立って半畳寝て一畳(H18.7.30) それが分かっても、なぜか人はじん子にご飯を運び続ける。その頃には、みんな、じん子との時間を手放せなくなっているのだ。こちらの姿を見つけると、木のベンチから下りて、体とおなじように頼りない足取りで、出迎えてくれる。食事のあと、じん子は当たり前のように膝に乗ってくる。神社の杜の大きな木の下で、じん子の温もりを膝に心地よく感じながら、のどのゴロゴロに耳を傾ける。そのすべてが癒しと諭しだった。 じん子通いが重なる内に、じん子をお目当てにやって来る人と鉢合わせになることもある。じん子ファン同士、話題には事欠かない。お刺身となまりを持ってやって来たその人は、ことの他、話し好きだった。 歳の頃は50を出るか出ないか。アパートに一人暮らしで、長い失業の末、ようやく半年の仕事を見つけたと喜んでいた。その人の住む辺りには、何匹か家のない猫がいるらしい。家主の目を盗むようにご飯をあげて、見つかっては謝って、ずっとご飯をあげ続けているという。ある時、その中の一匹が病気に罹った。どんな病気だったのか定かではないが、その人は、猫を病院へ連れて行った。注射一本に全快の期待を込めたことだろう。病院代は、仕事の安定しないその人には大変な出費だった。だが、注射一本ではどうにもならず、病院通いは続き、ついに、おサイフもポケットもタンスの抽き出しも空になった。 『ネコの575』という猫川柳を集めた本の中に、こんな一句があった。 帰り道 おにぎりひとつ 猫缶ふたつ (コウノスケ) 自分の食べ物を削ってでも、猫に……という思い……。その猫が路地裏の野良猫であっても、この思いは変わることはない。命とかかわるということは、そういうことなのかもしれない。 我が家が猫屋敷であることを知った親戚が、こう言った。 そう言われて敢えて計算をするなら、確かに、猫たちにかかるお金は、4、50年で家の一軒分にはなる。だが、猫と暮らす者、そんなこと脳裏に浮かぶこともない。せいぜい、「今月は病院代がずいぶん掛かったなあ。当分一汁一菜かな」くらいなものだ。 バブル崩壊であらゆる『物』を失ってからついこの間まで、間の悪さを恨み、『再起』を焦り続けた。その10数年の間に、私は10数年歳をとり、新たに10数匹の猫を家族に迎え入れた。 『達観』などと大それたことを言うつもりは毛頭ないが、これが本当に『あきらめ』の産物なのかどうか知りたいと思う。 日々の行動が、生きることからどんどんと乖離していく中で、今日の猫缶と自分のおにぎりの為に働けるというのは、嬉しいことではないか。 『負け惜しみ』『負け犬の遠吠え』……そうかもしれない。でも、敗者だからこそ、より鮮烈に感じることのできる「命」があるような気がする。 目下の座右の書は、『雨ニモ負ケズ』だ。 |