猫が開けてくれる扉 (H16.12.10)

私が猫のアートやグッズを集め始めたのは、僅か4、5年前に過ぎない。もっともそれ以前から、猫がデザインしてあるポストカードや便せんといった細々としたものは手当たり次第に買っていた。買った物は、そのまましまい込み、タンスの肥やしにもならないまま、変色する始末。最近になって、ようやく猫柄のステーショナリーをどんどん使うようになり、お気に入りの物は使ってなんぼだ、ということを初めて認識した。
私の猫アート・コレクションのはじめの一歩は、太田耀子さんの置き物だった。3万円という価格のその置き物は、便せん止まりだった私には、おおいに勇気のいる買い物だったが、『え〜い!』と思い切って買わせてくれるだけのインパクトのある作品だった。これを皮切りに、私の猫アート・コレクションが始まった。コレクションと言っても、猫ものに費やせる可処分所得がふんだんにあるわけではない。かと言って、十分に吟味して、『この一点』を見つけ出したわけでもない。その場の勢いだったり、インスピレーションだったり、案外あっさりと買っていたように思うが、それでも、どの一つをとっても、深い愛着があるのは不思議だ。

海外の猫アートに目を向けるようになり、直接海外から買い付けるようになったのは2年半ほど前。日本ではあまり紹介されていないアーティストや工房を探し当てるのは、宝探しのような楽しみがある。
アートと一口に言っても、私のコレクションのほとんどは、陶磁器の置き物だ。未だ、絵にはあまり縁がない。古い伝統を持つヨーロッパの陶磁器を前にすると、自然とその歴史に興味を持つようになる。目下、Royal Crown Derby という工房の猫に夢中なのだが、この工房の生み出す作品は、古伊万里に強い影響を受けている。となると、古伊万里に関心が向く。日本には、世界に誇る陶磁器がたくさんある。日本中の窯を巡ってみたい。興味・関心は際限なく繋がっていく。

私は小学校の頃から図工はまったく苦手で、通信簿はいつも3だった。幼心に、自分は美的感覚が欠落しているらしい、と根強い劣等感に苛まれてきた。その劣等感は、「私はこの作品が好き」と思うことさえ妨げた。美術館に行っても、何の感想も持たないまま、図録だけを買った。大学に入ると、劣等感の裏返しか、全何十巻の分厚い美術全集を揃えた。でも、お気に入りの作品もアーティストも見つからなかった。
そんな私が、今では、「この猫、いいでしょ!ね、素晴らしいでしょ!」と自分の好みの押し売りまでするようになった。これもすべて『猫』のお蔭なのだろう。自分と猫の結びつきを信じることが、永年の劣等感を吹き飛ばしてくれたに違いない。

今年、私はアンティークの世界の扉をわずかに開けた。アンティーク イコール サザビーのオークション と考えていた私にとって、アンティークなど無縁の世界だった。私の事務所のある高円寺は、古着屋のメッカでもあり、100円のTシャツから数百万円のヴィンテージ・ジーンズまであるのだから、少しは関心を持っても不思議はないのだが、サザビーのイメージしかない私には、ピンと来なかった。
私にとって初めてのアンティークは、シガー・ボッックスだった。アメリカでシガー・ボックス・ハンドバッグがブレイクしていることを知り、自分でも猫柄のバッグを作ってみたい、と思ったのがきっかけだ。葉巻の空箱を求めて、伊勢丹のメンズ館や葉巻の専門店に出かけてみたが、日本でシガー・ボックスを手に入れることがいかに困難かを知る結果となった。やむなく、アメリカのオークションで競り落とすことにした。シガー・ボックスはどんなに新品に見えても、すべてセカンド・ハンドだ。もともと葉巻を納めたケースだったのだから。こうして、まず、セカンド・ハンドに対する抵抗が消えた。
しばらくはバッグ用のボックスを探していたのだが、いろいろ物色するにつれ、シガー・ボックスも実に奥が深いことがわかってきた。シガーの歴史はコロンブスに遡るのだから、当然かもしれない。そして、味のあるヴィンテージ物や、限定版の希少なボックスを高値で落とすようになった。100年以上も前のシガー・ボックスが、目の前にある。この中に入っていたシガーは、誰が、どこで、どのような心持ちで、くゆらせていたのだろう。空になった箱は、屋根裏部屋で埃をかぶっていたのだろうか、それとも飾り棚に置かれていたのだろうか。100年、200年という時の流れを目の当たりにして、しばし空想の世界に遊ぶ。シガー・ボックスが図らずもアンティークの魅力をとても自然に教えてくれた。
今、私は、『長ぐつをはいたねこ』をテーマに、いろいろなアイテムを集めているが、その中には100年前の絵本もあれば、錆び付いたボタン、子供用の使い込んだシルバーのスプーンもある。人にはガラクタの山でも、私には宝の山だ。

『猫』は私をいろいろな所に連れて行ってくれる。来年はどんな世界を見せてくれるのだろうか。楽しみだ。