『ご近所の底力』(H18.3.10)

昨日、NHK『ご近所の底力』の制作担当、S氏から電話が入った。
猫が庭に侵入して困っているのだけれど……
という投書が多いのだそうな。
猫の侵入を防ぐ良い方法はないか、とネットで調べていたS氏は、『猫三昧』の『猫の侵入を防ぐアイディア』に辿り着いたというわけだ。

このページ、多くの方からのお知恵をいただきながら書いたもの。残念ながら、我が家で試したことはない。「猫さん、いらはい、いらはい」という我が家では試しようもない。S氏さんが探していたのは、「この方法は効きまっせ」と実体験を語ってくれる人だ。私ではお役に立たない。猫の嫌いな植物について詳しい方を紹介するのがせいぜいだった。だがだが、話は弾んだ、というか、私はしゃべりまくった。

そもそも、「猫の侵入を防ぐ方法」が、どう「ご近所の底力」と結びつくというのだろう???

確かに猫が苦手な人も、猫の糞尿で庭を荒らされて困っている人も少なくないだろう。猫を傷つけることなく、猫を防ぐ有効な方法があれば、それに越したことはないのかもしれない。それでも私は何だか釈然としない。「こらーっ!出てけーっ!」という大声やホウキを持って追い立てる姿の方が、素直に受入れられるのはなぜだろう。水を掛けるなんていうのも、悪くない。この方がずっと陽気だし、外に開かれている気がするのだ。

猫の侵入を防ぐなら、地面すれすれから超高〜い塀を巡らせてしまえばいい。猫も泥棒もシャットアウトできる。だが、お日様も一緒に閉め出しを食うわけで、これは現実味がないのだが、猫の侵入対策をせっせと講じる姿は、心に高い高〜い塀を巡らしているように思えてならないのだ。

「お互い様」という言葉は、半ば死語になっている。自分に対するマイナス要因には過剰に反応し、自らが発するマイナスに鈍感になっている。さらに、さらに、「言ったが勝ち」の傾向は強まり、しかも直接面と向っては言えずに、行政だのに「言いつける」。ちょっと前までは、サイレント・マジョリティなんていう言葉があって、その意向を大切に汲み取ろう、と声高に叫ばれた。だが、サイレント層はだんだんとマイノリティになりつつある。

はす向かいのお肉屋さんや、並びの八百屋さんで買い物をしていた時代、生活の多くが地縁で結ばれていた。少々気に入らないことがあっても、ご近所は大切なお客さんでもあった。偏屈じじい!(ばばあ?)と思っても、「まあまあ」と受入れてきたのではないだろうか。

今は、没交渉でも暮していける。心に高い塀を築いても、生活に支障はない。「ご近所」はそんな弾力性のないコミュニティになっている。それでいいの???『ご近所の底力』という番組は、そんな疑問から生まれたはずだ。だったら「猫が侵入して困る」という人に「たかが猫に目くじら立てなさんな」と言って欲しい。この言葉、愛猫家には言えない言葉なんですから!!
私はS氏相手に思いのたけをぶつけていた。
さはさりながら、サイレント・マイノリティになりつつある我ら愛猫家は、常に猫の命を人質に取られている。猫の命が助かるなら……と「猫の侵入を防ぐアイディア」などを書いてしまう。でも、これ、私の本意ではないのです!と。

先日、金森玲奈さんの写真展に出かけた。片目がつぶれた猫、片耳がちぎれた猫たちの『その瞳のみつめる先に』あったのは、ありのままの人間模様だった。その目に悲痛な叫びなどみじんもなかった。人間に絶望するでもなく、冷笑するでもなく、期待するでもなく、ただただ、ありのままをじっと見つめていた。

私も自分の胸の内をありのままに見なければ!嫌猫家相手だと、ついついムキになるのも、これまた心の塀を築くこと。おっと、いっけない!

猫の問題は、猫では解決しない。「小さな親切、大きなお世話」を踏み越えて、も少し心の手を伸ばしてみよう。ほんの少し、門掃きの範囲を広げてみよう。そんなちっぽけなことこそが、ご近所の心の塀を低くしてくれるのだと思う。

それから、愛猫家のみなさん、もしお家にスペースがあったら、猫さま専用の公衆トイレを作ってください!ちょっと園芸用の土を盛るだけでOKです!