2005年如月猫模様 その1(H.17.2.11)

【チビタ】
neco家の家族になった時期:2002年3月16日
誕生日:2001年3月頃か
<家族になった経緯>
会社のスタッフが出かけようとドアを開けた。だが、ドアのノブを掴んだまま、こちらを振り返り、押し殺した声で、私を呼ぶ。そっとドアから顔を出すと、階段に真っ黒な猫が座っている。見たことのない猫だった。足音を忍ばせて近寄るとさすがに逃げ出した。運良く逃げた先は、外ではなく、行き止まりの3階。あっけなく私の腕に収まった。決して子猫ではないその黒猫は、骨と毛皮がぴったりくっ付いたガリガリ、ゴツゴツの体に緑の右目だけが光っていた。左目はつぶれ、顎はひしゃげ、生きていることが不思議なほどだった。自力では満足にご飯も食べられないこの猫を家に連れ帰るのに、迷いはなかった。獣医さんによると、顔に無惨に残るケガは古傷とのこと。左目、顎の他に、鼻まで骨折しているという。これらのケガは、快復の可能性はないが、命に別状はないという診断に、ほっと胸をなで下ろした。よく、今まで生きていた、とつくづく思う。世話をしてくれていた人がいたに違いない。その人とどうして離れてしまったのだろう。それにしても、よくぞ、あの階段に来てくれたものだ。この猫の生命力を感じた。
深緑のきれいな右目の表情が宮沢さんに似ているからと、『隣の宮沢さん』と名付けられたこの猫は、人見知りも猫見知りもしなかった。何も頓着せずに歩く『隣の宮沢さん』を、先住猫たちは怖れた。唯一、らーちゃんだけが母親のようにやさしく面倒を見た。この2匹とエリちゃんが2階を居住区とし、1階のその他大勢と分かれて暮らすようになったが、『隣の宮沢さん』には、隠れた問題があった。夜になると、大声でなき始め、8の字歩行を繰り返すのだ。それは一晩中、来る日も来る日も続いた。近所迷惑を考え、2階は雨戸締めきりとなった。昼間眠ろうとするのを起こし、何とか夜眠るように仕向けたが効果なく、少しでも安心できるように大型のケージに入れても改善されず、やむなく精神安定剤を処方していただいた。薬を飲み眠る姿にほっとする一方、薬が体に良いはずはない、と不安がつのる。そんな問題も心配も、去勢手術が解決してくれた。副作用ならぬ副効用で、夜なきも8の字歩行も見られなくなった。
こうして、障害はあれど、元気な『隣の宮沢さん』の生活がスタートした。
<2005年如月近況>
いつの間にか『チビタ』と呼ばれるようになった『隣の宮沢さん』も、新入りを迎えて、もはや一番小さな『チビタ』ではなくなった。小さな子猫に寄り添われ、お兄ちゃんになった『チビタ』を、『チビタ』と呼ぶのは妙な気がしたが、それももう過去のこと。猛烈な勢いで大きくなる子猫たちは、すでに『チビタ』を追い越しそうだ。
Neco家の成猫の中で、唯一、標準体型を保っているのはチビタだけ。朝夕、おばあちゃんが食べさせてくれるご飯だけしか食べられないチビタは、不憫ではあるが、お蔭で肥満を回避できているのだ。
朝ご飯を食べると、2階へ上がり、日のさんさんと注ぐベッドの上で夕方まで過ごす。隣にはもちろんらーちゃん。そして、今では、レオナやシマチュウが寄り添っている。背中に頭をのせて眠る子猫たちのあたたかさは、チビタの心もあたためているだろうか。これまで独り占めしてきたらーちゃんを、子猫たちと分け合わなければならない一抹の寂しさも感じているのだろうか。チビタの緑の右目は何も語らない。
らーちゃんを頼りに生きてきたチビタは、ニセドやトンちゃんの攻撃を受けては縮こまるらーちゃんの前に身を滑り込ませて、らーちゃんを守ってきた。それがチビタの恩返しだった。だが、子猫4匹までも味方につけたらーちゃん相手では、ニセドもトンちゃんもケンカを挑めないと見え、チビタの仲裁の出番もなくなった。
ご飯をねだる以外、人に甘えることを知らず、遊ぶことも知らず、らーちゃんを頼り、子猫の枕となったチビタの毎日は、静かに過ぎていく。

【ホワイトソックス】
会社の地域猫になった日:2004年7月
誕生日:2003年9月頃
<地域猫になった経緯>
ホワイトソックスと3匹の兄妹は、生まれた時から会社のビルの1階にあるステーキ屋さんが食事の面倒を見ていた。昨年5月頃、この兄妹の雌猫2匹が立続けに子猫を生んだ。ロッキーママがロッキーやニセドたちの子育てをしていた、隣のビルとの僅かな隙間に子猫を見つけたときは、頭を殴られたようなショックだった。子猫が子猫を生んでしまったのだ。しかも、事務所のベランダから眺められる場所で子育てを始めたのでは、見過ごすことはできない。
まず幼い母親たちを避妊しなければならない。生まれてこの方面倒を見ているステーキ屋さんなら、捕まえることができるだろう。だが、この4兄妹、毎日欠かさずご飯をもらいながら、未だに指一本触れさせないという。ならば、猫受けの良い私の出番だ。私は毎朝この4兄妹にご飯をあげることにした。何とか私になついてもらって、病院へ連れて行かなければならない。だが、もともと警戒心の強いところへ、そんな下心が見え見えでは、こちらの意のままにはならなかった。1ヶ月経っても、心の距離は縮まらず、多くの方の応援を得て、捕獲器での捕獲に踏み切った。最初にマーベリックという雌猫が捕まった。続いて捕獲したのがホワイトソックスだった。ホワイトソックスは捕獲器の中で大暴れ。後足の爪が一本取れてしまった。痛い思いをさせてしまったが、仕方がなかった。去勢手術と一緒に爪の治療、ワクチン、蚤取りをお願いした。蒸し暑い夏ということもあり、大事をとって4日ほど入院させていただき、ステーキ屋さんの裏口の前で放した。ホワイトソックスは、猛烈な勢いで子猫のいるビルの隙間に逃げていった。曲り角で振り向き、こちらを一瞥したときの、あの恨みがましい視線は忘れられない。この日から、1ヶ月、ホワイトソックスは、朝ご飯にも姿を見せなかった。マーベリックも、もう一匹の雄猫、イケも姿を見せなくなっていた。
子猫の傍から離れようとしない雌猫、チョコを何とか避妊に連れて行くと、それと入れ違うようにホワイトソックスが戻ってきた。子猫の面倒を見る者がいなくなることを見越したような帰還だった。退院したチョコはやはり姿を消し、ホワイトソックスが残された子猫の父親代わりとなった。
一方、私は、4匹の子猫を保護し、保護できなかった子猫3匹とホワイトソックスを地域猫として世話をする腹を決めた。ペット禁止の管理規約を掲げるこの事務所ビルでの、地域猫活動の始まりだった。
<2005年如月近況>
毎朝、道路に通じる通路で私を待っている3匹の子猫の奥で、ホワイトソックスも私を迎えてくれるようになった。私が4つのお皿にご飯を取り分けるのも待てずに、我れ先に頭をお皿に突っ込み食べはじめる子猫たちに、ホワイトソックスはいつも押し出されてしまう。自分のお皿を確保するのが最後でも、さすが食べるのは早い。一口に頬張る量が多く、あっという間にお皿はからになる。ご飯を足してあげようと手を伸ばすと、何を思うのか、いつも猫パンチを繰り出す。ちゃんと爪は隠しているから、痛くはないが、何の合図なのか、未だ不明。食べている間も、ちょっと聞き慣れない物音がすると、さっとビルの隙間に隠れる。子猫3匹は、顔を上げて周囲を確かめるだけなのに、ホワイトソックスだけは過剰に反応する。大事ないとわかると、再びお皿の前に戻り、食事を続ける。ご飯が終わると、さっさとその場を離れ、身繕いに余念がない。
猫パンチの時以外、触れることができないままだが、いずれ頭を撫でさせてくれることもあるのだろうか。
だが、この用心深さ、警戒心の強さが、子猫を守る上では大いに力を発揮しているのかもしれない。子猫が不用意に道路に飛び出すことはなく、見知らぬ人が現れればさっと逃げる。この一族、実に統制がとれている。雨が降り出すとホワイトソックスが一声泣く。子猫たちが、あちこちから集まってきて、全員で雨宿り。今は、食事が済めば日なたを求めて全員で移動する。どんなに怖がりでも、子猫たちにとっては頼りになる兄貴なのだろう。兄貴??もしかしたら、父親かもしれないが。