縁(えにし)(H22.2.21)

昨年の9月の末頃だったろうか、休みの日の夕方、水撒きをしようと庭に出た途端、仔猫の必死の叫び声が耳に飛び込んできた。
またまた仔猫がやって来たのか、と家の周囲をぐるりと回っても、仔猫の姿はない。
通りに出て、声を辿って角を曲がる。
「にゃんちゃん、ど〜こ?どこにいるの?」
猫のこととなると、恥じらいなどつゆほども感じることなく、大声を出す。
それを聞きつけたのは、当の仔猫ではなく、8メートル道路を挟んだ隣のブロックの住人だった。
「こっちですーっ!あそこの庇の上にいるんですーっ」
3日前に仔猫5匹が乗っていたのだが、サバトラの1匹だけが下りられず、ずっとないているのだと言う。
下ろしてあげようと近寄ると逃げてしまうらしい。
だんだん痩せてきてしまって……とその男性は心配気に話す。
私は、その人にハシゴを持って来てくれるよう頼んで家に引き返し、猫缶を入れたお皿とキャリーを用意して駆け戻った。
仔猫はすぐ傍にいるが、ハシゴに乗って手を伸ばすと、L字の庇の奥へさっと逃げる。
生後3カ月近くにはなっているから、物心がついてしまったのだろう。
それならば、と用意したキャリーを庇の上に置いた。
猫缶の匂いを嗅ぎ付けた仔猫は、ゆっくりとこちらに曲がってきて、キャリーの中とハシゴに乗った私の顔を交互に見る。
3日も食べていない仔猫の食欲は、恐怖心をすぐにねじ伏せた。
キャリーの奥に置いたフードに食らいつき、食べ進めるのを見計らって、パタン、扉を閉めた。
おー、という安堵のため息が聞こえて、振り返ると、わずかの間に人だかりが出来ていた。
人垣の向こうには、兄弟4匹も顔を揃えていた。
野良の母親が5匹を生んだそうで、近所の人が母子に餌をあげているという。
仔猫入りキャリーと共にハシゴを下りた私は、こうして捕まえれば避妊・去勢はできますから、ぜひ……とお願いしながら、何の迷いもなく、キャリーの扉を開けた。
サバトラ・チビは、逃げるより食べること、とばかりに猫缶を頬張ってから、兄弟の後を追って走り去った。

満足して空のキャリーを持って帰った私に、「あれ、猫ちゃんは?」と母。
「てっきり連れて来るものと思ってたのに」
そう言われて、私は愕然とした。
家に連れ帰るという選択肢がちらとも思い浮かばなかったのだ。
なぜだか自分でもわからない。
「その子との縁がなかったのでしょう」
この顛末を話した時、カメラマンの太田氏がぽつりと口にした言葉が、唯一の答えのような気した。

それから2週間ほどが経ったろうか。
白いシャム混じりの仔猫が我が家の玄関先に現れた。
サバトラ・チビの兄弟の一匹だ。
傍に寄ると、「シャーッ」と威嚇して、水撒き用のホースの裏に隠れる。
それでも用意したご飯は、あっさりと平らげた。
玄関先には、ロッキーママとファイトの住まいだった犬舎がある。
中にはキャットベッドが入ったままだ。
翌朝、ドアを開けると、白チビがさっと犬舎から飛び出した。
一晩そこで眠ったのだろう。
ご飯を用意すると、小さな鼻に皺を寄せて「シャーッ」と言いながら、お皿に近寄り猛スピードで平らげていく。
別の視線を感じて顔を上げると、白チビの1メートル後ろに白チビがもう一匹、こちらをうかがっていた。
一日ごとに一匹ずつ増え、四日目には例のサバトラ・チビ、五日目には完全にシャムの顔をした仔猫と母親までがやって来た。
母親が顔を見せたのはその時一回限りだった。
仔猫の居所の安全を確認に来たのだろうか。
あの時、あんな別れ方をしたサバトラ・チビとの縁はこうしてつながった。

とは言っても、この5匹を家に入れることはできない。
家の中では兄弟ゲンカが続き、不穏な空気にみんなピリピリと神経が立っているからだ。
今度こそ、里親さんを探そう。
まずは、人間に馴染んでもらわなくちゃ……と、私はせっせと食事を運び、甘い声で話し掛ける。
ところがこの5匹、何日経っても私の顔を見れば5匹揃って「シャーッ」の大合唱を浴びせてくる。
ご飯を手に持ったまま、勿体ぶっても、「シャーッ」は止まない。
「早くー。ねえ、ご飯ちょうだい」
と擦り寄る代わりに、この5匹は
「早よせんかい。とっととご飯を置け」
と命令する。
庭の花を足蹴にされても、こちらは文句一つ言わないというのに……。
触るなんて、夢また夢。
これでは、里子に出せるわけもない。

一月経っても、二月経っても、この状態は何一つ変わらなかった。
日増しに寒くなる中、5匹は3つある犬舎の一つで体を寄せ合って眠った。
体がふっくらと大きくなって、さぞ窮屈だろうに、2つに分かれることはなかった。
そして5匹は、ホース、バンチョ、ペチャ、テンテン、アッシャム、と名前で呼ばれるようになっていた。
名前を付けるということは、その子を引き受けるということに他ならない。
家の中には入れなくても、犬舎暮らしも悪くはないだろう。

避妊、去勢の時期を獣医さんに相談したところ、年が明けた1月、ということになった。
これは、私には幸いだった。
何しろ年内に引越を予定していたからだ。
この5匹も、転居先がある程度落ち着いた後に、寝入り端を狙って、5匹まとめて犬舎ごと運ぶつもりでいた。

夫は、家の中の猫11匹を引越当日どうやって運ぶかを考えては、心配を募らせていたが、私はいたって楽観的だった。
これまで猫を連れて4回引越をしているが、どの猫もすぐに転居先に馴染み、困ったことなど一度もなかったからだ。
確かに今回は11匹と大所帯だが、車2台で、2回往復すれば何とかなる。
引越当日、レオナ、こえり、クーちゃんを除く8匹は、いとも簡単に、次々とキャリーに入れられ、10年を過した家を後にした。
残る3匹に多少手を焼くだろうということは想定の範囲だった。
それでも、レオナ、クーちゃんは、「もはやこれまで」と観念したら、身動き一つせず、捕まえられるままに身を任せた。
その潔さは天晴れだった。
食器棚と天井の間のわずか10センチほどの空間に入り込んみ、恐怖と興奮とで瞳孔が開き切ったこえりちゃんとは、さすがに血みどろの対決となった。
それでも、何があろうとこえりちゃんを洗濯ネットに収めなければならない。
軍手越しに刺さった歯で、軍手はすぐに血に染まったが、怯むことはなかった。
手こずりながらも、無事(?)こえりちゃん入り洗濯ネットのチャックを閉めた時、猫の引越の九割がたが完了した。

転居先では、物を搬入しない六帖間を一つ用意した。
ケンカの首謀者を隔離するケージを2つ、その他にキャリーを4つ置き、床には、キャットベッドを並べた。
水とフード、トイレと、準備万端だ。
宮澤さんとトンちゃんをそれぞれのケージに入れ、残る9匹は各自の裁量に任せることにして、11匹全員を無事閉じ込めた。
ドアをしっかりと閉めて、事件現場さながらに、ドアの上からガムテームをバッテンに貼付け、「猫がいます。開けないでください」と貼紙した。
すべてシナリオ通り首尾よく進んだ。

想定外のことが起こったのは、それからだった。
猫たちは文字通り『借りて来た猫』状態なんだろうなあ、と引越作業の途中、ベランダから窓越しに猫部屋を覗いて、ぎょっとした。
猫がいないのだ。
扉を閉めたケージ2つにも、猫の姿はない。
扉は閉まったままだから、まるでイリュージョンだ。
そんなバカな……落ち着いて、落ち着いて、と自分に言い聞かせ、目を凝らすと、ケージの中のキャットベッドに敷いたブランケットが気持ちこんもりしている。
どうやら、ブランケットの下に潜り込んで隠れているらしい。
宮澤さんも、トンちゃんも7キロ級だから、ヒラメのようになって身を隠しているに違いない。
なかなかのものだ。
ほっとして、一見空に見えるキャリーやキャットベッドを眺めると、どれもブランケットが多少膨らんでいた。
見事な隠れ技だった。

引越屋さんが引き上げ、窓や扉の施錠を確認してから、猫部屋の扉を開けた。
長い一日を閉じ込められた11匹が、我れ先に飛び出してくるかと思いきや、猫部屋はしんと静まり返ったままで、猫の気配すら感じられない。
気まで消しているようだ。
ブランケットを一枚一枚めくる度に、「ぼくは居ません。見えないでしょう?」とばかりに身動きしない大きな体が現れた。

その日、階下に下りてきた猫は2、3匹だった。
翌日には、7匹が家の探検を始めたが、残る4匹は姿を隠したままだった。
段ボールが山と積まれた家の中は、隠れるには好都合だったろう。
どこに居ても食べられるように、フードと水を至る所に置いておいた。
最後まで姿を見せなかったのはレオナだった。
レオナが歩く姿を目撃したのは、引越から2週間以上経ってからだった。

猫にとって引越ってこんなに大変なことなんだ……初めて実感した。
ということは、外猫5匹はどうなるんだろう。
獣医さんに相談した。
元の場所と転居先がわずか2、3キロしか離れていない今回の引越では、転居先に連れて行っても、元の場所に戻ってしまう確率がかなり高いとのこと。
その間に交通事故の危険もある。
「猫たちのことを思うなら、連れていかずに別れなさい。外猫は、餌場を複数確保しているものです。想像するほど柔ではありませんから」
先生のおっしゃることは頭では理解しながらも、気持ちが吹っ切れなかった。

それからの数日、私は、『猫、引越』というキーワードで、サイトを調べ尽した。
その多くが、転居先から姿を消してしまった猫の捜索願いだった。
外猫にとって、引越は大切な縄張りをすっかり失うことであり、それは死活問題だということを受け入れなければならなかった。

転居後1カ月は元の家を使うことができるようにしてあった。
私は、毎朝、毎晩ご飯をやりに立ち寄っていた。
外猫さんが使っている犬舎はもちろんそのままだった。
5匹は相変わらず、「シャーッ」という威嚇で私を迎えた。
「連れて行けないのだから、犬舎を取り去り、もう立ち寄るのはやめなさい」
いつまでも踏ん切りの付かない私に夫は言った。
夫も断腸の思いでいることは判っていた。

それから何日が経ったろうか。
私は、昼下がりに一人元の家に戻った。
猫たちは、塀の上で、日向ボッコをしていた。
万一別れなければならない事態になった時に返って不憫だから、と犬舎のキャットベッドにはカイロを入れずにいたが、それでも、この寒空の下、ベッドは猫たちを守ってくれていたはずだ。
それを今、取り去らなければならない。
私は、塀の上の猫たちの、凛と澄ました顔を一つ一つ見ながら、号泣した。
こんなつもりじゃなかったの。ごめんね。本当にごめんね 
どうか、どうか、元気で居てね
ここに来る前に、ご飯をもらっていたお家、覚えてるよね
そこへ行くのよ
近しくしていたご近所に、仔猫用のフードを託した。

転居先から会社に通うには、元の家の近くを通らねばならない。
元の家が近付くたびに、胸は騒ぎ、急に空気が薄くなったように思われて喘いだ。
元の家を引き払った日、キャットフードを持って再びご近所を訪ねた。
「フードはもう必要ないわ。あなたが姿を見せなくなってすぐに、仔猫たちも居なくなってしまったの」
それを聞いて、どれほどほっとしたことか。
彼らは、ちゃんと次のスポットに移っていったのだ。
その逞しさに、乾杯したい思いだった。

結局この5匹兄弟とは、縁がなかったのだろう。
だが、三カ月の間、我が家の玄関先で暮らし、私にたくさんの「シャーッ」を浴びせてくれた、オシャマな5匹の面影だけは、私の目の奥でいつまでもキラキラと輝いていることだろう。
あるいは、縁とはこういうことなのかもしれない。