『キャラリン』、お帰り (H14.7.15)

『キャラリン』はもう二度とNeco家に来ることはない、私はただ『キャラリン』の命を縮めてしまった…。やり切れない思いだった。
その夜、台風の接近を知らせるように大粒の雨が雨戸を叩き付けた。なんでこんな時に…。ほとんどを屋外暮しのファイトとロッキーママを家に入れながら、いようはずもない『キャラリン』の姿を探す。どこでどうしているのだろう。
翌日は台風真只中。家の猫たちも外の気配に不安を感じてか、沈んだようにおとなしい。台風が去り、見上げた夜空に向かってこう祈った。
「マーちゃん、ロッキーもなっちゃんもてっちゃんも聞いて。ままちゃんは『キャラリン』にとんでもないことをしてしまったの。もう怖いことはしないからお家に戻ってくるように『キャラリン』に伝えて。『キャラリン』ごめんね、戻ってきて」
出社前にお医者様に立ち寄った。両腕の傷を治療していただきながら、この噛み跡がいつまでも消えないことを願った。『キャラリン』の形見のように思えた。
内沈んだ気持をどうすることもできずに、気もそぞろに仕事をして家に戻る。「『キャラリン』来た?」とおばあちゃんに尋ねる。答えは知っているのに。一時はご飯をねだるたびに飛びついていた網戸には小さな虫が一匹。私の帰りを待ちわびていたと言わんばかりに体を擦り寄せていたガラス戸の向こうには、『クロちゃん』が何事もなかったように座ってこちらを見ている。庭がとても暗く見える。深いため息を吐きながら『キャラリン』の不在を確認するように室外機の上を見やった。いる、何かいる。『キャラリン』かも。『キャラリン』だった。

いつもなら、窓を開けて、「今ミルクを作ってくるからね」と声を掛けるのに、今はすっと身を引くしかなかった。私を見たら『キャラリン』が怖がって逃げ出すと思ったからだ。私は、急いでミルクの用意を始めた。「おばあちゃんがあげてね」と言いながら。それがどうしたことか、作り終えるとそのままミルクのお皿を持って窓を開けてしまった。まだそこにいた『キャラリン』は、目の前にお皿を差し出すと同時に身を翻して逃げ去った。おばあちゃんに、持っていってねと頼みながら、自分で持っていってしまった。うっかりしていたわけではない。自分で持っていきたかった。逃げ去ることはわかっていた。わかっていながら、逃げないかもしれない、きっと逃げない、とどこかで思っていた。『キャラリン』は逃げた。当然のことだった。そしてまた自分の愚行を悔いた。なぜここまで愚行を重ねてしまうのだろう。『キャラリン』と私の歯車は、どうにも噛み合わないような気がした。庭を見やると『クロちゃん』が背伸びをして室外機の上に置かれたミルク皿に顔を突っ込んでいた。
翌日、『らーちゃん』をワクチン接種に連れていった。ラブリーの先生に『キャラリン』のことを相談し、鎮痛剤と抗生物質を頂いて帰った。「そんなに噛んでも、家に来たなんて、よほど行くところがないんでしょうね」という先生の言葉が胸にしみた。
そして夜、『キャラリン』は再び庭先に現れた。今度はミルクをおばあちゃんに運んでもらった。『キャラリン』はまた逃げた。
翌朝も『キャラリン』は庭先に座っていた。ミルクを運んだ。『キャラリン』はすっと身を引いたが、逃げはしなかった。そしておもむろにミルクに口をつけた。よほど口が痛いのだろう、ほんの一滴のミルクの刺激で火がついたように夢中で口を拭っている。それでも二口目に挑んだ。それを見届けて、痛み止め入りのミルクを作り直す。『キャラリン』は薬入りのミルクをやっとの思いで飲み干した。私は天にも昇るような思いで、家にいる猫たち一匹一匹を抱き上げては「『キャラリン』がミルクを飲んだよ」と語り続けた。
その晩も翌朝も『キャラリン』は薬入りのミルクを平らげ、ついに猫缶も食べた。そしてその夜、『キャラリン』は庭先で私の帰りを待っていた。今までに見たことのない横座りの姿勢で。すっかりくつろいでいるような表情で。半分膜がかかり、目やにで汚れた両目は、ぱっちり見開かれている。体は先日の台風のなごりか、泥でさらに汚れてはいるが、なぜか私には眩しかった。