13時間 (H15.8.3)

 今朝、一つの小さな命の灯が消えた。
 私に手渡されて、わずか13時間の命だった。

 一昨日、NECOZANMAIを一人の男性が訪ねてくれた。高円寺のアート・フェスティバルを主催しているW氏だった。『Heart to Art』と名付けられたこのフェスティバルも、関係者の努力で今年7回目を迎える。そのパンフレットをお店に、という依頼を二つ返事で引き受け、初対面ではあったが、その後しばらく、アートとグッズ、作品と商品の違い、感性とそれを表現する技の間の乖離などについて、思いがけず会話が弾んだ。Heat to Art は、『出展する側にも観る側にも敷居の低い美術展』を目指しているそうだが、主催者の予測は裏切られることが多いという。
「もっと分かりやすいテーマを設定してはどうですか?例えば『猫』とか」
 相変わらず話を猫に持っていってしまう私の悪い癖が出たが、そのイベントが何かのムーブメントの始まりになってほしい、という願望を共有して、別れた。

 昨日、W氏から電話が入った。たまたま接客中で、折り返しの電話をかけたのは2時間後になっていた。
 昨夜、住いの隣の草むらから猫の泣き声が聞こえてきたという。ひとたび手を差し伸べれば、相応の責任を引き受けることになる。猫とは縁のなかったW氏は当然逡巡した。それでも止む事のない必死の泣き声に、手が伸びていたという。目も開いていない頼りなげな小さな小さな猫に、ミルクをガーゼに浸して含ませながら、どうしたらいいのか分からないW氏は、朝を待ってペットショップ、獣医さんと、電話帳を繰っては手当りしだいに電話を掛け続けた。助けが欲しかったのだろう。しかし、いずれも答は同じ、里親探しのポスターなら、ということだったという。予想通りの結果だ。困り果てはW氏が最後に電話した先が私のところだった。
 保護した子猫はたったの一匹だと言う。草むらからは、異臭がしていたので、他の子猫は死んでしまっているのだろう、とも。もし、たった一匹の生き残りだとしたら、その子猫も危ない状態に違いない。猫を飼ったことのないW氏には荷が重すぎるだろう。運に恵まれ元気になれば、里親の心当たりもある。私は、すぐに連れてきてくれるように頼んだ。

 W氏が箱を抱えてやって来たのは、それから1時間半後だった。恐縮し続けるW氏から子猫を受取った。鼻筋の通った左右対称のタキシード猫だ。首の回りを白い輪が取り巻いている。自前のカラーのよう。尻尾も真直ぐに伸びている。それは可愛い子猫に成長するに違いない。私の左手にすっぽり収まる小さな小さな猫に、元気に遊ぶ姿を重ね合わせながら、用意しておいた小箱に入れた。生後2週間から3週間というところだろうか。子猫は「ミーミー」泣き続けている。ぐったりと身動き一つしないと予想していただけに、緊張が解ける思いだった。だが、3、4センチもある産毛には得体の知れない白いものがこびり着き、毛はぱさぱさの薄墨色。頭も何がついているのか、地肌がでこぼこしている。
 まずは栄養補給をしなければならない。早速、キャット・ミルクとスポイトを買いに走った。スポイトを組み立てる手は、汗と焦りでつるつる滑るばかり。そのスポイトが不良品なのか、私の使い方が悪いのか、結局使い物にならなかった。仕方なくお皿にミルクを入れ、口元に持っていく。ほんの一口、たったの一口、ミルクを舐めた、と思ったのは、私の思い過ごしだったのだろうか。結局ミルクを口にすることなく、時間が過ぎていった。
 身体を拭いて、箱に戻したが、何となく身体がグニャとしてきている。これは、まずいかも知れない。家に電話を掛け、車で迎えに来てもらう。そして、その足でラブリー先生へ。

 車に乗ったあたりから、泣き声がしなくなった。少し落ち着いて眠り始めたのか、泣く力もなくなってしまったのか。何とかラブリー先生に辿り着く。運良く待つことなく診察していただけた。まず尻尾を持ち上げる。
「これは酷い」
という先生の言葉に肛門を覗くと、肛門は目一杯開き切って、そこに蛆が何十匹と蠢いている。この子が弱っていると見てとった蠅が卵を産みつけ、それが腸で孵ってしまったのだ。蛆は腸管まで食い破るという。腸の奥の方まで入り込んでいる蛆をピンセットで根気よくつまみ出す。脱水もひどいとのこと。一旦先生にお預けして、帰ることになった。
 夜10時になって、迎えにいった。シャンプーしていただいた子猫は、ノミからも解放され、こざっぱりとしていた。肛門も小さく締まり、あのおぞましい蛆の姿はもうない。注射もしていただき、ミルクも飲ませてくださっていた。飲むと云っても、手で強引に開かせた口に注射器でミルクを少しずつ少しずつ流し込んでいくのだ。子猫は、弱々しくそれを飲み下す。
 今夜は2、3時間置きにミルクをあげるように、それから子猫を入れた箱はホットカーペットの上に置いておくようにとの指示だった。子猫の体温が下がっているのだそうだ。その言葉に、子猫がいかに危険な状態にあるのか、初めて悟った。確かに小さな肉球に色はなく、冷たい。このまま快方に向かえる、とどこかで思い込んでいただけに、愕然とした。先生はできうる限りの処置をしてくださった。あとは、この子の生きる力を頼むしかない。

 帰りの車の中も、家に帰ってからも、子猫はひたすら眠っていた。多少ミルクがお腹に入り、一心地ついたのだろう。
 12時、眠っている子猫を起こし、ミルクを与える。わずか2cc飲むのがせいぜいだった。手足は相変わらず冷たい。箱に戻すと、そのままの形で眠り続ける。規則的に上下するお腹を見て胸を撫で下ろす。
 2時、再び寝ている子を起こし、ミルクを飲ませる。今度は3cc飲んだ。いいぞ、その調子!!お尻に蛆の残党が出て来ていないか、チェックする。異常なし。だが、手足に体温は戻らない。
 4時半、「ミャー、ミャー」という子猫の泣き声で目覚める。大きな力強い泣き声に、峠を越したことを確信した。目もうっすら開けている。ミルクも4cc飲んだ。もっとも、幾分かは口からはみ出してしまったのだが。肉球はまだ白っぽく、ひんやりしているが、直に温かくなってくるだろう。口の回りを拭いて、再び箱に戻す。呼吸で上下するお腹にそっと手を当てながら、「おやすみ」と声を掛ける。
 6時半、「さあ、今度は何cc飲めるかな」と子猫の身体に手を伸ばしたところで、私は凍りついた。冷たい、子猫が冷たいのだ。今までは、手足こそひんやりしていたが、身体はほんのり温かかった。その温もりがまったくないのだ。「うそ、何で、うそでしょ」
抱き上げた子猫の身体は、まだ柔らかかった。口を半開きにしたままの顔が、がくんと折れた。私が安心して眠りについている間に、この子は逝ってしまった。こんな形の別れが待っているなど、2時間前にあの大きな声を聞いた私には思いも寄らぬことだった。

 私のミルクのやり方が悪かったのだろうか…この子を受取ってすぐにラブリー先生に行けば間に合ったのかもしれない…あの役立たずのスポイトがちゃんと使えていれば…W氏から最初に電話をもらった時に、手短かに用件だけでも聞いておくんだった…。

 すべての巡り合わせが、この子の死に繋がっていたように思う。ノミや蛆を取り除き、シャンプーしたきれいな身体で天国へ旅立っていけたことが唯一の救いだ。きれいな身体には、まっさらのタオルが似つかわしい。新しい真っ白のタオルで子猫の身体を包む。そこにノミの生き残りが一匹飛び出した。冷たくなった身体には用はないと言い放っているようだ。無情な自然の摂理が哀しい。

 この子が逝ってしまって、この頼りなげな小さな命が、わずか13時間の間に、どれほどの希望と夢を与えてくれていたかを知った。小さなな亡骸を抱く私の身体からは力が抜けていた。憔悴していたわけではない。無意識に、形にならない希望と夢に膨らんでいた胸が、風船を割られたように萎んでしまったのだ。新しい命は希望であり、夢であることを、初めて悟った。

 名前を付けたその瞬間から、その子との関係が変わる、とある人が言っていた。名前を付けたニワトリは食えない、と。この子猫に、私は名前を付けなかった。いずれ元気になったら別れるかもしれないから。だが、私が一旦手に受取ったら、二度と手放すことはないだろうと考えていた『ぱぱちゃん』は、この子に名前を用意していた。『めぐちゃん』という名前を。
 私は、たったの13時間、私の元にいたこの子に、
「しばらくのお別れね、めぐちゃん。天国で待っててね」
と、たった一度、名前を呼んで別れた。
 これでまた、私は何としても天国へ行かなければならなくなった。