うちで良かったの?(H15.5.12) これまで、随分多くの猫と暮らしては、別れてきた。その中で、猫との関わり方も「飼い主と飼い猫」から「同じ屋根の下で暮らす仲間」へと変化した。だが、飼い猫だった猫の中にも、仲間だった猫の中にも、飼い主が、共に暮らす仲間が私たちで良かったのか、「うち」で本当に良かったのか、という疑問を突き付けた猫は一匹もいなかった。 ファイトは、「分け合う」ことを好まなかった。「全てか、無か」という気質で、孤高を保ち続けた。不器用だったのかもしれない。自分で選び取った生き方とは云え、その姿は見る者に一抹の寂しさを感じさせた。「孤高」と言えば格好がいいが、本音はどうだったのだろう。ファイトの本音…それが分からない。17年も一緒に暮らしながら、ファイトの秘めた心に触れることができなかった。私が感じる寂しさは、そこにあるのかもしれない。 17年前、お彼岸のお墓参りに出掛けたときに、箱に入れられた小さなファイトを少女の手から譲り受け、「うち」に連れ帰った。「うち」には二匹の成猫がいたが、小さいファイトは家族の注目を一身に集めた。二匹の成猫も、ファイトを嫌うことなく、幼いファイトの仕掛けるいたずらに困惑しながらも、円満に暮らしていた。眠るときは、私の胸の上。私を駅まで送り迎えしてくれる車の中には幼いファイトがちょこんと座っていた。 ファイトが文字どおり家族の愛情を一人占めできたのは、この時から半年間だけだった。ぱぱちゃんの実家から小兎二匹がやってきた。ファイトは兎を自分とは違う種だと知っていたのだろう、特に嫌がる風でもなかった。もっとも兎は、畳を食べ、壁を食べ、電話線、ファミコンのコードと次々に食いちぎり、庭に作った大きな兎小屋に移されることになった。 一方で怯えることを知らないファイトは、家の前で昼寝をしていれば、道行く人に頭を撫でてもらい、ご飯をいただく別宅も増やしていった。動物嫌いのお向かいも、ファイトのために猫缶やカニカマを用意してくださるようになった。折しも、私は息子と一緒にバイオリンを習い始めていた。息子と違い、練習の大切さを知っている私は、時間さえ許せば練習に励む。だが、最初の一音を出した途端に、ファイトは切ない悲鳴をあげ、家から逃げ出していった。練習が終わるとすぐに戻ってくるから、緊急避難していることは間違いない。避難先はお向かいなのだろう。特にお嬢さんとは心の奥底で通い合うものがあったようだ。お嬢さんが結婚され、新婚旅行に出掛けてしまうと、ファイトはしばらくご飯を食べなかった。お嬢さんも、また、新婚旅行先から、ファイトはどうしているかと気遣う葉書を御両親に送っている。ファイトが自分の胸の内を漏らした数少ないエピソードだ。 家の中にファイトとマロンという冷たい関係の二匹だけ、という期間は7年ほど続いたろうか。そこへ一匹の瀕死の赤ちゃん猫がやって来た。遺伝性の腹膜炎ウィルスを持っていた「ソクラテス」は、1年半という短い一生の間、ファイトからは「シャー」という威嚇の挨拶しか受けなかった。いくら「遊んで」と近寄っていっても、ファイトの応対は変わることはなかった。最初は同じ反応だったマロンは、程なく受け入れてくれたのだが。 「ソクラテス」が短い一生を終え、家の中にはまたファイトとマロンの二匹になった。いつ頃のことだったか、マロンが口の中の動脈を切り、失血が酷く、危険な状態になったことがあった。その原因が喧嘩だったのか、そして相手がファイトだったのか、知る由もない。マロンは輸血が必要となり、ファイトがその提供者となった。マロンはファイトのお陰で一命をとりとめた。ファイトは何も分からないままに血を抜かれたわけだが、マロンの為に献血をしてくれないかと頼んだとしたら、一体どう答えたのだろう。「あっしには関わりのねえことでござんす」と踵を返しただろうか。あるいは「断ったばっかりに命を落としたなどと言われるのは面白くないから」と献血に応じてくれたのだろうか。おそらく「承知するもの断るもの本意ではない」というのが本音なのではないか。17年も暮らして、それすらも分からない。何と寂しいこと…。 二匹の生活は、4年前の「なっちゃん」と「ロッキー」の出現で様変わりした。13歳になったファイトも徐々に角が取れたのか、殊更新入りを嫌うわけでもなかった。ロッキーが来てわずか半年で、さらにロッキーママと6匹の子猫を迎え、家の中は猫密度過多、だれがどうのと言っている余裕もなくなった。だが、6匹の成長とともに、騒々しい家の中は居心地が悪かったのだろう。ロッキーママと二人、それにロッキーが親しくなった「お友だち」を舎弟として、外で過ごす時間が多くなっていった。 ファイトにとって、ロッキーママはモノと心を分け合った唯一の存在となった。戸外に置いてもらった特別室は三つ。ファイト用とママ用、それに「どなたでもどうぞ」が一つ。気紛れ脳天気なママは、ファイトの部屋にも平気で入り込んだ。今までなら一度でも人に使われたものは二度と使わないファイトが、相手がロッキーママだと、自分の部屋を譲り、ロッキーママの部屋に引き上げる。家の中のやんちゃ6匹兄妹さえ、ファイトには一目置き、ファイトが食事にやってくると順番を譲るというのに、ロッキーママは平気でファイトのご飯茶わんに横から首を突っ込んだ。ファイトはロッキーママの残りものに甘んじた。おばあちゃんのゴミ出しには、舎弟の「お友だち」を加えた三匹でお供をした。 完全室内飼いの6匹が何かの拍子に外に出てしまうと大変なことになる。臆病もののゴンちゃんなど、大パニック。お隣に入り込んで訳も分からず泣叫ぶばかり。そんなとき、ファイトが静かにやって来る。ゴンちゃんの傍に行き、帰り道を教えようと、先に立って歩いて見せる。だが、正気を失ったゴンちゃんには、その意味が分からない。ファイトは、また傍に戻り、もう一度先に立って歩いて見せる。そんなことが何度も繰り返される。それでもゴンちゃんは、登れない塀に飛びついては落っこち、びっくりして、小さな隙間から別のお家の庭に入り込む。見ている私が諦めても、ファイトは諦めなかった。ゴンちゃんの傍に行っては、帰り道を示し続けた。ようやく意味を了解したゴンちゃんは、ファイトの後について無事家に戻ることができた。煩いだけの存在だったはずの6匹兄妹も、ファイトにとって家族だったことを初めて知った。あるいはマロンもまた、ファイトの家族だったのだろうか。分からない。 ロッキーママとの分け合う生活、そして「家族」という意識がファイトの寿命を延ばしてくれたのかもしれない。3年半前、ラブリー先生から「もういつ逝ってもおかしくない、覚悟はしておいてください」と言われていた。その時すでに腎臓機能は弱っており、哀れなほど痩せ細っていた。痩せた体は、更に痩せたが、ファイトはあれから3年半生きてくれた。ますます大きくなった6匹兄妹に「らーちゃん」と「チビタ」を迎えた家の中は、もはや我慢がならない場所となり、この冬はとうとう外で暮らし続けたファイト。ファイトが甘えている姿が思い出せない。ファイト一人と一緒に暮らしていたら、ファイトはもっと幸せだったのだろうか。大人になってからのファイトは、いつも私たちと一定の距離を保っていた。いつも一人だった。それが心地良かったのだろうか、それとも寂しかったのだろうか。保護しなければならない猫がいた、私たちには彼らを迎える以外の選択肢はなかった。彼らに里親を見つけたとしても、また別の猫たちを迎えることになっていただろう。だからと言って、その内の一人でも、犠牲にしてはならない。ファイトは、自分の気持ちを伝えることなく、私たちの元を去ってしまった。私はファイトを信頼していた、尊敬もしていた、でもファイトの心の琴線に触れることはできなかった。それが寂しい。ファイト、本当に「うち」で良かったの? ロッキーママと共に過ごした3年半が、答えの見つからない疑問をかかえる辛さを和らげてくれている。 |