009/10/11 こうして更新ができる、というのは何と幸せなことだろう。
そうしみじみ思う。
前回の更新から3週間、何かあったの?という声があちらこちらから聞こえてくる。
はい、ありました。
ありすぎるくらい、ありました。
一度には、到底お話しできないほどの出来事がありました。
今日は、出来事その1をお話しします。

「今日、ゴンちゃんの姿見た?」
「夕べ、ベッドの下から出てったのを見たけど」
「今朝、ご飯を食べに来なかったのよ」
「宮沢さんに追い駆けられて、隠れてんじゃないの?」
そんな会話の翌朝も、ゴンちゃんは一日ご飯を食べに現れなかった。
そう言えば、この数日、ご飯を食べに来ても、匂いを嗅いだだけで、ぷいっといなくなっていた。
嫌な予感がして、私はベッドの下を覗いた。
ゴンちゃんが隅で眼をギラギラさせながらこちらを伺っている。
私は、その手を掴み、無理矢理引き摺り出した。
ゴンちゃんは、おばあちゃんの部屋のタンスの上に逃げた。
その鼻先に水を入れた器を置く。
ゴンちゃんは、夢中で水を飲み始めたが、ほどなく、その全てを吐き出した。
昨日、床にあった水たまりも、これだったんだ!
私は即座にゴンちゃんを病院へ連れていくことに決めた。
信じられないほど気が小さく、病院へ着くまでの間に失神するのではないか、と思うほど、鳴き続けるゴンちゃんだが、私に迷いはなかった。
病院が開く30分以上も前に、私はゴンちゃんと一緒に待ち合い室に居た。

ただならぬ私の表情に、先生は早めに診察してくださった。
体温を計っていた看護士さんが小声で先生に報告する。
「体温が上がりません」
先生が計り直す。
いくら待っても36℃を越えなかった。
人の体温に換算すると、34℃あるかないかだろう。
血液検査をする。
GOTが260、GPTは1000超で測定不能。
黄疸も見られ、劇症肝炎と診断された。
その日は入院となり、茫然自失のまま、空のキャリーを持って病院を後にした。

危険な状態にあることは間違いなかった。
だが、覚悟はどうにもつかなかった。
いつもひっそりと一人で居て、時折、「おばあちゃん」と左手でおばあちゃんの背中をたたくのが唯一の意思表示だったゴンちゃんを、どうしてこのまま見送れよう。

臆病なゴンちゃんは、一晩の入院が精一杯。
翌日、ゴンちゃんと、山ほどの注意事項を受け取って家に戻った。
唯一の救いは、肝臓は治る、という可能性だった。
体温を保つためにカイロをタオルに巻き、ゴンちゃんの傍に置く。
肝リピドーシスを防ぐためには、ad缶を一日最低一缶注射器で強制給餌しなければならない。
そして内服薬の投与。
私の一日のスケジュールは、ゴンちゃんの強制給餌を中心に組み直された。
2日に一度、通院して輸液と注射を続けた。
ゴンちゃんは、診察台に乗るたびに、不憫になるほど震え、大量の汗が梅模様を残した。
退院した翌日、発熱したが、それも収まり、体温は平熱に戻った。
ただ食欲は一向に湧いてこなかった。
好きそうなものをあれこれお皿に盛って、鼻先に並べても、その匂いから逃れるように顔を背けるばかりだった。
体重はわずかの間に600g減った。
私の体重もその倍減った。

初めて食べ物に反応したのは、一週間が経ってからだった。
スモール缶の4分の1を入れた皿に鼻を近付け、一口食べた。
たったの一口でも、回復への大きな大きな一歩だった。
強制給餌は続けながら、自分で食べる量が増えるのを待つ。
だが、一口から先へはなかなか進まない。
10日経った頃、4分の1を初めて平らげた。
そして、3分の1、3分の2と食べる量は増え、丁度2週間目には4分の3を食べるようになった。

肝臓の数値は、徐々にしか下がってこないという。
回復の道のりは長く、2カ月は見ておかなければならない。
だた、命の崖っぷちにいた2週間前から思えば、2ヶ月掛かろうが回復への確かな手応えのある今は、暗雲の去った後の秋晴れのような心持ちだった。

経過を見るために、ここで一度血液検査をすることになった。
結果が出るまで小一時間、なき続けるゴンちゃんをあやしながら、待合室で過ごす。
ようやく結果が出る。
先生が首を傾げている。
改善の兆しが見られないのだろうか……。
不安はすぐに吹き飛んだ。
GOT、GPT共に正常値に戻っていた。
この急激な変化が、先生には腑に落ちなかったのだ。
今回の肝炎の原因は何だったのだろう。
ウィルスも白血病もマイナス。
薬物による中毒も考えにくい。
膵炎から引き起こされたのだろうか。
ゴンちゃんの血液は、検査機関に送られることになった。
「膵炎が原因だったとして、治りますか?」
「治りますよ」

ゴンちゃんは、大嫌いな病院通いから解放された。
だが、私の顔を見れば、鹿のような走り方で、逃げ去る。
私=病院、私=強制給餌
この等号がゴンちゃんの頭の中から消えるのを、私は楽しみに待っている。
009/9/21 このところ、会社の外猫さんたちの食べっぷりが悪い。
気紛れなあっちゃんや、猫缶がお皿に入るまで知らんぷりを決め込むズレータばかりでなく、好き嫌いをせず一生懸命食べるホワイトソックスも、残版整理まで一手に引き受けてきたタマまでも、おちょぼ口でちまちま食べる有様だ。
食べ残しをまとめたお皿は二皿になる。
全員で、何か悪いものを食べて食当たりでもしたか、と最初の内は心配したのだが、どこをどう見ても具合が悪そうには見えない。
もしかして、どこか別の餌場を見つけた???
その可能性が日増しに濃くなった。
管理人さんは朝7時には出勤している。
これまでは、その時間にはすでに4匹揃って私が来るのを待っていたという。
延々3時間、律儀に待っていたのだ。
ところが、最近では、私がご飯のバスケットを持って現れる20分前までは姿がないそうだ。
どこかで朝食をいただいているのだ。
ありがたいことだが、ちょっと寂しくもある。
ひたすら頼ってくれていたのに、今は、お付き合いといった感じなのだから。
本当は、彼らはお腹が一杯で、私のご飯を入れる別腹も残っていないほどなのだ。
それを、しぶしぶでも食べるのは、私という餌場を失わないための算段に違いない。
新しい餌場は、いつなくなるかわからないのだから。
「どこでご飯をいただいてるか知らないけど、貴方たちはここで食べられるでしょ。他では食べられない子たちのご飯を横取りするようなことはしないでね」
彼らに言って聞かす。
相変わらず私の足音を聞きつけて、走り寄る4匹……
今となっては社交辞令のようにも思えるが、ああ、それでも愛おしい。
009/9/14 食べ物の恨みは怖い、と言うが、ケンカが頻発するようになったneco家の猫たちは、食べ物だけは譲り合う。
もちろん、いつでも食べられる、という安心感がそうさせるのだろう。
飢餓状態に置かれたら、どのように変貌するのか、想像しただけでもぞっとする。
一方で、衣食足って礼節を知る、と言う。
だが、neco家の6匹兄弟は、礼節を忘れている。
食は足り過ぎるほど足り、衣は、一張羅とは云え、立派な毛皮を身に纏っているというのに……。
ケンカの原因は、専ら「居場所」のようだ。
狭い家ながら、それぞれが自分の所定の場所を確保しているのだが、隣の芝生は青く見えるのだろう、あるいは、もそっと自分の居場所を拡大したいのか、人の場所で眠ってみたりする。
狸寝入りかもしれない。
大事な居場所を侵された猫にとって、それは一大事。
身一つ横になる小さなスペースと、周囲1mほどの緩衝エリアを奪われては大変と、一悶着が必ず勃発する。
人間にとっても、居場所は本当に大切だ。
立って半畳、寝て一畳、という以上に、自分が寄って立つ拠り所なのだから。
職場でも、家庭でも、自分が納得いく時間が過ごせてこそ、居場所だ。
その居場所が作れずに、多くの不幸や惨事が起きる。
neco家の6匹兄弟のうち、エリちゃんは、居場所を侵されるたびに、新たな居場所を見つけ出す。
ゴンちゃんは、闘って居場所を死守する。
いずれにしても、居場所侵害だけには目を光らせなければならない。
009/9/5 兄弟ゲンカの主犯として宮沢さんには警戒を怠らなかったが、思わぬ伏兵、ゴンちゃんによって、またまたトンちゃんが手負いになった。
バスケットボールのように大きな団子になって取っ組み合って僅か数秒、トンちゃんは5カ所の傷を負った。
これだけのケガをすれば、相手が無傷とは考えられない、と動物病院の先生はおっしゃるが、ゴンちゃんは、まったくの無傷。
どうやらトンちゃんは、相手に手出しをしないらしい。
だから、与し易しと、トンちゃんはいつも標的になるのかもしれない。
エリザベスカラーを着けたトンちゃんを目にして、けしからん、とゴンちゃんを眼光鋭く睨み付ける猫がいる。
何と宮沢さんだ。
いつもトンちゃんを傷つけている張本人だ。
宮沢さんとしては、ゴンちゃんが勢力を拡大するのを見過ごすわけにはいかないらしい。
宮沢さんとゴンちゃんの間の雲行きが怪しくなり、宮沢さんは、予定外の隔離部屋に閉じ込められた。
木曜日の夜のことである。
その日は、日中も母が留守でいつも通り隔離され、夕方解放されたばかりだった。
宮沢さんは、一晩中なき続けた。
翌金曜日は、母を病院へ連れて行く日で、またまた隔離。
隔離生活に愛着を覚え始めた宮沢さんも、さすがに堪えたらしい。
母が病院から戻って解放してあげても、極めてそっけない。
陽気なおしゃべりもぷっつり途絶えた。
昨晩は、いつものように母と添い寝したのだが、ご機嫌斜めな宮沢さんは終始母に背中を向けていたという。
日ごろは、向き合っていないと気がすまず、母が寝返りする度に、自分も右から左へと移動して、向き合って眠るというのに。
今日も母はデイサービスに出掛けた。
宮沢さんは、またまた隔離部屋に閉じ込められている。
宮沢さんが口をきいてくれるまで、かなり時間がかかるかもしれない。
009/8/23 ケンカの相手に縫合するまでの深手を負わせる宮沢さんは、母がデイサービスに出掛ける日は、空き部屋に隔離される。
一人でいるのは可哀想に思え、絶対にケンカしないであろうモナコを一緒に入れる。
部屋の中には、二階建てのケージがあり、その一階に宮沢さん用のキャットベッドを置き、モナコには大好きなダンボール箱を用意した。
トイレと水、ご飯の準備も万端。
気温に合わせて、エアコンもつけていく。
できる限り快適に過ごせるように、気を配っているつもりだが、それでも
閉め切った6畳間に7時間も閉じ込めておくのは不憫で、その日の夕食時には、宮沢さんがねだるまま、ついつい私たちの食卓から魚だの、肉だのをお裾分けしてしまう。
それが、いつの間にか習慣化して、今では毎晩、私たちが食卓につくと、宮沢さんはお父さんの隣に陣取り、あれ食べる、これは食べない、を繰り返している。
人間が食べるものは塩分が多いから、決して褒められた習慣ではない。
せめて量は最小限に抑えなければ、と「もうおしまい」を通告すると、宮沢さんは、くるりと向きを変え、お父さんにお尻を向けて座り直す。
現金な物だ。
最近では、隔離部屋のベッドに、マタタビ粉を振りかけるサービスも加えた。
これは相当お気に召したと見え、閉じ込める日でもないのに、同じ時刻になると2階へ上がり、その部屋の前で私を呼ぶ。
お陰で、閉じ込めるのは楽になったが、このサービスの噂は他の猫にも伝わり、閉じ込めてもらいたい猫が行列を作るようになってしまった。
モナコは、と云えば、おっとりとしてものに頓着しない性分だから、閉じ込めようが、閉じ込めまいが、一向に変わることがない。
ただ、二人だけでいる時間が増えた宮沢さんに愛着を持つようになったのか、毎晩おばあちゃんと添い寝する宮沢さんの傍で眠るようになった。
ケンカ防止の対策が、このような新しい習慣や猫関係を生み出していくとは、思いも寄らなかった。
この先、どんな流れになっていくのか、興味津々だ。
009/8/16 今、neco家ではハマユウの薄紅色の大輪の花がつぎつぎと開花している。
30輪ほどあるだろうか。
一度にこれほど咲いたのは初めてだ。
しかも今年2回目の開花だ。
キキョウも白と紫の二種が、間断なく咲き続けているし、その根元には、どこから飛んできたのか、ベゴニアが同居を始め、こちらも花盛り。
トルコキキョウも、一回花を終えた後、またまた蕾を持ち、一輪、二輪と咲き始めた。
20歳になるアマリリスは花屋さんを驚かせたものだが、こうした花の咲き方はやはり珍しいようだ。
花屋さん曰く、よほど居心地が良いのでしょうね。
私は花のことは良く判らず、手入れも行き届かずに至る所雑草だらけだから、私の手柄ではないことは確かだ。
今の家は、一階はまるで日が当たらず、狭いし、お世辞にも暮らしやすい家ではない。
だが、何となく「命が集う家」という気がしてならない。
猫が十数匹の大所帯になったのも、この家に来てからだ。
もちろん見送った猫たちも大勢いる。
それでも、この家は「命の家」だと思う。
もう少しゆったり暮らせる家に引越したいとは思う。
だが、それが怖くもある。
「命の家」は何にも替え難いのだから。
009/8/9 neco家に猫の兄弟喧嘩が頻発するようになって一年半。
その間、延べ5匹が10針以上の縫合をしている。
相手は決って宮沢さんだ。
あんなに仲の良かった兄弟がなぜ???
宮沢さんの様子を観察していると、溌剌とした目の光がなくなっていることに気付いた。
幼い時から眠くなると白目を出す子だったが、今では起きている時の殆どが半分白目で、口を「への字」にしている。
9歳だからシニアはシニアだが、認知症でも始まったのだろうか。
凶暴性もその症状の一つなのかだろうか。
慌てて猫の認知症について調べたが、凶暴性に言及するものは見当たらなかった。
目に光を取り戻したい!
そう思って、しまい込んであったネコジャラシを取り出し、どんどん遊ぶことにした。
白目を出して仏頂面をしていた宮沢さんも、さすがにネコジャラシには夢中になる。
そうそう、これまでの2倍、3倍、声も掛けていこう。
振り返れば、このところ、宮沢さんは叱られる一方だった。
ケンカの常習犯ではやむを得ないのだが、褒めてあげることをとんと忘れていた。
そんな働き掛けが宮沢さんに変化をもたらした。
夕食の時に、お父さんのとなりのソファの背に上り、おねだりをするようになった。
人間の食べ物は塩気が強いから猫には好ましくないが、特例として、量を加減してあげることにした。
おねだりは毎晩の日課になった。
もうこれ以上はもらえない、と悟ると向きを変えてお尻をお父さんに向けるのだが、その聞き分けの良さを大いに褒める。
宮沢さんのブルーの目は、以前のようにまん丸く開き、キラキラと輝くようになった。
宮沢さんにケガを負わされたニセド、トンちゃん、ゴンちゃんは、宮沢さんと行き合う度に身構えて「シャーッ」と吹くから、宮沢さんもついつい戦闘態勢を整えようとするのだが、そんな時はすかさず
「宮ちゃん、偉いねえ。ケンカしないんだもんねえ」
と優しく声を掛ける。
褒め殺しは猫にも有効と見え、宮沢さんはその場をやりすごす。
この一年半、宮沢さんはきっと私たちに疎んじられていると思っていたのだろう。
その思いが、目から光を奪い取っていったのだと思うと、すまなさで胸が一杯になる。
宮沢さんが人間だったら、
「なんだよ、その手の平返したような態度はさあ。機嫌なんか取るんじゃないよ。そっちの胸の内はお見通しなんだよ」
ということになるのだろう。
宮沢さんの猫ゆえの素直さに、宮沢さんも私も救われたのかもしれない。
009/7/26

山口県の皆様、九州地方の皆様、ご無事でしょうか。
集中豪雨の被害に遭われた方には、心よりお見舞い申し上げます。

今年もまた、一時間当りの降水量の最高記録が更新されています。
豪雨のシーズンは、まだ始まったばかり。
何年か前に浸水被害にあった我が家では、気が気ではありません。
その時も警報は出ませんでした。
警報ばかりに頼らず、天気予報をこまめにチェックして、被害を最小限に食い止めるよう、お互いに心掛けましょう。



買う本の99%が猫本になって、数年。
本棚は満杯、デスクの上は山積みでこれ以上積めず、今はダンボール箱に押し込む始末。
一体何冊あるのやら。
猫本は私の宝ですから、出来る限りハードカバーを買うようになりました。
本は、文や絵という内容はもとより、版型、装丁、紙質、フォントなど、本ならではの楽しみに溢れています。
その本が、蛍光灯に曝されて褪色していくのを、なす術なく見ているのは、切ないものです。
かと云って、すっぽりカバーを掛けては、何の本だかわからない。
さて、どうしたものか……
昔は、スリーブケースに入った単行本にはパラフィン紙みたいな半透明の紙が掛かっていたっけ。
岩波新書にも掛かっていたなあ。
あの紙の感触、良かったなあ。
そうだ、あの紙を探して、全部の本に掛けよう!
多少は褪色が和らぐだろうし、タイトルも見えるし、雰囲気もいいし。
という訳で、その紙が一体何と言う紙なのか、から調べ始めました。
こんな時は、インターネットのありがたさを痛切に感じます。
すぐにグラシン紙だと判りました。
グラシン紙は、今はお菓子作りに使われるのが主流のようで、全紙版を売っているお店は多くはないようですが、それも無事に見つけだすことができ、翌日には、100枚が届きました。
早速表紙掛けに取り掛かりましたが、これが意外にも時間がかかります。
これから買う本には、その都度掛けるとしても、今ある本の全てがグラシン紙を纏うのはいつのことか。
その間にも、美しい色は光に吸い取られていきます。
やれやれ。
009/7/18

暑中お見舞い申し上げます。

関東地方は例年より1週間程早い梅雨明けと同時に猛暑日が続き、早くも夏バテになりそうです。
皆様、スポーツドリンクをこまめに摂るなど、暑さ対策を十分になさってくださいね。



「私、血液型が変わっちゃったのかも」
私が何げなく口にした言葉が、図らずも大受けしている。
私は至極真面目に言ったつもりだ。
もし、血液型が変わっていなければ、今でもA型のはず。
40代半ばまで、私は自他共に認める典型的なA型人間だった。
生真面目で、何でも徹底的にやらずには気がおさまらない。
取越し苦労は専売特許。
起こりそうもないことを頭の中でどんどん膨らませ、思い悩む。
悲観的とは言わないまでも、「まあ、いいか」や「アバウト」とは対極的。
頭でっかちに考え込んで、体は動かない。
そんな私が、いつの間にか「あなたA型でしょ」とは決して言われなくなった。
「O型ですよね」
「間違いなく私たちと一緒、B型よね」
自分がO型やB型とは思わないが、かと云って「A型です!」と断言もできずにいる。
「お母さんは、ホント、楽天的だもんね」……息子は呆れ顔で言う。
確かに、鬱々と思い悩むことはすっかり忘れてしまった。
気が付けば「まっ、いっか」の連発。
困ったことがあっても、「何とかなるでしょ」と頭の中はすっからかん。
その分、体は動く動く。
それが、また、楽しい。

この変化は、ある日突然やってきたわけではないだろうが、ロッキーと出会い、ほんの僅かを共に暮らし、交通事故で突然失ったことと無縁ではなさそうだ。
普通に考えれば、悲嘆に明け暮れているはずなのだが、ロッキーの猫となりに触れ、気付けば、私がロッキー化していた、ということなのだろう。
もちろん、それに続く多くの猫たちとの出会い、暮し、別れも、私の脱A型に拍車をかけている。
今、血液型を調べたら、CATのC型と判明するに違いない。

一昨日、とある資格の更新試験があった。
テキストを開くとすぐに居眠りが始まる。
勉強好きを自認し、テストは常に満点を目指す私からは、想像もできない事態だ。
ハウスの『メガシャキ』でも飲んで頑張ったか、ですって?
とんでもない、さっさと諦めて、「何とかなるさ」を決め込みました。
本当に何とかなったかどうかは、じきに分かりますから、気にしない、気にしない。
ストレスフリーなC型人生、猫たちからの贈り物のように思えます。
009/6/28 ネットショップという便利な買い物手段で、どれほど助かっていることか。
本も90%以上がAmazon 頼みだ。
本は書店で求めるに限る、とは判っている。
実際に書店に出掛ければ、思い掛けない本との出会いもあるし、中身を垣間みて買うこともできる。
それに『本』に囲まれた空間は、独特の高揚感というか、停滞している私の背中を押してくれるような力があるものだ。
だが、ついつい利便性に負けて Amazon を利用する。
一番最近購入したのが、Anne Mortimer のギフト・ブック "Cats"だ。
「この商品を買った人はこんな商品も買っています」のコーナーには、同じく Mortimer の "Catopia" が掲載されていた。
"Catopia" ……うんうん、私も持ってる。
"Cats" は残り一冊だって?
即刻買わなくちゃ。
何の迷いもなく、カートに入れてチェックアウト。
到着が待ち遠しかった。
何しろ、先に買った "Catopia" は素晴しい内容だったのだから。
同じ版型のようだから、素敵なコレクションになるだろう。
2日後、到着したAmazonの段ボールをワクワクしながら開ける。
うん!うん!予想通り、同じ版型の大型本だ。
そうっと1ページ目を開いて、我が目を疑った。
うっそー!うそよねえ。
どんどん、ページをめくる。
最後のメージまで来て、落胆しながら本を閉じた。
何と、中身が全部、"Catopia" と お・ん・な・じ だったんです。
違うのは、タイトルと、表紙画と、出版社。
便利の裏側には、こんなこともあるんですねえ。
009/6/21 こあねちゃんは、相変わらず姿を見せない。
もしやと思い、神社に出掛けると、本殿の階段の裏に見事な三毛が座っていた。
夢中でシャッターを切る、その背中に
「ここには四匹いるんですよ」
という声が届いた。
振り返ると、社務所の入口に男性が立っている。
この神社、以前「猫に餌をやらないでください」という立て札が立っていて、会社の氏神様とは云え、好感を持てずにいた。
もちろん、氏神様が悪いわけではない。問題は人間なのだが。
だから、四匹いる、と半ば自慢気に語るその人の存在が意外だった。
神社への好感度は急上昇。
だが、残念ながら、こあねちゃんの気配はまったくなかった。
神社の駐車場に回ると、5匹が身繕いをしている。
ここは以前から餌場となっていて、猫たちが三々五々集まるのだが、こあねちゃんの姿はなかった。
用意していたドライフードを何カ所かに置くと、痩せっぽは匂いを嗅いだだけで身繕いに戻り、せっせと食べ始めたのは完全なメタボの2匹。
私以上にこあねちゃんのことを気に掛けているステーキ屋さんのご主人は、いつ帰ってきても食べられるようにと、ドライフードを常時勝手口に置くようにしたのだが、それを食べるのも、肥満のタマサと相場が決まっている。
何ともうまくいかないものだ。
PCのデスクトップには、タマサを優しく舐めているこあねちゃんがいるのだが、その背中を撫でることはもうないのだろうか。
撫でられなくてもいい。
この界隈は私の庭、と闊歩する姿さえ見かけられれば。
009/6/14 朝5時ちょっとに起きて、夜11時にベッドに潜り込むまで、毎日ほぼ同じスケジュールの生活をしていると、時間割から外れた一日には、がっくりと疲れるものだ。
一昨日、私は宅建免許の更新講習会に出席した。
これに出ないと免許の更新ができない。
一コマ2時間の講義が3つ……日ごろ寝不足気味だから、眠くなるのは覚悟の上だった。
だが、同じ場所にじっと座っていることに、これほど苦痛を感じるとは予想もしていなかった。
毎日最低でも8時間はパソコンの前に座っているというのに、たかだか6時間に耐えられないとは……なぜだろう。
要は、自由を奪われているということが問題なのだ。
それにしても、いつからこんなに堪え性がなくなったのやら。
大勢の猫たちと一緒に暮らしているうちに、猫化してきたのかもしれない。
彼らが腕に抱き取られることさえ頑に拒否する気持が判ったような気がする。
学校を卒業するまで、猫化しなくて良かった。
今の私だったら、不登校になっていたかも……
などと思いつつ、疲れ切った体を引きずるように、会社に戻った。
009/6/7 善福寺公園近くのテラス・レストランで昼食を取った後、ぶらぶらと歩いて帰ることにした。
平日の善福寺公園は人気もまばらで、色濃くなった木々の葉の屋根、程良く湿った土の床という贅沢な空間で寛ぐことができる。
あっ、白い猫を発見。
「猫ちゃーん、こっちにおいでー」
猫は、はいはい、承知してますよ、とばかりに、ゆっくりこちらにやって来る。
私たちの目の前のテーブルにひらりと乗り、
「撫でたいんでしょ、どうぞご随に」
と体を横たえた。
「それでは、お言葉に甘えて」
夢中で撫で回す。
どっしり構えたその姿……まさにこの広大な公園の主だ。
気が向いた時に、いつでもやって来ては、居たいだけ居るのだろう。
やっとのことで取った連休の一日をここで過ごす我が身とは、えらい違いだ。
一台の自転車がやって来た。
この一画の向こう端に自転車を止めて、ポニーテールの青年はベンチに横になった。
猫と青年……同じ空間と思いを共有している仲間……
とっても幸せな気分だ。
生きるって、こういうことだよねえ、本当は。

生きる為の枝葉に引き戻され、私たちは、猫と青年を残して、そこを立ち去った。
009/5/31 ぬーちゃんが左腕の内側をしきりと舐めている。
赤肌が見えたような気がして、腕を持ち上げてみると、なんと15cmくらい赤剥けている。
つい2日ほど前は、何ともなかったのに……
腕にこれといった傷もなければ、湿疹のようなものも見えない。
動物は、ストレスで、毛を引っ張って抜いてしまうことがあるようだが、ぬーちゃんもそうなのだろうか。
ぬーちゃんは、確かに人一倍繊細で、傷つきやすく、しかも溜め込むタイプだ。
兎に角、これ以上舐めないように、エリザベス・カラーを付けた。
このカラーがまたストレスになりはしないか、カラーのせいで、日ごろの便秘が悪化するのではないか……心配は尽きない。
どうしても注意はぬーちゃんに向かう。
自分で身繕いができないから、あったかタオルで顔を拭いたり、体を拭いたり……
すると、ぬーちゃんの目が子供っぽい光を取り戻し始めた。
カラーを付けて、わずか3日。
腕の赤剥けは随分良くなり、カラーを外しても舐めなくなった。
邪魔なカラーがなくなり、サッパリしたぬーちゃんは、大きな体を揺すりながら、オモチャを追い掛けて走る、走る。
ご飯をねだり、ウンチをし……
ああ、やっぱり内向きになっていたんだあ。
11匹に均等に気を遣っているつもりでも、疎外感を感じたりしてたんだろうなあ。
もっと、猫たちの目の輝きに注意しなくちゃ。
ごめんね、ぬーちゃん。

御礼
使用済み切手・プリペイドカードを匿名でお送りいただいた皆様、本当にありがとうございました。心より御礼申し上げます。
頂戴いたしました切手等は、まとめまして動物福祉協会に送らせていただきます。
封筒に貼られた切手を一枚一枚切り取ってくださった皆様のお気持ちが、動物の福祉に有効に役立てられるよう、そして、こうした活動の環が、どんどん広がり、『日本の猫に生まれたい』と思える日本になることを、心より願っております。今後ともご支援、よろしくお願い申し上げます。
009/5/24 会社の外猫さん、コアネちゃんが姿を見せなくなってかれこれ二月になる。
そもそも気紛れで、陽気が良くなると、どこか他の処で寝ているのか、朝ご飯に顔を出さないことも多くなる。
それでも、夕方の食事には必ずやって来たのだが、この二月、全く現れない。
おそらく、あっちゃんとの折り合いが付かなくなったからだろう。
あっちゃんが、どこからともなく突然現れ、血族4匹の中に加わった時から、コアネちゃんは、あっちゃんを快くは思っていなかった。
時折、猫パンチを飛ばしては、先住猫の権威を示していた。
あっちゃんは、譲るところは譲り、時間を掛けてメンバーの一員となったが、その地位が不動のものになると、次第にコアネちゃんの猫パンチに応酬するようになった。
そんなあっちゃんに、或は逆襲される自分に我慢ならなかったのか、コアネちゃんは、4年半を過ごした寝床と1日3食の食事、寄り添って眠る身内に決別した。
余程お腹を空かせれば、背に腹は代えられず、戻って来るに違いない、と信じることにしたが、それでも、何度となく「コアネちゃーん、コアネちゃーん」と大声で呼びながら、近所を探し回った。
どこにも姿はなかった。
つい2日ほど前のこと、会社の社員さんが、コアネちゃんを見たという。
痩せていたが、間違いないと。
「えっ?ガリガリに痩せてたの?」
「ガリガリじゃないけど、前より痩せてましたよ」
前はメタボ気味だったのだから、少々痩せて丁度良くなったかも……そう思いたかった。
私は、姿を見たという神社に走った。
神社周辺には2カ所の餌場がある。
世話をしている人のお店に飛び込み、名乗りもせずに尋ねた。
「近頃、グレーの子がこちらでお世話になっているでしょうか?」
「ああ、来てると思うよ」
「4年半も一族と一緒に暮らしていたんですけど、突然いなくなっちゃって……」
「良くあることだよ。大丈夫、外猫が餌がなくて死ぬなんてことは絶対にないから」
その人は私の心中を察したように、付け加えてくれた。
帰り道、もう一度神社に寄ると、2匹の猫が境内の奥に座っていた。
その一匹がズレータや我が家の4匹の母猫、チョコに似ていた。
近寄る私から逃げ出そうとする2匹。
「チョコちゃん、チョコちゃんよね」
と声を掛けると、チョコらしき一匹は足を止めて、振り返った。
チョコは避妊をして間もなく、子供を置いていなくなった。
もし、この猫がチョコなら、きっとコアネちゃんも生きていけるだろう。
コアネちゃんが選んだ道……
でも、4匹でのご飯は寂しい。
2009/5/16

休み明けでも、難なくフルスロットルに入る私だが、今年ばかりは何とも…
しっかりアクセルを踏み込んでいるのだが、空ぶかしをしているようで、一向に前に進まない。
連休明けの7、8日で済まさなければならない仕事は何とかこなせたが、この時、根を詰め過ぎたのか、それからの仕事ぶりは惨憺たるものだ。
『猫三昧』の更新も遅れに遅れ、ようやく今日になって、予定していた半分のコンテンツで更新。
仕事であれ、私事であれ、やり残しを抱えていると、気持が晴れないものだが、唯一、朝の花いじりのひとときは、すべてを忘れて楽しむことができる。

一昨年植えたイチゴは、いらぬ手を掛け過ぎて、昨年は満足に実らなかった。
反省せずに腹を立てた母は、そのまま放っておいたが、それを喜んだイチゴは、今年は猛烈な勢いで成長し、そこここに形の良い真っ赤な実を付けた。
初なりのこの一粒は、半分に切って、母と二人で心していただいた。昨年より高い位置に実を結んだから、だんご虫に食べられるものも少なく、今年は『収穫』できそうだった。
毎朝色づきを見て、収穫日は明日、水曜日と決めた。
収穫の朝、起き出した私に、母が開口一番、
「夕べ、イチゴ取ったの?」
夜9時に帰宅して、取るわけないでしょ!っと思ったが、何でそんなこと聞くの?まさか……
「一粒もないのよ。全部ないの、イチゴ」
うそーっ、と言う間もなく、私はイチゴの元に駆け出していた。
赤く色づいた実は、大小を問わず、根こそぎなかった。
ダンゴ虫に半分食べられ、気前よくプレゼントすることにした粒までなくなっていた。
前日の夕方は確かにあったという。
一体、誰が???
イチゴ畑は通りから奥まった所にあり、人目にはつかない。
一体、誰が???
水と肥料をやるくらいで、さして手もかけなかったのに、こうなると、手塩にかけて育てたイチゴを、ということになる。
勝手なものだ。
悔しくて悔しくて、会う人ごとにイチゴ盗難事件を話すうちに、犯人は鳥ということになった。
鳥かあ……思わず笑みがこぼれた。
鳥は旬の一瞬を見きわめる最高の目利きだという。
私の収穫予定も、正しかったということだ。
要は、鳥の方が早起きだったということ。

毎朝目覚めると、枕元の窓から早朝の瑞々しい風と鳥の囀りが届く。
高原の別荘にいるような清々しさに、喜びと感謝で一杯になる。
真っ赤なイチゴは、そんな至福の時を授けてくれる鳥たちへの、思い掛けない恩返しとなったのかもしれない。

2009/4/26

3月末、青梅街道は連日渋滞した。
原因は街路樹の銀杏の剪定作業だった。
予算の消化?と眉間にシワを寄せて、クレーンの上の作業を見上げた。
余分な枝が落され、形を整えられた空坊主の銀杏は、こざっぱりとしたが、
あまりの風通しの良さに風邪を引くのではないかと思ったほどだ。
あれから一月足らずだが、銀杏は新緑の初々しい葉をつけ、車とビルの空間にやさしい彩りを添えている。
一年を周期とする植物の時計は、人間の80倍の早さで回っているのだろうか。

春になると散策をしたくなる。
先日、税務署で用事を済ませた後、人の流れについて裏道を行くと、商店街に出た。
商店街があるのは知っていても、ついぞ通ったことがなかった。
この商店街がなかなか面白い。
古ぼけた板張りの壁を黄緑のペンキで塗ったクリーニング屋さんの、通りに向けて大きく開け放たれた木枠の窓の中には、これまた年代物の重そうなアイロンでプレスに精を出す姿があったが、なぜか、これがオシャレに見える。
そう言えば、この商店街、年期の入った民家の一階がお店になっている。
時と人の流れが染み付いたような空気感があり、それでいて寂れていない。身近な土地に、新しい発見をした時は、とりわけ嬉しい。

ふらりと立ち寄った趣味の店で、手拭い本を見つけた。


この手拭い本、綴じを解けばこのような絵柄の手拭いになるらしい。

体を洗うにも木綿の手拭いが良いらしく、このところ、手拭いブームだ。
昨年、後生大事に仕舞い込んでいた猫柄の手拭い2本を使い始めたが、さすがにこの手拭い本の綴じを解く日は、遠い先になりそうだ。

2009/4/18 昨年からneco家では兄弟喧嘩が多発。
延べ5匹が縫合する深手を負った。
相手変われど主変わらぬケンカの「主」は宮沢さんだ。
「主」というだけで、ケンカの原因も、仕掛けたのが誰かも判らない。
だが、どうしても「また、宮ちゃんなの」とこちらの口調も視線もキツくなる。
今年に入ってからは、家を空けるときは宮沢さんを2階の一室に隔離している。
春の柔らかい陽射しと、爽やかな風が心地よい部屋なのだが、6帖間に閉じ込められるのは不満らしく、今朝も開かない扉の前で鳴いていた。

宮沢さんは、いずれ人間の言葉も話し出すのではないか、と真剣に考えるほどのお喋りで、人の言うこともよく判る。
天才肌で、エキセントリック。
その集中力は比肩する者なく、狙いを定めた時のしつこさも半端ではない。

そんな宮沢さんだが、このところ、お喋りをしないことに、ふと気づいた。
そう言えば、瞬膜が半分かぶった目で、ぼーっとしていることが多い。
食欲も毛艶も良く、元気の良い時間帯は一人遊びで駆け回っているから、体調が悪いとも思えない。
もしかして、躁鬱病?それとも認知症?
急に心配になり、不憫になった。
自ずと宮沢さんを抱き寄せ掛ける言葉は多くなり、トーンも優しく、穏やかになる。
その効果は覿面だった。
ブルーグレーの目は、生き生きとした光を取り戻し、
「にぇえ、にょう?にゃおにぇ」
と仕切りに話掛けてくるようになった。

宮沢さんを愛おしく思う気持に変わりはなかったつもりだ。
ただ困り果てていた。頭痛の種だった。
そんな心中から出た言動が、宮沢さんに疎外感を与えていたのだろう。
もしかしたら、宮沢さんを思う気持自体が知らず知らずに変化していて、それを敏感にキャッチしたのかもしれない。
宮沢さんの小さな胸に去来した思いを想い、深く息を吸い、目を閉じた。
2009/4/3

桜餅、桜蕎麦、桜ご飯、桜カステラ、桜ロール、桜アイス……3月は桜と名のつくものを次々に食してきたが、当の桜のつぼみはなかなか膨らまなかった。
今日は、ようやく春らしい陽射しが温かく、桜も満開となったことだろう。
neco家の庭も、春の息吹に包まれている。
デイジー、レンギョウ、ヤマブキの黄色が眩しい。
昨年に小さな株3つを植えたビオラは、直径50センチのプランターからこぼれるほどの花をつけている。
アメジストセージも新芽がぐんぐん伸び、20歳になろうとするアマリリスの巨大な球根からは、しっかりとした葉が2枚ずつ頭を出した。
紫陽花の葉は、瞬きせずに見ていれば伸びていくのが見えるのではないかと思う。
春の庭は、密やかで逞しいエネルギーに満ち溢れている。
中でも驚く程の生命力を見せてくれているのがイチゴ。
一昨年初めて植えたときは、母が手入れに精を出したのだが、期待した程の実りがなく、しかも完熟した実はダンゴ虫に先を越されて、こちらの口に入ったのは、数えるほどだった。
ガッカリした母は、そのまま放っておいたのだが、今や、花壇を乗り越えて、石ころだらけの駐車場にまでツルを伸ばし、固く痩せた土に根を下ろして、タイヤのすぐ傍で花を咲かせている。
花壇のイチゴの元気良さも株の数も、作シーズンの比ではない。
相手のことを良く知らず、半端な知識で先回りし、不要な手や誤った手を掛けてしまうことが、相手にとってどれほど迷惑なことか、改めて教えられた。
今年はどんな実りとなるのか、そっと見守っていたい。

2009/3/22 ベッドに上がって眠る猫にも2種類いる。
邪魔にならないように、足下の端っこで控え目に眠る猫と、こちらの足や体の上にどっかり乗っかって眠る迷惑千万な猫だ。
ニセドは正にその迷惑猫で、おばあちゃんは8キロを越える体重を支えきれない。
そこで、ニセドは毎晩2階へ連れて行くのだが、ニセドの迷惑はそれだけにとどまらない。
夜中に、突然、耳をつんざくような大声で鳴くのだ。
起きろ、と言いたいのだろうが、それならもう少し違った鳴き様があるのではないか。
小さい声で鳴いてみて、効果がなければ徐々にボリュームを上げるとか……
それがいきなりフル・ボリュームでがなり立てる。
しかも延々とだ。
こちらはどんなに鳴かれても、起きたりはしない。
ニセドには諦めていただくのが一番だ。
だが、これに我慢ならじ、と立ち上がったのがエリちゃんだった。
私の腕枕で眠っていたのに、突然、布団から起き出して、ニセドに向かって歩いていき、ぐっと睨み付けた。
「うるさい!馬鹿鳴きやめんかい!」
日ごろ、ニセドに追い掛けられているエリちゃんの、何と逞しい姿だろう。
その迫力に、ピタリと鳴き止んだニセドだったが、次の瞬間、気を取り直したのか、エリちゃんに向かって突進してきた。
エリちゃんは、慌てて私の布団の中に舞い戻る。
すんでのところでセーフ!!
2匹のこの無言の一コマが二晩続いたが、何を思ったか、エリちゃんは2階で寝るのをやめてしまった。
大好きなパパと一緒に過ごす大切な時間を諦め、居間の椅子の後ろにクーちゃんが作った隠れ家で眠っている。
パパがエリちゃんを抱いて2階へ上がっても、一人階下に下りてきてしまう。
ちょっぴり不憫?
でも、ご心配には及びません。
エリちゃんは、その容姿に似合わない高いびきで、熟睡しているのですから。
2009/3/15 トンちゃんの傷は、幅3ミリ、長さ7ミリまで小さくなった。
3センチ×4センチの穴ぼこだった傷が、縫わずにこうして治ってくる過程は感動ものだ。
肉芽が上がり、傷の縁から新しい皮膚が伸びてくる。
その新しい皮膚からは毛が生え始め、ちゃんと縞模様を作っている。
自然治癒の神秘だ。
先生は、「ここまで傷が小さくなっても、舐めたら間違いなく治りませんから」と太鼓判を押した。
またまたエリザベス・カラーをつけて帰宅。
だが、トンちゃんにはもう限界のようだった。
器用に外してしまうカラーを着け直していると、まるで発狂したかのように暴れ始めた。
無理もない。かれこれ2ヶ月、こんな邪魔なものを着けて、不自由な生活を強いられてきたのだ。
痛みのあるうちは我慢できても、ここまで治ったら、もう辛抱できないだろう。
トンちゃんのエリザベス・カラーも、ニセドのカラーと一緒に戸棚にしまった。
幸い、傷は気にならないと見え、しつこく舐めることもしなかった。
トンちゃんは、ようやくいつもの生活に戻った。
まずは、家中のパトロール。
その後を、クーちゃんが付いて回る。
途中で、鬼ごっこやサッカーを挟みながら、二匹は久しぶりの凸凹コンビを楽しんだ。
この2ヶ月、クーちゃんはトンちゃんから離れて暮らしていた。
トンちゃんが眠る椅子を背伸びして覗いては、エリザベス・カラーをみつけ、諦めて離れていく姿を何回見てきたことか。
このまま、トン・クーコンビは解消されてしまうのかと思った。
でも、二匹は決してお互いを忘れてしまったわけではなかった。
他方、トンちゃんのカラーがはずれて、寂しくなったのは私。
これまで、起きている間は膝の上に乗ってしがみつき、こちらは満足に食事も食べられなかったし、寝れば寝たで、しっかり腕枕。寝返りできずに体が固まった。
こんな甘えん坊になって大丈夫かと心配したものだが、邪魔なカラーが取れたら、膝にも上がってこなければ、寝床に入ってくることもない。
やれやれほっとした、と言いながら、あの極上の感触が懐かしく、空の膝に代わりの猫を乗せてみたりしている。
でも、でも、多少寂しくても、みんなが元気で、人などおかまい無しに、好き勝手に暮らししているのを見る方が、幸せというものだろう。
2009/3/1

ケガをして丸々2ヶ月が経ったニセドは、さすがに完治。
自主的に外したエリザベス・カラーは、そのまま戸棚にしまわれた。
一方のトンちゃんは、未だ週一度の病院通いが続いている。
傷は幅5ミリ、長さ1センチまで小さくなり、あと一息だ。
2月は、4匹がワクチン接種を受ける月でもあり、トンちゃんと一緒に一匹ずつ病院へ連れて行っている。
トンちゃんもエリザベス・カラーをして一月半……さすがに、外すコツを覚えてしまった。
猫トイレの縁に引っ掛けると簡単に取れると見え、家に帰ってみると、体中を舐め回しているトンちゃんと、ど真ん中にエリザベス・カラーを戴いた猫トイレが目に入ってくる。

1月半ばから紛糾していた仕事もようやく目処がついた。
止まない雨はないのだ。
わかってはいても、雨のただ中に居ると、雨上がりを想像することもできなくなるものだ。
まばらな更新しかできなかったが、これから徐々に元のペースを取り戻していきたい。

菜種梅雨の前倒しだと気象予報士さんは言うけれど、なんと冷たい雨だろう。
経済も政治も絶望的なのだから、せめてお天気だけは……ねえ。

今晩10時からNHK教育テレビで
『ひとりと一匹たち 多摩川・河川敷の物語』が放映されます。
皆様、ぜひご覧ください。

2009/2/17

トンちゃんは相変わらず病院に通っている。
化膿したところを取り除いた傷痕は、直径3cmほどの穴になっていたのだが、時間の経過と共に赤ピンクのきれいな肉芽が上がってきてた。
それと並行して、皮膚が徐々に肉芽を覆うようにせり出してきて、傷は半分の大きさになった。
一方、昨年暮れに大ケガを負ったニセドは、1月10日には抜糸したのだが、完治したと思われた傷痕から血が滲み始めた。
エリザベス・カラーが取れて、傷痕を舐めたのがまずかった。
猫の例の舌で舐められると、組織は壊れてしまうのだそうだ。
称して『舐め壊し』。
家のない猫たちは、舐めて傷を治しているものと思っていたが、それはとんだ勘違いなのだという。
舐めて治したのではなく、舐めても治ったのだそうだ。
つまり舐め壊しより、組織の修復力の方が強かったということだ。

neco家では、エリザベス・カラーを付けた茶トラ2匹が、あちこちにカラーをぶつけながら歩き、あまりの動きの悪さに、諦めて眠っている。
トンちゃんと遊べなくなってしまったクーちゃんは、日に何度か、トンちゃんが眠るバスケットを背伸びして覗く。
まだ、エリマキトカゲだとわかると、すごすごと離れていく。
その健気さがいじらしい。
クーちゃんの我慢は、あとどれ位続くのだろうか。

2009/2/1 トンちゃんが病院から戻った次の夜は、ケンカの相手方と思われる宮沢さんをケージに入れた。
こちらが眠っている間のケンカ再発を防ぐためだ。
ケージは、鉄骨2階建の新築。
大きなベッドを入れて、私の愛用の羊の湯たんぽを貸してあげた。
ケージは私の寝室の隣の部屋に置いてある。
エアコンも届き、居心地は良いはずなのに、宮沢さんは一晩中情けない声でないていた。
翌朝、ケージの扉を開くと、出てもいいの?と問うように私の顔をみている。
てっきり飛び出してくるものと思っていたのに……
それ以来、宮沢さんはとんと大人しくなった。
存在の『気』さえ感じられない。
食事は普段通りに食べるのだが、目から精気が消えている。
何も見ていないかのようだ。
ケージに閉じ込められたのが、よほどショックだったのだろう。
ここまで静かになられると、不憫にも思えるが、家中の空気が凪いだ。
宮沢さんがショックから立ち直っても、この凪ぎが続くといいのだが。

手負いのトンちゃんは、というと、縫合後の経過が思わしくない。
傷の半分くらいが口を開き、化膿してしまった。
化膿の原因は何なのだろうか。
また、しばらく病院通いが続く。
2009/1/25 なんと、これが本年2度目の更新とは……
仕事に追われて、という意味ではこれまでと同じだが、今回の仕事は取引関係先の債務不履行の処理。世相を反映した後ろ向きの仕事だ。
膨大な時間と労力を要求されるのに、何の実りもない。
人様の懐事情など分かりようもないというのに、頭から片時も離れず、気が休まることもない。やれやれ……
とボヤいている間に、またまたケガ人(ケガ猫)を出してしまった。
今度はトンちゃん。
昨年末にニセドが大ケガを負ってから、ちょっとでも家を空けるときは、ケンカの標的となるニセドとトンちゃんをそれぞれ隔離していたのだが、今回は人間の居る間の出来事だった。
とは言っても、私がそろそろ起きる支度をしている朝5時のこと。
ケンカの声を聞きつけ、慌てて声のする居間に駆け下りたときには、あっさりケンカは止んでいた。
ケンカの主はわからず、後には白に茶の混じった小さな毛束がいくつか散っていた。
これまで人の居る間に大ゲンカをしたためしがなかったのに……とがっくり。
でも、さほど大ごとにならずに良かった、と思いつつ、念のために一匹ずつ身体検査をしていくと、トンちゃんの脇腹が8cmほどぱっくり割れていた。
何ということ……
病院が開くのを待って、連れていく。
度重なるケンカ傷は飼い主の責任だ。
叱られることを覚悟していたが、先生は、私以上にどうしたものか深く考え込んでいる様子だった。
トンちゃんは縫合手術を受け、一晩入院して昨日の夕方退院した。
昨晩は、私の寝室の隣の部屋に設えたケージで、湯たんぽを抱きながら眠った。
ごめんね、トンちゃん。
2009/1/12

寒中お見舞い申し上げます。

3週間も更新ができないまま、クリスマス、大晦日、お正月が過ぎ去っていきました。
みなさま、いかがお過ごしでしたでしょうか。
neco家では、クリスマス・イブにニセドが兄弟ゲンカで大ケガを負いました。
合計50針近くを縫う重傷で、1月8日まで、エリザベス・カラーを付け、バンデージの洋服を着て、意気消沈しておりました。
また、三が日が明けた4日未明に、らーちゃんが静かに息を引き取りました。
あっぱれな、清々しい往生でした。
年明け一番のコンテンツが物悲しくては、と思い、これらの出来事については、時を改めてしたためることといたします。

今年も昨年に増して仕事に追われること必至ですが、週一度は、更新していきたいと思っております。

どうぞ皆様、本年もよろしくお付き合いくださいますよう、お願い申し上げます。