ホワイトソックス、無念 (H25.4.12)

一日の最後の仕事、猫達への薬の投与を終え、二階に引き上げようとした、まさにその時、バチッという音ともに家中の電気が消えた。懐中電灯を頼りにブレーカーを覗くと、漏電ブレーカーが落ちている。ずらりと並ぶ安全ブレーカーの一つ一つをON/OFF していき、1階居間と和室の系統に問題があると判った。そこの電源をすべて抜き、安全ブレーカーを上げてみるが、やはり漏電ブレーカーは落ちてしまう。何度試してもダメだった。おかしい……、もしや……と思った瞬間、携帯が鳴った。入院していたホワイトソックスが亡くなったという知らせだった。

休み明けの木曜日の朝、会社に着くなり外猫さんにご飯をあげに行った。いつもなら、駐輪場へのドアの向こうで私を待っているホワイトソックスの姿がない。珍しく朝寝坊かな、とソックスを呼ぶ。大きな返事が返ってきた。食事の準備をしながらソックスの登場を待ったが、一向に現れない。呼べば応える。
駐輪場に建っている変電室の向こう側を見にいったが、やはり姿はない。だが、紙皿に入ったイチゴミルクのような液体を見つけた。胸騒ぎがした。私は、金網をよじ上り、声の方向を覗き込んだ。わずか2メートル先でソックスが横になったまま鳴いていた。全身は見えないが、まるで罠に足を捕られたように動けずにいた。ただ事ではないことを直感した私は、金網を乗り越えて、隣のビルと金網の間の30cmあるかないかのスペースに無理矢理、体を押し込み、ソックスに近づいた。ソックスはいざるように逃げていく。助けを求めていながら、9年も付き合ってきた私でさえ近づこうとすると反射的に逃げる、野良の本能が切ない。ソックスのスピードは遅々としたものだったが、進んでいく方向はさらに狭く、私の体をねじ込むことはできなかった。
紙皿に入れられた液体の正体は何か、匂いを嗅いで見るが、風邪気味の鼻には、何も臭わない。イチゴミルクと思った液体は、ソックスの姿を見た今となっては、毒々しく、怪し気だった。すぐに処分し、少し溢れた所は、デッキブラシできれいに洗い流した。
一旦事務所に引き上げたが、すぐにまたソックスの鳴き声が聞こえてきた。ルーフバフコニーから下を見る。私を見つけたソックスは、その両の目をひたと私に向けたまま、金網の下のブロックに手を掛け、必死で上ろうともがき始めた。落ちそうになるのを堪(こらえ)えながら、何とか身を引き上げようとするが、残されているソックスの力では無理だった。50cmほどのブロックも上れなくなったソックスだが、ブロックから金網を上り、さらにジャンプして私のもとに来ようとしていたに違いない。

私は、洗濯ネットを持ち、社員さんを伴って、ソックスの元に急いだ。
ソックスは最初と同じ場所で鳴いていたが、金網を乗り越えた私を見て、今回は私の方向に逃げて来た。だが、背中を金網に、胸を隣のビルの油まみれの壁に挟まれた私は、体を曲げることもできない。上体を起こしたまま、スクワットをするように体を沈めた時、ソックスは壁に開いていた通気口のような穴の中に隠れてしまった。こうなっては、このままソックスが出て来るのを待つしかない。逃げはするが、本心は助けを求めているソックスは、ほどなく穴の入り口に戻ってきた。腰を沈めて待ち構えていた私の手は、ソックスの足を掴んだ。それを振り切ろうとするソックス。離してなるものかと掴んだ手を鉄のように固める私。20年以上掛けて飲食店の換気扇が吐き出した油のぬかるみにまみれながら、ソックスを社員さんの持つネットの中へ漸く押し込むことができた。

タマがお世話になった先生は、生憎、休診日だ。会社からは遠いが、掛かり付けの先生に連絡し、車を走らせた。
油だらけのソックス、事の次第を一気にまくしたてる私……先生はさぞ驚かれたことだろう。ネットの口を少し開けてみると、ソックスはいきなり私の手を噛んだ。もう一度ネットに押し込め、診察はネット越しとなった。体温は37℃に届かず、すでに低体温になっている。また、極度の脱水状態にあるとの事。この時、私は、例のイチゴミルクもどきが毒物と決め込んでいたが、先生は予断を持たない。症状から冷静に判断していかれるのだが、今は足が動かないこと、出血はしていない、ということしか判らない。可能性としては、転落や交通事故による骨折または脊髄の損傷も考えられるとのこと。X線検査をすれば、すぐに判ることだが、今の状態では麻酔は論外だ。また血液の採取も難しい。取り敢えず、輸液と痛み止めの注射をしていただき、一旦、自宅に連れ帰ることになった。低体温の改善の為にホットマットに寝かせること、尿が出るかどうかしっかり観察すること、を言いつかった。

私の鏡台が置いてある部屋をにわか作りの病室とし、2階だてのケージにホットマットを置き、ペットシートを敷き詰めてソックスを移した。手は何とか動かせるソックスは、ケージの金網を揺すりながら、鳴き続ける。体を拭く用意をしようと私が部屋を後にすると、鳴き声は止んだ。私がいない方が、落ち着いていられるのかもしれない。ケージの中に、スープ状のフードと水を入れ、後ろ髪を引かれる思いで、ソックスを一人にしておくことにした。
時々、様子を見にいくと、私を見た途端に興奮したように鳴き始める。食事にも水にも手は付けられていない。排尿の跡もない。ホットマットからはみ出ししまった体をそっとマットの上に戻し、部屋を出る。

重苦しい時間を壁一枚隔てて過ごし、夕刻になった。薄暗い部屋に忍び込むように入り、そっとソックスの様子を伺う。私に気づいたソックスは鳴き始めたが、その声には興奮も、抗議の響きもなかった。先程マットの上に載せ直したときの姿勢そのままで半身を起こしている。手も動かなくなっているらしい。目だけがしっかりと見開かれていた。油が取り切れていない、ごわごわの体を撫でる。ソックスの体がどんどん壊れていくのが見えるようだ。
夜になっても、ソックスは手足を1ミリも動かすことなく、動かせずに、同じ姿でそこに居た。頭を支えるのもやっとの様子で、首振り人形のように頭を揺らしながら、弱々しく鳴き続ける。苦しむ様子は見えないが、あるいは苦しみに身を動かすことさえできないのかもしれない。どれほどの意識があるのかも分からなかった。

翌朝も昨晩と全く変わらなかった。命を繋ぐことは、到底無理だと思わざるを得なかった。せめて痛みや苦しみを除いてあげたい………私は、ソックスを連れずに、病院へ急いだ。痛み止めを処方していただくつもりだった。
先生に様子を伝えると、まったく動けないなら、X線撮影も、採血もできるのだから、すぐに連れて来るよう言われた。ソックスの突然の異変の原因を突き止められるかもしれないから、と。命を救うことはできなくとも、ソックスの身に起きたことを知らなければならないと思った。
私は家に取って返し、抱き上げることさえ憚られるソックスの体を、ペットシートごとキャリーに移して、再度病院に向かった。
X線撮影の結果、骨折もなければ、背骨の損傷もなく、膀胱も破裂していなかった。外傷も全くなかった。膀胱に管を通して、注射器で尿を抜く。保護してからほぼ一日、排尿していないにも関わらず、ほとんど尿はなかった。腎臓の機能が破壊され、尿を作れなくなっていることは、血液検査の結果が裏付けていた。安易に『毒物』という言葉を発しなかった先生が、初めて毒物の可能性を示唆された。
すぐに静脈点滴が開始され、ソックスはそのまま入院となった。3月に静脈点滴を続け、奇跡の生還を果たしたタマを思ったが、ソックスの状態は、同じ奇跡を祈ることさえできないほどだった。ただ、先生の元で、残された時間が少しでも楽であれば……それだけを願った。

ホワイトソックスは、ズレータと我が家に保護できた4匹の母親であるチョコ、タマの母親のマーベリック、そしてイケと一腹で生まれた兄弟だ。私がソックスの存在を知ったのは、チョコが生んだ赤ちゃん猫の声を聞きつけた時だ。バルコニーから下を除くと、以前ロッキーママが子育てをしていた同じ場所に、5匹の赤ちゃん猫がよちよちと歩き回っていた。傍には、母親のチョコ、叔父に当たるイケとソックスが寄り添っていた。時には、別の場所で子育てしていたマーベリックの姿もあった。
イケは、気の向くままに出掛けもしたが、ソックスはチョコと申し合わせでもしたように、子育てを分担し、チョコの留守中は、必ずソックスが仔猫を守り、仔猫だけにするようなことは決してなかった。
避妊手術後、二週間ほどでチョコとマーベは姿を消し、イケは気まぐれにやってくるだけになり、ソックスと仔猫たちだけが残された。仔猫たちは生後二、三カ月が経っており、幼児用の食事で育てられるようになっていた。
5匹の仔猫の内、4匹を無事保護して家に連れ帰ったのと入れ替わるように、マーベがほぼ同時期に生んだ仔猫を置いていった。それがタマとコアネちゃんだ。どうしても保護できなかったズレータは、タマとコアネちゃんと共にソックスの元に残り、地域猫として育てられることになった。
以来9年の歳月が経った。途中で、突然あっちゃんが群れに加わり、しばらく5匹の生活となったが、気の強いあっちゃんに追われるように、コアネちゃんが去り、メンバーを入れ替えた4匹の生活が続いた。
猫は単独で生きることが普通で、稀に群で暮らすとしても母子の繋がりを軸とするという。だが、この群は叔父と甥(甥同士は従兄弟)、プラス1という取り合わせで、明らかにソックスを要にグループがまとまっていた。

ある時、なまり節を持って、階下に下りた。さぞや、皆喜ぶだろうと、こちらも浮き浮き気分だったが、生憎、ソックスの姿しか見えなかった。ソックスはなまり節の匂いに敏感に反応。手持ちのなまり節の5分の1を分け与えたのだが、ソックスはかぶりつく代わりに、大きな声で鳴き始めた。皆を呼んでいるのだ。その声を聞きつけて、外のメンバーが集まってくる。その間、ソックスは目の前のなまり節に手を付けることはなかった。いくらでも独り占めできたものを……。そんなソックスだからこそ、皆、離れることなく、争うことなく、穏やかに寄り添って9年を過ごしてきたのだ。

 

一族の要のソックスにも弱点はあった。一様に警戒心の強いメンバーの中でも、ソックスは群を抜いており、相手が毎日食事を運ぶ私であっても、一定の距離を保っていた。
朝夕の食事に加えて夜食まで提供される彼らの暮らし振りは、塀の上を通りかかる他所猫の目にも止まるようで、部外者が闖入することもある。危険を知らせるソックスの恐ろしいほど大きな声で、2階の事務所に居ながら、下の様子は手に取るように分かる。
取っ組み合いの喧嘩になる前兆の威嚇の叫びに、階下のステーキ屋さんが飛び出していくと、大声を張り上げているソックスは、決まって一族の最後尾に居るという。敵の前に、押し出されるのはタマで、喧嘩の仕方さえ分からない様子でおどおどするばかり。ズレータやあっちゃんは遠巻きに眺めているだけで、加勢しようなどという気はさらさらないらしい。勝負は喧嘩の始まる前から見えているから、ステーキ屋さんが飛び出して、敵を追い払う。お陰で、一族全員、外で暮らしながら、耳にお決まりのキズ一つない。
弱い犬ほどよく吠える、と云うが、それは猫にも当てはまりそうだ。気が小さい分、声が大きい。
一族を纏めてきたソックスだが、こと戦いについては、からっきしダメだった。

 

 

ソックスが入院した翌日、先生から電話があった。状態は入院時とまったく変わらず、頭を振りながら弱々しく鳴いているとのことだった。頭を振るのは、重度の尿毒症に現れる症状だそうだ。静脈点滴の外、利尿効果の期待できるドーパミンも投与したが、まったく尿が出ないとのこと。
私は淡々と聞き、ありのままを受け入れるしかなかった。
明日、会いに行こう。

家中の電気が、バツッと消えたのはその晩のことだった。大きな音がしたように思うが、それは気のせいだろうか。一階居間と和室の電気系統の安全ブレーカーを上げると漏電ブレーカーが落ちてしまう。この安全ブレーカーだけOFF にしておけば、他の電気は点くことが判り、翌朝、電気屋さんに見てもらうことにして、自室に引き上げた。
電話が鳴ったのは、その直後だった。夜11時を過ぎての電話に、思い当たることは一つしかなかった。ソックスが亡くなったことを知らせる先生からの電話だった。力尽きたように静かに亡くなったそうだ。

翌朝、OFF にしてあった安全ブレーカーを上げる。居間の電気も和室の電気も、何事もなかったように点いた。
ソックスは今際の際に、何を伝えたかったのだろう。電灯一つがふっと消えるというようなものではなかった。バツッと響くような音と共に、家中の電気を消したソックス……。
お父さんは、我が家にいるタマや、ズレータの兄弟姉妹である4匹に会いに来たのだと言う。そしてよろしく頼むと言い残したのだと。
私には、どうしてもそう思えない。ソックスの無念があの強烈なメッセージになったのではないか。ソックスを守り切れなかった私の不甲斐なさが、そう思わせるのかも知れないが、4カ月が経った今も、紙位牌を仏壇に安置し、毎朝毎晩読経し、語り続けてきた今も、ソックスの真意は判らずにいる。
ソックスの気持ちが素直に伝わってきたとき、私ははじめてソックスと今生の別れができるのだと思う。


ソックスを失って、一年前に突然姿を消したズレータも、その半年後、突然重篤な尿毒症を起こしたタマも、毒物によるものだと確信した。タマの命こそ繋がったが、半年に1匹ずつが犠牲になっていたことになる。
多くの猫たちが様々な毒物により非業の死を遂げていることは耳にしていても、どこか対岸の火事のように思っていた。よもや我が身に降り掛かるなど、頭をかすめもしなかった。何と云う能天気。
不審な食べ物が置かれていたときは、すぐに処分したが、悪意をもってすれば、いくらでもチャンスはある。
残されたあっちゃんだけは、何としても守らなければならない。
保護できるのが一番だが、もともと懐かないところへ、一匹また一匹と仲間がいなくなるに連れ、警戒心が膨れ上がり、人と暮らすことは不可能な状態だ。
ならば、衆人環視の状況を作るしかない。
私は、駐輪場にソックスの訃報を伝えるポスターを貼り、不審物への注意をお願いした。また、これまで猫たちを見守ってくれていたビルの住人を訪ね、ベランダからのチェックや、ビルの出入りの度に駐輪場を回ってもらうよう頼んだ。管理人さんやステーキ屋さん、我が社の社員さんはもちろんのことだ。
ポスターは今でも掲示したままになっている。

あっちゃんは、たった一人で例年になく寒い冬を越えた。
一緒に生きる仲間を失い、天涯孤独となったあっちゃんに、二つの大きな変化があった。
その一つは、不用意に人前に姿を見せなくなったこと。ソックスがいなくなって4カ月、あっちゃんの姿を見たのは一度きりだ。会えないのは寂しいが、あっちゃんの隙のなさを感じ、それでいい、頑張れ、とエールを送っている。
変化その二は、食事を残さず食べるようになったこと。
皆と居た頃は、「これ嫌い」「それも嫌」「これなら食べる」といった具合で、気持ち良く完食してくれたことなど滅多になかったのだが、一人になってからは、缶詰もドライフードも残したためしがない。きれいに平らげられた器は、あっちゃんの無事を伝える伝言板であると同時に、独り生きる者の決意表明にも思われ、あっちゃんの強さに胸が一杯になる。
食事をあげに行くと、姿のないあっちゃんに向かってひとしきり話しをする。
「寒いねえ。しっかり食べて、風邪をひかないようにするのよ」
「あっちゃん、春だよー。嬉しいねえ。よく頑張って冬を乗り切ったね。偉い!!」
など、他愛のない話しだ。
あっちゃんにとって、私は、目の前でタマを捕獲し、今度はソックスを無理矢理連れ去った超危険人物だろうから、あっちゃんは、私の声が聞こえると極度に緊張するのかもしれない。それでも、私はあっちゃんとの一方通行の話しを続けている。
たった一度、見かけたあっちゃんは、以前より一回り体が大きくなっていた。