大きすぎる足(H17.11.6)

私の朝の日課もずいぶん形を変えてきている。

事務所に着くと大きな鞄を放り出して、その手にほうきとチリトリ、ご飯皿やフードを入れたバスケットを持って、階段を走り下りる。
ビルの裏手に回る通路で猫たちの出迎えを受け、足にまとわりつく猫たちに転びそうになりながら、ご飯の場所まで一緒に歩く。
ご飯皿を並べる前に、ひとしきり猫たちと遊ぶ。
コアネちゃんは、最近、他にも餌場を見つけたらしく、週に2回ほどしか姿を見せないが、いつの間にか驚くほど甘え上手になり、伸ばした私の手や屈んだ膝を甘噛みする。
猫たちの健康状態を見るチャンスはこの時しかないから、一匹ずつ抱き上げて、体中を触ってみる。
おかしな痼りはないか、痛がるところはないか、熱はないか、丁寧にチェックしていく。
ご飯をお預けにされている猫たちは気もそぞろだが、それでもご飯をくれる私の機嫌を損ねまいと、じっと身を任せている。
ホワイトソックスだけは、相変わらず一定の距離を保っているので、身体検査はできないが、ちょうど手が届かない辺りでゴロンとお腹を見せる姿を目の端で捕え、気分の悪からぬことを確認する。

この儀式を終え、いよいよお皿を4つ横に並べる。
「今日は、何を持ってきた〜?」
ズレータは、バスケットに手を掛けて、中を覗き込む。
まずは、ドライフードを順にお皿に入れて行く。
以前私は、全員が食べ始めたと同時に、周囲の掃除を始めていた。
ドライフードを食べ終えると、ズレータとタマサが掃除中の私の足下にやって来て、
「缶詰ちょうだい」
と催促したものだ。
だが、今は、食事が終わるまで、その場を離れることはない。
うっかり目を離すと、食いしん坊タマサとコアネが、のんびり屋ズレータの分を横取りしてしまうことに気づいたからだ。
それに、食べっぷりを観察することも、大事だし。

ご飯の食べ方は十人十色。
癖があって面白い。
ズレータなど、鼻先でドライフードを押し出してしまい、胃袋に入るより、お皿の外に飛び出る方がずっと多い。
すると、タマサとコアネが、自分のお皿を放り出して、その飛び散った粒を先に食べ始める。その分、自分の取り分が多くなるという寸法だ。
そうはさせじ、と私は飛び出した粒を一つ一つお皿に戻してやる。

いつのことだったろう、ドライフードの粒を拾おうと手を伸ばすと、小さな小さなアリが、体の何十倍もあるその粒を運ぼうと、悪戦苦闘している姿が目に止まった。
改めて周囲に目をこらすと、敷き詰められたレンガタイルの上で、まるで保護色のような小さなアリが、あっちでもこっちでも、せっせと働いていた。
ドライフードの粒は、彼らにはどうにも大き過ぎる。
私は、一粒を指先で砕いて、彼らのそばに撒いた。
手頃な大きさになったフードを、アリはさっそく運んで行く。
まるで、頭の上に捧げ持っているようだ。
その姿の健気なこと。

私は、今まで、彼らの営みに、いや存在にすら気づかず、この場所を歩き、掃除してきた。
彼らにとっては、キングコングのように巨大な足を、ためらいもなく振り下ろし、化け物のようなほうきを振り回してきた。
いったいどれほどの小さな命を消してきたのだろう。
私は、この瞬間の自分の靴底の下を思った。
せつなかった。

この日を境に、私の目には、アリの姿が大きく見える。
猫たちが仕留め、バラバラになったゴキブリの残骸を、アリたちが運んでいく。
足を運ぶグループもあれば、触角を引きずっていくグループもある。
百害あって一利なしのゴキブリも、彼らには貴重な今日の糧なのか。
キングコングのような足で、何の感触もないままに無為な殺生を繰り返している私は、いったいだれの、何の糧になるというのだろう。

掃除の時間が倍かかるようになった。
前の晩、誰かが猫に投げてやったお弁当の焼き魚に、おびただしい数のアリが群れている。
ほんの少し、その魚を動かす。
アリたちは、蜘蛛の子を散らしたように逃げていく。
よーく目を見開いて、最後の一匹が立ち去ったのを見極めて、ようやくその魚をチリトリに放り込む。
一歩を踏み出すのもためらうようになった。
ああ、それでも……

自分の足の大きさが、自分の身の重さが疎ましい。

この巨大な二本足を持つ者には、それがもたらす災いに見合った責任が、自ずとあるはずなのだが……。