外猫家族に異常あり その1(H18.12.1)
猫ご飯バスケットを片手に、通りから駐輪場に続く通路を覗く。
道路から7、8メートル入った塀の上には、ズレータが香箱を作り、その真下にタマサとコアネが座っている。いつも通りの光景だ。
「おっはよー」
いつもなら、パランパランと走り寄ってくるはずの猫たちが、今日は立ち上がる素振りもない。不審に思いつつ、通路を進む。と、雉トラ猫がぱっと逃げ出すのが目に入った。
(あれ?ホワイトソックスかしら?それにしては、やけに小さく見えたけど……)
兎にも角にも、朝ご飯。ビルの裏手に廻って、お皿を並べ始めた。ズレータも、タマサも、コアネも、所定の位置に集ってきた。だが、ホワイトソックスの姿が見えない。この2年半、工事でもない限り、無遅刻無欠席だったホワイトソックスなのに、一体どうしたというのだろう。その上、お皿の前の3匹も、気はそぞろ、キョロキョロと落ち着きがない。カランカランと乾いた音を立てながら、ドライフードがお皿に盛られても、3匹の視線は定まらず、一向に食べ始める気配もない。
「どうしたの?誰もいないじゃない。さっ、食べよ」
そう言いながら、猫たちの視線を辿るように、すぐ傍に放置された台車の方に目をやると、雉トラの子猫がちょこんと座っている。
(なあるほど。これが原因ね)
ホワイトソックスの兄妹、イケにそっくりな、全身雉トラ、長い真っすぐの尻尾を持つ可愛い子猫だ。さっき逃げ出したのは、この子だった。
「チビちゃんも食べる?」
もう一皿を大急ぎで作り、台車の下に滑らせた。
すると、ズレータがさっと台車の上に乗り、近寄る子猫に鼻を寄せ、くんくんと臭いを嗅ぐ。それが威嚇なのか、単に正体を探ろうとしているのか、判じがたい。子猫は、ストップモーション。
私は、目の脇で子猫を捉えながら、3匹のお皿に次のドライフードを振り入れた。この外猫家族は、ドライタイプのプレミアムフードに付け合わせのドライフード2種と缶詰を盛り合わせたものを常食にしている。付け合わせも缶詰も日替わりだ。さすがに、お皿に次々入っていくフードの臭いに誘われ、3匹は自分のお皿の前に座り、何とか食べ始めた。
パリッ、カリッ、カリリリッ、パリッ……
ドライフードを噛み砕く音は、いつ聞いても爽快だ。思わず頬がゆるむ。
パキッ、カキッ……
小さく遠慮がちながら、一際澄んだ音が混じる。音の出所は台車の下。子猫が食べ始めたのだ。同じ物を食べながら、主が違うと、フードの割れる音がこんなにも違うものかと、驚き半分、感心半分。と、突然、ヒステリックな叫び声が上がった。コアネだった。子猫に飛びかかろうとする直前で、抱き上げ、そのまま胸にかき抱いた。気の強いコアネだが、腕の中で暴れることはなかった。悪さを見つかった子供のように、耳を後ろにして、顎を引き、上目使いに私を見上げる。
「ご飯はたくさんあるからね。あの子にも分けてあげようよ」
一旦は、逃げ出したものの、コアネを地面に下した時には、子猫は悪びれずに、すぐそこまで戻ってきていた。
3匹がやっと食べ始めたドライフードは、たいして減らないまま、ほったらかしにされ、3匹は落ち着きなく耳をあちこちに動かしている。私は、構わず缶詰を開けた。缶詰はみんなの大好物。これだけは食べてくれるだろう。
プルトップの蓋を開ける音に、案の定、3匹はお皿の前に戻り、缶詰が自分のお皿に取り分けられるのを、待ちきれずにいる。最初の一塊がお皿に入りと、3匹でそれを奪いあうから、ワン、トゥ・スリーのタイミングで、取り敢えず全部のお皿に缶詰を入れなければならない。大きさがまちまちだが、量の調整は、二の次となる。3匹が夢中で缶詰を食べる間、パキッ、カキッという例の音が台車の下から聞こえていた。3匹にとって、缶詰の方が大事らしく、子猫の存在は、しばし意識の外に押し出されたようだ。
中途半端に食べて遊び始めるのはズレータの常だが、人の食べ残しも全部きれいにお腹に収めるタマサとコアネも、今日ばかりは完食とはいかないらしい。そそくさと、その場を離れ、食後の身繕いもないまま、思い思いの場所で、正座の姿勢を取っている。まるであちこちに警備員を配したような具合だ。
みんなの食べ残しを一つのお皿にまとめ、食べそこなったホワイトソックスのために、たっぷりとフードを足して台車の下に置く。
突然、猫たちがもの凄いスピードで、隠れ家のフェンスの間に向って走ってきた。1、2、3、……4、5。全部で5匹がフェンスの隙間に逃げ込んだ。1匹は、金網に駆け上がり、大声で鳴いている。隙間を覗くと、ホワイトソックスが、これ以上は見開けないほど、大きな目をして、首をかしげ、私を凝視している。
「なぜ?どうして?」
必死に訴えているように見える。
でもね、その子猫もみんなと同じ場所に逃げ込んだんだけど……
あの子猫、どこから来たのだろう。生後4、5ヶ月といったところだろうか。ふっくらと栄養状態もいいから、どこかの飼い猫かもしれない。それにしても、この小さな猫の登場で、いい大人3匹は落ち着かず、最年長のホワイトソックスに至っては、ご飯抜きで隠れているなんて。
掃き掃除を終えて、事務所に戻ると、1時間近くが経っていた。仕事の絶対量が増えているのか、単に手のろになったのか、このところ、やり残しの仕事が積もり積もっている。猫様にかまけている時間はどこにもない。さてさて、とパソコンに向うが、どうにも気になっていけない。子猫特有の鳴き声は、閉め切った事務所にも届く。
(自分の家に帰ればいいのに。それとも、やっぱり捨てられちゃった???)
お尻がムズ痒く、そわそわと落ち着かない。こんな状態では、仕事も捗らないから、と席を立つ自分に弁解しながら、ベランダに出た。フェンスの隙間を覗くと、タマサの昼寝場所に子猫が丸くなって鳴いている。辺りに先住4匹の姿はない。2年半の間、4匹の固い結束で守り続けた場所を、この小さな1匹に明け渡してしまうのだろうか?まさか!行き先のなさそうな子猫を4匹が追い払う姿も見たくないが、4匹がバラバラになっていくのを見るのは、もっと嫌だった。
何度目かにベランダから下を覗き、どこにも子猫が見えなかった時は、正直ほっとした。もっとも4匹も見えなかったのだが。
午後4時半、階下のステーキ屋さんでの夕食に猫たちが集ってくる時間だ。駐輪場を覗くと、4匹が、ステーキ屋さんの裏口前に座っていた。タマサ、コアネ、ズレータ、そして子猫の4匹だった。
ホワイトソックスは、どこでどうしているのだろう。台車の下のお皿は、からっぽだったから、ホワイトソックスも遅い朝食にはありついたらしいが、いつまで逃げ隠れするつもりなのだろう。かたや子猫は、マイペースで、ボールに汲んだお水をゆったりと飲んでいる。
ホワイトソックスを除く3匹は、子猫を受入れることにしたのだろうか。これは、猫たちが決めること。私が決めること、決められることは何一つないのだと、自分を戒め、納得させながら、事務所に戻った。
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