はかない夢 (H14.10.1)

『トンちゃん』のドア開けをきっかけに、1階組と2階組の境界線が次第にぼやけ、ある程度の幅を持つようになった。この調子なら、いくつかの小競り合いはあったとしても、いずれ互いのテリトリーが重なりあい、果ては境界線の消滅か…という淡い期待は早くも打ち砕かれた。

1階組は、怖れていた『隣の宮沢さん』に敵意なしと見るや、2階組の領域を我が物顔で闊歩するようになった。元はと云えば、2階も彼等の領分だった。何も小さくなる必要などないのだ。

この1階組の侵入に対して、『らーちゃん』は逆に部屋を出て、2階の残された1部屋、『ゆうちゃん』の部屋で過ごし、時には階段を下り、玄関まで進出することで応えた。

自分達が先に2階組のテリトリーを犯しながら、『らーちゃん』の控えめな報復は、1階組の危機感を煽り、妙な連帯と結束を促した。引き続き2階への侵入を続けながらも、1階の国固めはいよいよ堅固になり、1階組5匹+不思議なオーラを放つ『ファイト』以外の侵入を決して許さなくなった。その犠牲となったのが、こともあろうに生みの親である『ロッキーママ』だった。

真夏の猛暑が去り、再び屋外で過ごす時間の長くなっていた『ロッキーママ』だったが、日に数回は家の中にやってきては、おやつを食べたり、一口二口ご飯をつまんでいった。ある日、おばあちゃんが『ロッキーママ』と1階組にカニカマをあげてから、洗濯物を取り込みに行った、ほんの数分の間に、第1回目の総攻撃は起こった。物凄い物音と、叫び声に、慌てて階下に下りてみると、椅子の陰に小さくなって隠れている『ロッキーママ』を1階組全員が取り囲んでいる。『ロッキーママ』は威嚇の『ハーッ』と唸り声を発し続ける。おばあちゃんが『ロッキーママ』を抱き上げると、体はびしょびしょ。『ロッキーママ』がいつも出入りしているガラス戸の前は水たまりと化している。そう、『ロッキーママ』は逃げ道を塞ぐガラス戸を前に、恐怖の限界の中で、おしっこをもらしてしまったのだ。あの天真爛漫、脳天気な『ロッキーママ』から、大らかで、疑うことを知らない愛くるしい眼差しが消えた。

2階組、『らーちゃん』は、階下を固めながら2階に平然とやって来る面々に対し、マーキングで抗議した。その抗議は、侵入者を追い出さない『ままちゃん』や『ぱぱちゃん』、人間に対するものだったのかもしれない。なぜなら、2晩続けて、寝入る『ままちゃん』の枕元で、「シャッ、シャーッ」と生温い雨を降らせたからだ。このデモンストレーションの効果は絶大で、今や、1階組は即刻退去を命ぜられることとなった。

通い猫は通い猫同士、熾烈なテリトリー争いがあった。玄関前は『お友だち』、庭先は『クロちゃん』と『キャラリン』、と上手く棲み分けていたのに、『クロちゃん』が玄関前に侵出、すると『お友だち』が庭先にやってきて報復。とは云え、『お友だち』は近所の飼い猫、帰る場所がある。一方の『クロちゃん』はノラと思しい。自分の居場所を明け渡すわけにはいかない。もはや、誰とも自分の領分を分け合うことはできない。そんな『クロちゃん』の危機感が犠牲者を生んだ。『キャラリン』だ。元を正せば、『クロちゃん』が『キャラリン』を連れて来て、自分のご飯まで分け与えていたのではなかったか。噛み付き事件を乗り越え、ようやく軒下のバスケットの中で眠るまでになった、その矢先のことだった。口内炎なのか、舌先に何かできているのか、ミルクさえ満足に飲めなくなる持病を持つ『キャラリン』。その様子をガラス戸越しに観察しながら、薬の量を加減して、何とかここまできたのに。ある晩、『クロちゃん』に追われた『キャラリン』は、はるか遠くから聞こえる悲鳴を残して姿を消した。

『クロちゃん』とて、ご飯さえ食べれば、どこか知らないところで過ごしている身。一日中軒下にいられなくなったとしても、『クロちゃん』の目を盗んでご飯くらい食べに来ることはできるはず。そう思いつつ、毎晩、ドライフードと缶詰めを満タンにして軒下に置く。だれが食べるのか、毎朝、ご飯皿は空になっている。『キャラリン』かもしれない。そう思いたいが、薬が切れてもう10日。ご飯など食べられる状態にないことは、口に出さずとも皆知っている。

台風接近の荒れ模様の中、雨の大嫌いな『ロッキーママ』は、玄関先の特別室で強い雨音を聞いている。
振り込む雨の溜まった軒下では、『クロちゃん』が正座してご飯を催促する。