心のドアノブ (14.4.12)

『眠れぬ夜』はこれで何日続いているのだろう。先週、リフレッシュ旅行に出掛けた3日間、『隣の宮沢さん』をラブリーの先生に預っていただいた。その間に三種混合ワクチンの1回目と、ウィルス検査、血液検査を済ませた。ウィルスの感染はなく、腎機能も良好。ただ、肝炎があるとのことで、お薬をいただいた。お耳の掃除もしていただいた。
 「先生、『隣の宮沢さん』うるさかったでしょう?」
 「えっ?」
 「泣きませんでしたか?」
 「いいえ、全然。おとなしくて、いい子でしたよ」
うそ〜、お家ではあんなに泣き通すのに。そう思いながら「先生、いい子って誉めてくださったわよ。いい子にしてて、おりこうだったね」と頭を撫でた。
もしかしたら夜泣きは解決したかも、と淡い期待を胸に家に連れ帰る。3日ぶりに『らーちゃん』に会った『隣の宮沢さん』は、早速『す〜りすり』。

 恐怖のベッドタイムがやってきた。淡い期待は当然のように裏切られ、エンドレスの「あお〜」「うお〜」「ぐるるる、お〜」が始まった。よし、今回は早めにベッドで添い寝しよう。ところが、泣き疲れていない『隣の宮沢さん』は引き止める私を袖にして、「あお〜」「うお〜」「ぐるるる、お〜」の舞台に戻る。正確な8の字を描きながら歩き続け、腹の底から振り絞るような大声を発し続ける。「あお〜」「うお〜」タッタッタッタ、「ぐるるる、お〜」タッタッタッタ、正確な動線と狂いのないリズム。『おばあちゃん』は、甘やかし過ぎると言う。厳しく叱らないと、と言う。そう言われてもと、躊躇していた私も、さすがにこのパフォーマンスと寝不足に苛立ち、ご近所に聞こえはしないかと気を揉み、ついに指パッチンを通り越して、ぶった。叩いた。「静かにしなさい。静かにしないと、皆、ここにいられなくなっちゃうのよ。」効果なし。怯えて逃げ込んだ『ぱぱちゃん』のベッドの下で同じ奇声を上げ続ける。それでも漏れ聞こえる音量は多少下がり、一息入れるのも束の間、8の字を描けないベッドの下は具合が良くないらしく、再びメインステージに登場する。「あお〜」「うお〜」タッタッタッタ、「ぐるるる、お〜」タッタッタッタ、一段と上がる音量。ぶたれてはベッドの下に、這い出してはぶたれ、の数時間がむなしく過ぎる。『隣の宮沢さん』のわずかの幕間に眠り、第二幕の開始に目覚める。叩く気力も失せた頃、『隣の宮沢さん』のパフォーマンスもフィナーレとなり、静寂と安堵が戻り、夜明けを迎える。

 どうしてあんなに大きな声で泣くんだろう。泣いても声さえ小さければ…。もしかしたら耳もいくぶん不自由なのかもしれない。そう思うと、昨晩、苛立ちにまぎれて叩いたことが悔やまれた。耳の遠いおじいさんに、声が大きいと、ぶったり、叩いたりしたのも同前。この上なく後味が悪かった。叩いても何の効果もなく、叩かれた痛みと心の傷、叩いた悔いだけが残った。二度と再び叩くまいと心に誓った。

 ひっくり返った昼と夜を元に戻すこと。というより、夜行性の猫の習性を人間の生活習慣に順応させること。何か不安で眠れないのなら、精神安定剤を使うのも方法かもしれない。8の字歩行とあの雄叫びは尋常ではなかった。ラブリーの先生に相談した。でも、その答えは予想通り。「昼間起こしておいてください。24時間起きている猫はいませんから。」
 お休みの日、落ち着いて座っている『隣の宮沢さん』の顔を覗いては、「寝ちゃだめよ。遊びましょ。」目の前で猫じゃらしを振っても目で追いもしない『隣の宮沢さん』。見えないのかしら。しばらく前にまたたびを嗅がせても何の反応もないことを思い出した。五感の内、残されているものの方が少ないような気がして、辛くなる。目を閉じようとすると抱き上げて、話し掛けた。『隣の宮沢さん』は眠ることなく夜を迎えた。9時、ちょっと早いけれど、いいかな。眠り始めた『隣の宮沢さん』をそのままにして、部屋を後にした。
 11時半、今夜はゆっくり眠れるかも──ベッドに入ったその時、『隣の宮沢さん』はむっくり起きだし、8の字歩行と雄叫びを始めた。それは翌朝4時半まで延々と続いた。
 
 部屋を真っ暗にすることにしたらどうだろうか。いつもはスモールランプをつけ、枕元の雨戸を少し開けて眠っている。ぼんやり周りが見える中でも、『隣の宮沢さん』はときどき足を猫トイレにぶつけながら8の字歩行をしている。真っ暗にしたら8の字歩行が止まるかもしれない。止まらないまでも、歩くことに気を取られれば、泣く頻度が減るか、ボリュームが下がるのでは。『隣の宮沢さん』はそれでもぶつかり、ぶつかりしながら歩き、泣いた。ただ、全神経を使ってのパフォーマンスに疲れたのか、前日の寝不足がこたえたのか、3時間ほどで足音も泣き声も止んだ。早朝、黎明の入ることのない真っ暗闇の中で、再びパフォーマンスは始まった。じっと聞いていた。

 朦朧とした朝は、寝不足のせいだけではなかった。『隣の宮沢さん』の胸の内を探る手がかりが何一つなかったのだ。これまで、猫の気持ちに自分の気持ちを重ね合わせることができると自負していたが、こと『隣の宮沢さん』については二つの心はすれ違ったままだった。私には『隣の宮沢さん』の訴えが聞こえる耳がなく、『隣の宮沢さん』には私の気遣いを感じる心のゆとりがなかった。
 私は『隣の宮沢さん』を案じていた──本当にそうだろうか。確かに心配だった。抱きしめた、やさしく体を撫でた、同じ目の高さで語りかけた。でも、それ以上に毎晩の寝不足に苛立ち、外に漏れ聞こえるだろう叫び声にご近所の目を気にしていたのではないか。『隣の宮沢さん』のこと以上に、自分とご近所を気遣っていたのでは。これが本当のところなのだ。この本当のところを、『隣の宮沢さん』は感じ取っていたのかもしれない。私の心は『隣の宮沢さん』に伝わっていたのだ。「あの人はぼくより大事なことがあるみたい」──正確に伝わっていたのだ。

 再び夜。いつものパフォーマンスが始まる。真っ暗作戦も始まる。テレビのスタンバイ・ランプが妙に明るい。昨日より目が暗闇に慣れたのだろうか。光増幅装置を持つ猫なら、例え片目でもこの光は十分かもしれない。今夜のパフォーマンスは長くなりそうだ。心を決めてとことんパフォーマンスに付き合おう。『隣の宮沢さん』のメッセージを感じ取る良い観客になろう。そう、思っても、あの雄叫びのボリュームが下がって聞こえるわけではなく、胸は騒がずとも、頭に響いた。ところが、今夜のパフォーマンスは2時間しか続かなかった。私のベッドに上がり、寝息を立てた。その姿を見ながら、『隣の宮沢さん』の心の扉を開くドアノブが見えた気がした。