愛のバトン(H.17.9.30)

9月28日、午前10時に病院に連絡する約束になっていた。その10時を待たずに、電話が鳴った。先生からだと直感した。チビタの容態が思わしくないとのことだった。驚かなかった。24日の夜中に病院に駆け込み、先生にチビタを託した時、私は、チビタと別れを交わしていた。一つしかない緑色の美しい目を胸に焼き付けてきた。痙攣さえうまく抑えられれば、まだ頑張れるだろう、という先生の言葉は、私を素通りしていたのだ。

ケージで運ばれて来たチビタは、体を横たえ、目をわずかに開き、身動き一つしなかった。命の証をどこにも見つけることができなかった。そっと頭に手を伸ばすと、チビタは、驚いたように足をピクリと動かしたが、真っすぐ伸ばした両手は、固まってしまったように動かない。肉球は冷たく、消え行く命の残り火さえ感じられない。入院以来、痙攣もなく、一昨日までは、自分で食べていたそうだが、昨日は強制給餌さえ喉を通らなくなったという。
頭をそっと撫で続けると、時折両足を交互に動かす。まるで歩いているような足の運びだ。朦朧とした意識の中で、チビタはどこを歩いているのだろうか。もう天国への旅を始めているのだろうか。

虫の息のチビタをまた先生に委ねて、家に帰る。
24日にチビタを病院に残して帰って以来、私は、どう時を過ごせば良いのか考えた。答えはすんなり出た。一生懸命生きること……。青臭く聞こえるだろうが、本当にそう思った。特別なことをするわけでもなく、無理をするわけでもなく、ただ一生懸命、普段の生活を普通に生きること。チビタのことをひたすら思い続けるのでもなく、敢えて心から追い出すのでもなく、普通に、一生懸命……。そして、そのように時間を過ごした。過ごせた。納得のいく時間だった。だが、寝ている間だけは、そうも行かなかった。夢見は悪く、金縛りに遭っては、怯えた。

その日の夜12時少し前、チビタは旅立った。本当に穏やかな最期だったという。

翌朝は、これまでの薄ら寒い雲天とはうって変わって、初秋の澄み切った青空に、爽やかな風がそよいでいた。事故の大きな障害を背負いながら生きたチビタの、現世の痛みを労い、来世への旅立ちを祝福しているようだった。

4歳半だと思い込んでいたチビタが、それより少なくとも10年は年を重ねたおじいさんだったと知ったのはわずか2週間前。事務所の階段に現れる前に、10年という時を共に過ごした人がいるはずだ。片目が見えず、顎がずれ、歯は傾き、自分で食べることができないチビタは、一人ではとても生きられなかったはずだから。いったいどうして、その人と離れてしまったのか、来世でチビタに聞いてみたいと思うが、何かのはずみか、やむにやまれぬ事情があったに違いない。
その人は、今もチビタを案じているだろう。私は、その人のチビタへの愛情のバトンを、すんでのところで拾い、離さずにいることができたことを幸せに思う。

チビタは、もう天国に着いただろうか。天国ではロッキーやなっちゃんやてっちゃんがいる。おじいさん仲間なら、ファイトもいれば、マロンもいる。チビタがそちらに向っていることは、もう伝えてあるから、きっと出迎えに出ていることと思う。天国のチビタは、美しい緑の目を二つ持っていることだろう。そんなチビタに再会するために、私も天国に行かなくては。

共に暮した猫たちとの別れのたびに、私は、自分の天国行きを宣言する。その宣言が私を支えてくれる。だがだが、天国行きを実現するには……???
別れた猫たちは、それぞれにヒントを残してくれた。チビタの最後の数日を離れて暮した時に、胸に浮かんだ、「一生懸命、普段の生活を普通に生きること」……これがチビタの置き土産なのかもしれない。そして、これを守っていれば、今を乗り切れるだろう。チビタの3年半を微笑みながら振り返ることができるまで。