籠の鳥(H20.9.14)

慢性の腎不全で、昨年5月には長くても年内一杯、と命の期限が切られたらーちゃんだったが、無事に年を越した。もっとも年末から年始にかけて風邪を引き、休診中の病院に毎日通ったのだから、無事とは言えないかもしれないが。輸液と強制給餌で、その風邪も乗り切り、体力も回復した。

7月初め、らーちゃんは宮沢さんと派手なケンカをして、両者手負いとなった。その治療に病院へ行った時に、らーちゃんは週一回の輸液を薦められた。延命というより、輸液によってらーちゃん自身が気分よく過せるなら、と輸液に通って1月半。体重も4.2キロを維持、体の張りも良いと褒められて帰ってきた矢先だった。再び宮沢さんとケンカ。さっそく2匹の身体検査をしたのだが、どちらも外傷はなく、出血もなかった。8月27日のことである。

翌日、らーちゃんを抱っこした後、私の手から腐敗臭がするのに気付いた。慌ててらーちゃんを見ると、左耳が平たく後ろ向きになっている。耳の中を覗くと、膿みが溜まっていた。病院へ駆けつけたいところだが、折悪しく、病院は遅い夏休みで前日から一週間休診だった。耳の縁の部分を清潔にし、抗生剤を飲ませることぐらいしかできない。改めてらーちゃんを注意深く観察すると、皮毛はいつも以上にパサつき、げっそりと脇腹が落ち込んでいる。先生に褒められてわずか2日でこんなにもなるものか、と怖くなるほどだった。食事もあまり食べず、水を飲む量さえ減っている。手元に残っていた強制給餌用の缶詰をお湯で溶き、注射器で食べさせることにした。

成猫で保護したらーちゃんの年令は不詳だ。Neco家に来て7年だが、10歳かもしれないし、20歳かもしれない。保護した時には、古びた首輪をしていたが、ホームレスになってかなりの時間は経っていたように思う。私自身、路地の裏手の空き地に駐車している車の下で香箱を作っている姿や、銀行の前にとめてある自転車のタイヤにスプレーする瞬間など、何度も行き合っていた。ゆっくり近寄ると、その距離だけ離れてしまい、触ることはできずにいた。飼い猫にしては、ちょっと痩せっぽ?と訝しんでいた頃、らーちゃんは、2階のベランダにやって来て、事務所を覗いた。当時、事務所にはキャットフードはなく、冷蔵庫で眠っていたチョコレートを一番近くのデスクの上に置いた。相当お腹を空かせていたのだろう。らーちゃんは、あまり逡巡することなく、デスクに飛び移った。すかさず捕まえたのだが、いやがる素振りもなかった。そしてneco家へ。長年外で暮らしていたにもかかわらず、外へ行きたがることは一度もなかった。

そのらーちゃんが、金網を巡らせたウッドデッキから遠い目で外を眺めて、弱々しい声でなく。お風呂場の僅かに開いた窓から鼻先を出して、か細い声でなく。金網がなかったら、窓がもう少し広く開いていたら、らーちゃんは、間違いなく、最期の旅に出るのだろう。行かせてくれ、と哀願するような声に、籠の鳥である自分を哀れむような声に、胸はつぶれそうになる。

顎をぎゅっと掴み、強引に食べ物を流し込むとき、らーちゃんの目には涙が滲む。もう、止めて、という声なき声が聞こえてくる。

でも、でも、「さあ、行きなさい。行きたいところへ」と窓を開けてやることなど、どうしてできよう。「食べたくないのなら、食べなくてもいいよ」と痩せ細るままにすることなど、どうしてできよう。

足取りも覚束なく、ご飯皿の前に座っても、水にも、あれこれ並べる食べ物にも全く反応せず、ほとんどの時間を2階のベッドの下に潜り込んで過すらーちゃんに、半分、覚悟を決めながら、それでも、耳の手当と投薬と強制給餌を続け、掛かり付けの先生の診察が始まるのを待った。不思議と他の病院を探そうとはしなかった。昨年、急性膀胱炎を起こしたときは、夜間救急診療車を呼んで騒いだというのに……。その時より状態はずっと悪いのに、諦めながらも希望をつないでいたのだろうか。

病院の夏休みが終わる前日、さすがに病院に電話を入れてみた。幸い先生は在宅で、病院を開けてくださった。耳の傷は深く、軟骨が見える状態だった。丁寧に治療していただき、輸液と抗生剤の注射をして帰宅。それから一週間、連日病院に通った。耳の傷は順調に治癒していったが、体重は、日に500グラムずつ減っていった。

らーちゃんは、毎朝「外へ行かせて」と独り言のようになき、私が強制給餌の支度を始めるたびに逃げ場を探した。私は、自分のしていることは間違っているかもしれない、と感じていた。家に閉じ込めていることも、強引に食べさせていることも、病院へ連れていくことも……。それでも、止めることはできなかった。徒に延命させようと思っていたわけではないが、何もせず、衰えるがままを見守る強さも、最期の旅に送り出す勇気もなかった。

耳に傷を負って2週間経ったころ、おばあちゃんが、もしやと買ってきたハンペンの匂いに初めて反応した。小さくちぎったハンペンをほんのわずかだが食べた。自分で食べた。翌日には、ドライフードを5,6粒食べた。水も大量に飲むようになった。トイレには、懐かしい大きなおしっこの固まりができた。3日に一度になった病院へ連れていくと、体重が200グラム増えていた。まだまだ安心はできないが、当面の危機は乗り越えたようだ。

らーちゃんは、今でも、ベッドの下に隠れるように過し、強制給餌から逃れようと必死だが、「外に行かせて」となくことはなくなった。それでも、私がしてきたこと、今も続けていることが、良い選択なのか、本当にらーちゃんのためなのか、判らない。この迷いと罪悪感は、猫たちを籠の鳥にした者が負う宿命なのだろう。

今朝も、ご免ね、ご免ね、と言いながら、病院食を注射器でらーちゃんの喉に送りこんだ。