあまりに痛々しかった。思わず目を逸らす人と同じ数の人が、放っておけないという思いを抱き、食欲をそそりそうな食べ物をみつくろって神社に通い始める。
口内炎を起こしているのか、食べ物を口に入れた途端に、必死に両手で口元を拭うじん子に、こちらの胸も割かれるように痛む。

ところが、1、2回じん子のご飯に付き合っていると、じん子が実は大食漢であることに気づかされる。宮司さんをはじめ、その他大勢がせっせと運ぶご飯を次々と平らげているのだ。じん子は決してひもじいわけではない。

それが分かっても、なぜか人はじん子にご飯を運び続ける。その頃には、みんな、じん子との時間を手放せなくなっているのだ。こちらの姿を見つけると、木のベンチから下りて、体とおなじように頼りない足取りで、出迎えてくれる。食事のあと、じん子は当たり前のように膝に乗ってくる。神社の杜の大きな木の下で、じん子の温もりを膝に心地よく感じながら、のどのゴロゴロに耳を傾ける。そのすべてが癒しと諭しだった。

じん子通いが重なる内に、じん子をお目当てにやって来る人と鉢合わせになることもある。じん子ファン同士、話題には事欠かない。お刺身となまりを持ってやって来たその人は、ことの他、話し好きだった。

歳の頃は50を出るか出ないか。アパートに一人暮らしで、長い失業の末、ようやく半年の仕事を見つけたと喜んでいた。その人の住む辺りには、何匹か家のない猫がいるらしい。家主の目を盗むようにご飯をあげて、見つかっては謝って、ずっとご飯をあげ続けているという。ある時、その中の一匹が病気に罹った。どんな病気だったのか定かではないが、その人は、猫を病院へ連れて行った。注射一本に全快の期待を込めたことだろう。病院代は、仕事の安定しないその人には大変な出費だった。だが、注射一本ではどうにもならず、病院通いは続き、ついに、おサイフもポケットもタンスの抽き出しも空になった。
「今日が最後の注射よ。これ以上してあげることはできないの…」
その人は猫に言って聞かせて病院へ向った。
「うん、もう大丈夫だね。これでもう来なくていいよ」
先生の言葉を聞いた時の、安堵感と喜びを、その人は目を潤ませて語ってくれた。

『ネコの575』という猫川柳を集めた本の中に、こんな一句があった。

帰り道 おにぎりひとつ 猫缶ふたつ (コウノスケ)

自分の食べ物を削ってでも、猫に……という思い……。その猫が路地裏の野良猫であっても、この思いは変わることはない。命とかかわるということは、そういうことなのかもしれない。

我が家が猫屋敷であることを知った親戚が、こう言った。
「お金持ちは違うわね」
お金持ち?とんでもない!
その親戚は、お医者さまで、こちらはバブル崩壊の帳尻が未だに合わずにいる自営業者なのだ。

そう言われて敢えて計算をするなら、確かに、猫たちにかかるお金は、4、50年で家の一軒分にはなる。だが、猫と暮らす者、そんなこと脳裏に浮かぶこともない。せいぜい、「今月は病院代がずいぶん掛かったなあ。当分一汁一菜かな」くらいなものだ。

バブル崩壊であらゆる『物』を失ってからついこの間まで、間の悪さを恨み、『再起』を焦り続けた。その10数年の間に、私は10数年歳をとり、新たに10数匹の猫を家族に迎え入れた。
重ねた歳のせいなのか、はたまた家族になった猫のお蔭なのか、長年、心中深く根を張っていた恨みつらみや焦りがいつの間にか消えてしまった。

『達観』などと大それたことを言うつもりは毛頭ないが、これが本当に『あきらめ』の産物なのかどうか知りたいと思う。
順風満帆、今後の生活に不安なく備えもあり、それでも『立って半畳、寝て一畳』と思うのだろうか。安心の中でも、むき出しの命として、猫と向き合うことができるのだろうか。

日々の行動が、生きることからどんどんと乖離していく中で、今日の猫缶と自分のおにぎりの為に働けるというのは、嬉しいことではないか。

『負け惜しみ』『負け犬の遠吠え』……そうかもしれない。でも、敗者だからこそ、より鮮烈に感じることのできる「命」があるような気がする。

目下の座右の書は、『雨ニモ負ケズ』だ。