家の中の見知らぬ光景 (H.16.1.31)

日頃は決して家にいない時間に家にいると、思い掛けない発見があるものだ。
それは単に時間帯の問題ではない。休みの日に家にいたのでは、目にすることのない光景がそこにある。

昨日、朝起きてみると、階下が静まりかえっている。その静けさに、母が寝ていることをとっさに感じた。案の定、朝風呂に入るなり気分が悪くなったとのこと。ベッドに逆戻りしていた。こんなとき、サラリーマン時代なら迷わず有給休暇を取っているところだが、それができない。自営の不自由さなのか、或いは旦那様の会社に居候を決め込んでいる遠慮からか、おそらくその両方なのだろうが…。サラリーマンを辞めたら時間が自由になるなどというのは、とんだ勘違いだった。

母を、卒論を出し終った息子に託して、後ろ髪を引かれる思いで家を出た。病気の時も傍にいてくれないと、母はさぞかし悲しい思いをしているだろう。そんな負い目も手伝って、仕事場のパソコンに向かう自分の体調も最悪となった。何をやっても気もそぞろ、イライラと落ち着かない。家に何度も電話を入れた。留守電になっている。きっと息子がお医者様に連れて行ってくれたのだろう。
何度目かにようやく繋がり、電話を通して聞こえた母の声に緊張がほどける思いだった。確かに元気はないが、取りあえず電話には出ているのだから。

夕方5時を過ぎて、ようやく会社を出られるようになり、走るように家路を急いた。途中、マーケットで、夕食のお惣菜を買い込む。
家の前で、犬の散歩に出かけるお隣の奥さんと出会った。
「あら、どうしたの?今日は水曜日じゃないわよね」
なぜか、お隣さんも私たちの週一のお休みを知っていた。
「おばあちゃんの具合が悪くて…」
「まあ、大丈夫?日頃あんなにお元気なのにねえ」
「ええ、ですから、ちょっと具合が悪いとしゅんとしてしまうんですよ」
「じゃあ今日のお料理は、ピンチヒッターね」
私が手に下げた4つの袋に目をやりながら、お隣さんは言葉を繋ぐ。
「いえ、電子レンジでチンすればいいものばかり買い込んじゃって…」
もう20年以上、料理をしたことがないことを思い、顔から火の出る思いだった。何も正直に言うことなかった。簡単に「ええ」と言っておけばよかったのに、と後悔した。

玄関に近付くと、予想外におばあちゃんの声が聞こえる。おばあちゃんがロッキーママと話をしていた。やれやれ、こうして起きていられて良かった。安堵感で、私の視界が急に開けた。6時少し前、こんな時間に仕事から帰ることはない。見慣れた家の風景が、新鮮に感じられる。首輪をどこかでなくしてきたロッキーママが、のんびり塀の上をこちらに向かってやってくる。

玄関のドアを開ける。いつもは2階から走って迎えに出るエリちゃんの姿はない。たとえ玄関が開く音がしても、よもや私だとは思わないのだろう。
居間に入ると、猫たちがそれぞれ好きな場所にごろりと横たわり、「だれだ〜?こんな時間に〜」と物憂気に大欠伸をしながら、こちらを見る。
窓から入る光線も、見慣れない色をしている。休みの日は、この時間家にいるのだが、朝からごろごろと時をやり過ごしていると、この瞬間のこの陽の色に気付かないのだ。

私と入れ代わりに息子が外出する。家に遊びに来ていたガールフレンドも一緒だ。その二人の後を追うように、宮沢さんがいそいそと見送りに出てきた。
「それじゃあね、みーちゃん」
とガールフレンドが宮沢さんに声を掛けて、帰っていった。
ドアが閉まると、宮沢さんはくるりと向きを変えてこちらにやって来る。兼ねてから、宮沢さんは、息子のガールフレンドのことが大好きなんだとは聞かされていたが、これほどまでとは思わなかった。「みーちゃん」だって?宮沢さんだけは、命名時から今まで変わることなく、また短縮されることもなく、ちゃんと「宮沢さん」と呼ばれてきたのに、「みーちゃん」だって。耳慣れない響きに戸惑い、その甘さにくすぐったい思いだが、そう呼ばれて嬉々としている宮沢さんを見て、思わず赤面してしまうような、「何も見てないよ」と言い訳したくなるような、妙な気分になった。

私が家にいない12時間という時間を改めて知らされた。12時間、猫たちは猫たちで、それぞれの時間を過ごしている。私など、23時間は旦那様と一緒で、自分の時間など、トイレとお風呂の中しかないというのに…

一晩明けて、母は39度を上回る熱が出た。体調不良の原因は風邪だったようだ。今日も早々に仕事を切り上げて家に帰る。今日も意外な発見が私を待っているのだろうか。