2008/12/21

 Merry Christmas

またまた更新ができずに2週間。ようやく予約にいったクリスマスケーキも、ケンタッキーのクリスマス・バーレルも売り切れで、やはり世間はクリスマス・モードなのだ、と知らされました。何せ、今年は、クリスマス・ツリーも飾れなかったし、事務所のBGMもクラシック・チャンネルのまま。高円寺の商店街を歩いても、たまに店先に置かれたクリスマス・ツリーが場違いに思われるほど、クリスマスの実感が持てずにいただけに、売り切れにはびっくり。どんな時間を過そうと、12月25日はやって来るのですね。

改めまして、皆様、Merry Christmas!!

今年もたくさんの皆様に、使用済み切手、プリペイドカードをお寄せいただきました。皆様、本当にありがとうございました。先日、大きな段ボールに入れて、社団法人日本動物福祉協会へ送付させていただきました。
切手には、左のお手紙を同封いたしました。クリックしていただくと拡大されますので、ご一読いただければ幸いです。

昨日、ネットで調べものをしていると、『自民党動物愛護管理推進議員連盟』なる団体とそのHPがあることを知りました。この団体が現在、選挙対策としてではなく、どれほど本腰を入れた活動をしているかは、分かりませんが、こうした団体を生かすも殺すも私たちであろうと思います。
HPにはこの団体の設立趣意書が掲載されていますが、それは、以下の一文で始まっていました。

「動物の虐待は、人類の品格を落とすものであり、文明の鉢面を汚すものであり、国民の幸福を壊すものであり、社会の品位を損ねるものである。我々が動物虐待防止の本会を設立するのも、無力で罪のない物言わぬ動物たちへの思いからであるが、実はそのことが、人間の根本的な情換の改善に役立ち、健全かつ優美、高尚な国民性を養うことになるのである。」
 この文章は、一世紀も前に、有識者により日本で設立された「動物虐待防止会」の設立趣意書の?部です。「人とは歴史に学ぶことのない生き物である」と言ったのは誰だったでしょうか。我々はこの文章を読み返すに、忸怩たる思いを抱かざるをえません。一世紀前と「弱き者」を取り巻く環境は変わらないばかりか、動物虐待はより一層深刻化しているといっても過言ではないのです。

これを読むにつれ、それこそ暗澹たる思いで一杯になります。今年後半の経済の破綻により、ともすると私たちの心はささくれ立っていきます。しかし、モノを失い、それを受け入れられたとき、人は本当に大切なものを知るのではないでしょうか。そう思えば、この苦境は幸いなるかな。私たちに「気付く」きっかけを与えてくれているように思います。生きとし生けるもののかけがえのなさを胸に刻み、明日に希望を繋いでいきましょう。

もう一度、Merry Christmas!

2008/12/7 更新できずにいた2週間の間に、すっかり真冬になってしまった。
紅葉の遅い東京の銀杏が、朝の陽射しに黄金色に光り、木枯らしに吹かれて思い思いに舞った葉は、滑るようにアスファルトに着地して冬の彩りの一部となる。
らーちゃんが週一回の輸液に通い始めて7ヶ月、強制給餌するようになって5ヶ月が経つ。
毎日一缶は食べていた病院食も7割食べるのが精一杯となり、ガラス細工のようになった体は、抱き上げるのも怖いほどだ。
前回、病院からの帰り道、ちょっと買い物があって寄り道をすることにした。
そのお店は、病院と家との丁度中間にある。
いつもは直進する交差点を右折した、わずか2、3軒先だ。
らーちゃんを車に残して、ささっと買い物を済ませ、車に戻る。
Uターンして、いつもの道で帰ることもできたが、一本西側の道路を通って帰ることにした。
大人しく車で待ってくれていたらーちゃんが、車を発進させると、急に鳴き始め、キャリーの扉を開けようと必死で爪を立てる。
爪が抜けてしまうのではないか、と心配になるほどの勢いだ。
一体どうしたというのだろう。
どうやら、いつもと道が違うことに不安を感じたらしい。
このガリガリは、家のすぐ近くの、いつもの道と交わるところまで続いた。
猫の方向感覚の鋭さを、改めて知らされた。
この一件には、びっくりしたけれど、生気を失っていくらーちゃんの中に、確かな生命の営みを見たようで、嬉しくもあった。
どうしても、らーちゃんを最優先する生活の中で、当のらーちゃんも随分と自己主張するようになり、キッチンで一鳴きすれば新鮮な水が汲まれ、猫缶収納庫の上で鳴けば食事の用意が始まり、扉の前で鳴けば自動ドアのように開く。
こんならーちゃんの自己主張が嬉しい。
らーちゃんの存在の手応えなのだから。
2008/11/23 コエリを除く3匹のワクチンを終え、残りはクーちゃんのみ。
どうにも捕まえることのできないコエリちゃんは、はなから諦めている。
さあ、クーちゃん、と顔を見ると、その気配を敏感に感じとったクーちゃんは、ベッドの下に潜り込んでしまった。
そのベッドの上では、5,6匹が東の窓から射す朝日を浴びて、気持よさそうに朝食後の眠りを楽しんでいる。
コエリちゃんも、他の猫たちに囲まれて、安心しきっている様子。
ダメ元で、コエリちゃんの両脇に手を差し入れると、あっさり抱き上げることができた。
そのままケージの中へ。
我に返ったコエリちゃんは、さすがにケージの中で暴れたが、暫くすると諦めたように静かになった。
らーちゃんと、コエリちゃんを車に乗せて、いざ病院へ。
コエリちゃんは、身動き一つせず、一声も発せず、診療室に入った。
これなら大人しくワクチンを打っていただけるもの、と思ったのだが、先生は、ケージの中のコエリちゃんの大きく見開かれた目を見て、無理と判断。
大きなネットに移して、ネット越しに注射することになった。
ネットにケージごと入れて、ケージを逆さまにする。
だが、待てど暮らせど、コエリちゃんは落ちてこない。
鉄棒の選手よろしく、どこかに掴まっているのだろうか。
ゆっさゆっさとケージを振って、ようやくネットの中に着地。
あまりの緊張に、注射針が刺さったのも分からないまま、ワクチンは終わった。
これで、多少築けたコエリちゃんとの信頼関係もぶちこわしだろう、と一抹の寂しさを噛み締めながら、家路を急いだ。
玄関を入るなりケージの扉を開けたが、コエリちゃんは固まったように動こうとしない。
おせっかいなその他大勢が、代わる代わるケージの中に鼻を突っ込む。
と、突然、コエリちゃんは、いきなりトップスピードでケージを走り出て、そのまま二階への駆け上がって行った。
しばらくはご飯も食べないかと案じたが、何のことはない、夕方になると、いつもの通り、夕食を待つ横一列の中にコエリちゃんの姿があった。
やれやれ……
2008/11/15

どんなに忙しくても週一回の更新は死守、と思っていたのに、2週間近くが経ってしまった。
更新に限らず、目標というものはすべからく、日々の生活の張りであるけれど、これが守れない時に、『やむなし!』と潔く諦められないと、これがストレスになってしまう。
このあたりの折り合いが大切だ。
もっとも、折り合いというものは、無理してつけるものではなく、自ずとつくもので、それは自分がどんな時間を過したかに係っているのだろう。
という訳で、今回は『2週間のご無沙汰でした』(あれ?有名な司会者さんの名セイフ?)とさっぱりした気分でご挨拶。

11月は、シマチュウたち4匹姉弟とクーちゃんのワクチンの月。
週一のらーちゃんの輸液の時に、一匹ずつ一緒に病院へ連れていくのだが、コエリちゃんだけは諦めている。
思うように触らせてくれない、という点ではレオナも同じなのだが、レオナがどこか抜けたところがあるのに対して、コエリちゃんはいつも警戒を怠らないのだ。
唯一触らせてくれるは、2階でのお食事中と2階のベッドで他の猫にくっついて寝ている時だが、この時でさえ、隙無しの構えを崩さない。
ところが、ところが、昨晩、シマチュウと一緒に寝ていたコエリちゃんを撫でてみると、聞こえた!聞こえたのです!!
ごろ、ごろごろ、ごろごろごろ……
はじめ控え目に、そして次第に深く響き始めた。
4年半経ってはじめてプレゼントされた素敵なごろごろ。

「ありがとね、コエリちゃん」

2008/11/3

「(仮称)荒川区良好な生活環境の確保に関する条例」案への
抗議署名にご協力をお願いいたします

カラスやハトなどの野性動物に加え、野良猫に対しても勝手な餌やりに罰金を課す、という条例案が東京荒川区議会に提出されようとしていることは、すでにご承知のことと思います。
この影響は早くも他の地域に飛び火しています。
ここ杉並区でも、適切な地域猫活動が妨害されたり、荒川区で問題となっている餌バラマキの模様犯が出没したり、同様の条例を早く作れ(昨年、反対運動によって、やっとのことで廃案にしたばかり)、といった意見が保健所や区役所に寄せられたり、事態は予想以上に深刻です。
杉並区の時も、今回の荒川区の場合でも、私たちは、常軌を逸した非常識な餌のバラマキを良しとして反対している訳ではありません。極めて稀なケースを対象に罰則を条例化することにより、「命を救う」という本来の餌やりまでも犯罪扱いされ、ようやく育ってきた地域猫活動は再び衆人環視、四面楚歌に追い込まれる危険を予見してのことです。
条例が通過する前に、すでにそのリスクは現実のものとなりました。
何とか、歯止めをかけなくては……と思っていた矢先、『捨猫防止会』が抗議署名を集めていることが判りました。
下記URLをクリックして、署名用紙をプリントアウトいただき、一名でも二名でも署名を集めてくださいますよう、お願いいたします。

http://www.sutenekoboushikai.com/suteneko/index.html

皆様のご協力を重ねてお願い申し上げます。

2008/10/26 おばあちゃんに「おやすみ」を言って、傍の籐椅子で丸くなっているゴンちゃんの、ふかふかお腹に顔を埋めようとした時だった。
ゴンちゃんの右の犬歯が妙に長く感じられた。
色もすっかり変色している。
6匹兄妹はみんな歯が弱いのだが、この犬歯は尋常ではない。
そっと触ってみると、ぐらぐらする。
これではご飯も食べられないだろう。
翌日、予想通りゴンちゃんは何も食べようとしなかった。
類を見ない怖がりで、予防接種にさえ連れていくことのできないゴンちゃんだが、そんなことも言っていられない。
ケージに入れること自体、成功率は極めて低いのだが、今回は守備よく運んだ。
だが、ケージに入れられた途端、罠に掛かった野性動物と同じように暴れ出した。
止むことのない悲鳴は、向こう三軒両隣、ついでに裏の3軒にも届いているだろう。
ケージの扉を縄で縛って、病院へ向かった。
過呼吸、あるいはストレスで失神してしまうのではないかと心配だったが、何とか辿り着いた。
ただ、右手の親指の爪には血が滲んでいた。
診察の結果、全身麻酔下で処置をするとのこと、この機会に血液検査とワクチンも打っていただくことにした。

ゴンちゃんが前回病院へ行ったのは、2、3年前、全く声が出なくなった時だ。
声が出ないから、ご近所に虐待と勘違いされるような声を出すこともなく、連れて行くことができた。
あの時は、ケージの中で暴れることはなかった。
悲鳴を上げると、それがさらにパニックを増幅させてしまうのだろうか。

このところ、人は傍若無人に言いたい放題、罵詈雑言を並べ立て、恥じることもなくなって来ている。
思いの丈を吐き出して、すっきりするならまだしも、口に出した言葉は胸中をさらに掻き回してしまうのかもしれない。
怒り心頭に発しても、10秒間深呼吸せよ、と良く言われたが、しばし口をつぐんでみることが、どんな精神安定剤より効果があるのだろう。

今晩、ゴンちゃんを迎えに行く。帰り道はどんな様子でいるだろうか。
2008/10/19 ロッキー家の6匹兄弟は、人間が大好きだ。
大勢で暮らしていても、一対一の時間を何とか作ろうとする。
お父さん子のエリちゃんは、寝る時はお父さんを独占。
とは云え、寝相の悪いお父さんに潰されそうになり、私の腕枕で寝ている。
朝はぬーちゃんがリードに繋がれて外に出る。
出勤前の忙しい時間だから、ぬーちゃんを門扉につないで、私は傍らで洗い上がりの洗濯物を畳んでぱたぱたと叩いたり、庭に水やりをしたり。
新聞を取って、ぬーちゃんと一緒に家に入る。
洗濯物を干すときは、トンちゃんがベランダに走ってくる。
お陽様を浴びながらゴロンゴロンしたり、手摺に上って景色を眺めたり。
トイレに入ると宮沢さんがやって来る。
膝にのって短いひとときを過す。
夜は、ニセドが外に出る番だ。
リードに繋がれるのは、嬉しくはないだろうが、外に出る条件とあれば、のむしかない。
生い茂った雑草の中から、お気に入りを選んで食べる、食べる。
感心なことに、だれも他の猫の貴重なひとときを邪魔しない。
自分の時間まで、ちゃんと待っていられる。
我慢を忘れた人間より偉いんじゃない?!
2008/10/12 らーちゃんは、日中2階にやって来ると、私のベッドに積み重ねてある枕の上で寝るようになった。
ベッドにも上座、下座があるらしく、場所の奪い合いが頻発している。
ケンカにはならないが、できる限り枕元の位置を占拠しようとするから、こちらが上座ということだろう。
私は、寝ながらテレビが見られるように、枕をいくつも重ねている。
そのてっぺんは、上座の頂点ということになる。
ここを、らーちゃんが毎日死守している。
最長老だから、一番似つかわしいのだが、その姿はあたかも牢名主のようで笑える。
強制給餌で同じ量を食べていても、日ごとに骨が目立つようになってきたらーちゃん。
誰にも追われることなく、牢名主を続けて欲しい。
2008/10/5 ニセドは、外に出たくて出たくて、いつも隙を狙っている。
宅急便が届く時は、絶好のチャンス。
見事、足の間をすり抜けて脱走する。
これも繰り返されれば、こちらも用心に用心を重ねる。
そのお陰で、脱走の機会を奪われたニセドは、起きている間じゅう、鳴く、というか叫んでいる。
それもストレスになるだろうと、昨日はリードを付けて、一緒に外に出た。
デイ・サービスに出掛けるおばあちゃんのお見送りをしよう、という趣向だ。
外には出たくても、道路を怖がるニセドは、車庫の中央までは歩いたが、その先に進もうとはしない。
そんな矢先、お隣のミニチュア・ダックスがお散歩に出て来た。
リードを付けずにやって来たダックス君、目ざとくニセドを見つけた。
怖いもの知らず、興味津々のダックス君は、尻尾を振りながらニセドに近付いてくる。
さらに、お迎えのデイ・サービスの車が横付けになった。
さあ、大変!!
ニセドはパニックに陥った。
ニセドは家に向かって走り出す。
おばあちゃんを見送ろうとする私はリードを引き戻す。
ニセドは、後足二本で立つ形になり、そのまま私を引き摺る勢いで、二本足のままピョンピョンとカンガルーのように走った。
これで暫くは、外に出たいコールは止むことだろう。
2008/9/28 荒川区、餌やり罰金の条例制定にパブリック・コメントを!!

先週の猫通信で、荒川区が複数の苦情が出た野良猫への餌やりを、勧告、命令、罰金、行政代執行の対象とする、という条例を制定しようとしていることをお知らせいたしました。
一連の条例案に対して、9月21日から10月14日まで、荒川区はパブリック・コメントを募集しています。
詳細を以下のサイトでご確認の上、皆様のご意見を是非荒川区に送ってください。
http://www.city.arakawa.tokyo.jp/a001/b009/d02400072.html
こうした条例制定は単に荒川区の問題ではなく、これが先例となり、日本中に波及していく怖れがあります。
命を廃棄物の違法投棄と同列に並べるような条例は、恥ずべきものであり、成り行きにまかせてはならない、と考えます。
郵送、ファックス、メールのいずれでも受付られます。
どんなに短くてもいい、皆様の声を荒川区に届けてください。

9月20日付で私が区長宛にメールした質問状には、本日現在回答をいただいておりません。
私は、そのメールをパブリック・コメントとして、郵便にて再送いたししました。
皆様のご協力を心よりお願い申し上げます。
2008/9/21 らーちゃんは、危機的状態を乗り越え、輸液も週に一度に戻った。
外に出たいとなくことも、ベッドの下に潜り込むこともなくなった。
元通りの生活、と言いたいところだが、二つだけ元に戻らないことがある。
一つはへこんだ脇腹。
げっそり感はなくなったが、それでも、上から見れば腰のあたりがぐっとへこんでいる。
もう一つは、自分で食べようとしないこと。
ドライフードは多少食べるものの、必要な栄養は強制給餌に頼っている。
一日一缶も、数回に分けられれば良いのだろうが、私が日中いないから、朝晩の2回で食べさせることになる。
お湯で溶くと、らーちゃんが気の毒になる程の量になる。
心を鬼にして、逃げ出そうとするらーちゃんを捕まえて、食べさせる。
最後の方は、抗議の唸り声を出しているが、怯まずに食べさせる。
まさに格闘だが、食事を終えると、らーちゃんは安心するのか、もう懲り懲りだと逃げることもせず、ゆったり椅子で寛いでいる。
お楽しみが待っているのだ。
ご褒美は、熱つ熱つのタオル。
ドロドロになった口の周りと胸を、熱いタオルできれいさっぱり拭いてもらうときの至福の表情は、こちらまで嬉しくなるほどだ。
一体いつまで強制給餌が続くのだろう。
熱つ熱つタオル欲しさに、自分で食べるのを控えているのかしらん。
2008/9/14

この数日は、雨の心配をせずに外に洗濯物を干した。
いったい何週間振りだろう。
太陽に乾かしてもらった洗濯物は気持がいい。
早朝のお陽様を浴びながら、洗濯物を干すのは、もっと気持がいい。

日中は、30℃を超えても、朝晩はカラッとした秋風が心地よい。
エアコンを止め、ウッドデッキへ通じる窓を全開にして夕食をとる。
いつの間にか、セミの声が鈴虫にとって替わっている。

競うように咲いていた庭の花も、役者が交代し、今は、真っ白な芙蓉が私たちの出勤を見送り、ピンクに染まって帰宅を出迎えてくれる。

この2ヶ月、走り回っていたが、張りつめた胸からふうーと息を吐かせてくれたのは、こうした自然だったように思う。

大学の頃は、マンハッタンの高層マンションの一室から、ブランデーグラスを片手に夜景を見下ろす自分を夢想していたものだが、どうやら私はシティ派ではなさそうだ。
それに全くの下戸だし……。

おとうさんは、56歳になって、ようやく自分の靴のサイズが判ったと言っている。
聞く度に、笑いとばしているのだが、そういう私も自分の身の丈がようやく判ってきたばかりだ。


2008/9/7 大雨洪水警報が出る度に、何とも落ち着かなくなる。
もう3年前になるが、局所的な豪雨でneco家の一帯は浸水した。
何の警報も鳴らず、テレビニュースで浸水と聞き、慌てて階下に降りたら、玄関で靴がぷかぷか浮いていた。
掃き出し窓から外を見ると、あと1cmの所まで黒い水面が迫っていた。
幸いneco家は基礎が高かったために、床上浸水を免れたが、その時の光景は今もトラウマとなっている。
夕べも東京23区西部に大雨洪水警報が出た。
と同時に稲光が始まり、次第に雷鳴が近付き、頭上で炸裂音がするようになった。
そのバリバリと裂けるような音に、猫たちは一斉に2階へ駆け上がり、ベッドの下に潜り込む。(なぜ2階に逃げるのかは不明。)
意気地なしの男どもを尻目に、エリちゃんが一人窓枠に座り、不気味な夜空を睨んでいる。
『光るんじゃねえよ!』
『うっせえんだよ!』
と言ったか言わなかったか確かではないが、エリちゃんの睨みは効いた。
じきに稲光も雷鳴も止んでしまった。
静かになったことを見届けたように、エリちゃんは窓枠から降りて、ベッドで丸くなった。
2008/8/31

この一週間、全国各地でゲリラ豪雨が続きましたが、皆様ご無事でしょうか。
被害に遭われた方には、心よりお見舞い申し上げます。
地震、水害、土砂崩れ、竜巻……家に居ながらにして警戒を要する事態は年々増え、被害規模も拡大するばかり。
いざという時の為に避難方法を真剣に考えなければ、と思いつつ、家族猫さんの数を思い浮かべては呆然とするばかりです。

雨が降り続き、外気と触れられる唯一のスペース、ウッドデッキにも出られない猫たちが、苛立つのも無理はありません。
人間だって、体のすみずみまで結露で濡れているようで、滅入ってくるのですから。
『ギャン!』
悲鳴とも威嚇ともつかない、ひび割れた叫び声。
お父さんの秘蔵っ子、エリちゃんの声です。
大事なエリちゃんの身に何が起きたか、とお父さんが慌てて駆け寄ると、エリちゃんが総毛立てて、椅子の上からトンちゃんに凄みを利かせていました。
エリちゃんを見上げるトンちゃんの顔を見ると、なんと鼻に一筋の血が……。
『ギャン!』は、ブルース・リーの「アチョー」と同様、エリちゃんの攻撃の発声だったのです。
もともと涙目のトンちゃんが、鼻の頭を血に染めている姿を見て、エリちゃん贔屓のお父さんも、さすがにトンちゃんが不憫に思えたようです。
当のトンちゃんは、一瞬の出来事が飲み込めず、ただただキャトンするばかりだったとか。
寄れば大騒ぎのこの2匹、名コンビなのかもしれません。

2008/8/24

8月も終わらないというのに、昨日、東京は最高気温が23℃。
タンスの下の方から長袖のTシャツを引っ張り出した。
折しも高円寺では恒例の阿波踊り。
踊る阿呆にとっても、見る阿呆にとっても、例年の猛暑よりはるかに良い、と季節外れの低温を歓迎していた。
だが、夕方が近付くにつれ、あの茹だる暑さが恋しくなる。
もの悲しいような小雨がちらつく肌寒さの中では、祭り気分に火がつかないのだ。
ゆかたを来た若者の手には、かき氷の代わりに傘。
う〜ん、なんとも。

今朝居間に降りていくと、クーちゃんが、あ〜あ(みゅーにゃ)とあくびをしながら、猫伸びをした。
本当に久しぶりにトンちゃんに抱っこしてもらい、満足した眠りから醒めたところだった。
暑い間は、トンちゃんにまとわりつく度に逃げられ、時には猫パンチまでくらっていたから、内心は寂しかったことだろう。
2階に戻ると、起き出した私のベッドに4匹がくっついて眠っていた。
気温帯ごとの猫の動作を観察したら面白そうだ。

2008/8/17 昨年位からだろうか、植物に惹かれるようになり、気に入った鉢植えを買い込んでは、せっせと世話をするようになった。
一年草が年を越し、再び見事な花をつけてくれたときの喜びは、何とも言えない。
毎朝狭い庭にホースで水やりをするのも、楽しいものだ。
蝶々やトンボ、赤ん坊のカタツムリと言葉を交わしたり、ホースから出る霧状の水を跨ぐように架かる小さな虹に見とれたり……。
蚊の歓迎を受けるのはありがたくないが、気前良く血も提供してしまう。
庭の手入れは、自分でやってきたような気分でいたのだが、木の枝落としや雑草取りなど、母に負うところは大きかったようだ。
母の手の入らない庭は、ジャングル化してきた。
さまざまな植物が混在し、それぞれが先を競うように育っていく。
春にイチゴ畑だった花壇には、菊とバジルが胸の高さまで伸び、土など全く見えない。
不思議なほど虫がつかず元気な菊とバジルの根元から、忘れ去れていたイチゴがツルを伸ばして来た。
その上に程良い影を作るように、芙蓉の枝が好き放題に広がり、屈まないと門を通り抜けることもできない。
何という花なのか知らないが、花はユリ、葉っぱはランのような植物は、通り道を塞ぐ勢いで葉を茂らせる。
これは困った、と思っていたら、そこここから蕾を付けた太い茎がグングンと背丈を伸ばし、一斉に花開いた。
その一画は、南国情緒溢れている。
これまでこざっぱりとしていた庭とも言えない庭は、今や風も通らぬほど緑が密集している。
これはこれで、いいんじゃない?!
2008/8/10

『ソクラテスになった猫』の著者であり、41匹の猫と暮らす左近司祥子氏は、毎朝4時半起きだと著書に記している。
41匹もの猫それぞれに、年令や好みに従って食事の内容を考え与えているという。
4時半起きも頷ける、とつくづく感心しながら、でも私には無理無理、と別世界を見るような思いで本を読み進めた。
ところがその早起きが突然私の日課になった。
何と家事を始めたのです。

ずっとマスオさん家族で母と同居し、一切の家事と子育てまで、母に任せきりにすること30年近く。
私は、世のご亭主同様、仕事に精を出せば良かった。
さすがに、この数年は、バトンタッチする雑事が年々増えてきたが、母の病気もあり料理以外の全てを引き受けることになった。(母は料理が大好きで、未だにマーケットに車で出向いては料理のレパートリーを広げている。)
ご飯の用意をしてもらえるなんて羨ましい、という声が聞こえてきそうだし、料理こそ家事の中心なのだろうが、それでも家事と無縁だった私は大慌て。
夜8時過ぎまで仕事をしているから、一切合切を朝済ませる。
猫のトイレ掃除とご飯を皮切りに、掃除、洗濯、ゴミ出しに庭の水やり、猫たちに薬を飲ませて……と家中を走り回っていると、風呂上がりの体中に汗が流れ出す。
(5時6時に掃除機をガーガー回すわけにもいかないから、どうしてもお風呂が先になる。)
ところが、この朝の一汗、やみ付きになりそうなのだ。
クーラーの効いた事務所に落ち着き、一息つくと、体が妙にすっきりしているのに気づく。
朝のドタバタと流した汗で、体内の汚れが出尽くしたような感じで、何とも爽快だ。
やることはやって来た、という充実感も手伝っているのだろうが、朝起きは、やはり三文の得なのだろう。
一日の大半を寝て過す猫たちも、朝は早い。

2008/8/3 高円寺駅前にある事務所の、ほんの少し開けてある窓から、阿波踊りのお囃子が聞こえてくる。
どこかの連が練習を始めたのかと思ったが、漏れ聞こえてくるお囃子は始まるとすぐに終わり、また始まり、とブツ切れ状態だ。
そうか、駅の発車メロディが阿波踊りに変わったんだ!
8月だものねえ。
駅から青梅街道へ続く高南通りにも、じきに提灯が並ぶことだろう。
気分転換に猫さんと会ってこうようかな、と事務所を出ると、セミの声が聞こえて来た。
ビルに囲まれた氷川神社の、杜とは言えない僅かばかりの木々を、セミたちは短い地上での住処としたのだ。
彼らの命の合唱をもの悲しく聞きながら裏の駐輪場へ回り込むと、ズレータとタマサの融け出しそうな姿があった。


2008/7/27 先日、母が重大な病気を抱えていることが判った。
その知らせは、私を別の世界にワープさせたようだ。
これまで頭ではわかっていても、どうしても抗うことのできなかった諸々の欲望が、霧が晴れたように消えてなくなり、本当に大切なものが背骨のど真ん中に腰を据えたような、そんな感じだ。
『骨身に沁みる』とは本当に良く言ったものだ。
母の病気がらみで、この2週間、あれこれと本を読み、情報を集めてきたが、そのいずれもが同じ向きのベクトルとなっている。
主張も論拠も異なるのに、同じ方向を示すのは、読み手の私の心の持ちようが磁場になっているのかもしれない。
もっとも、この心境は半ばパニック状態が生んだものかもしれないのだが。
喉元すぎれば……とならないとも限らない。
今、背骨に座る絶対価値感が、今後も色褪せずいるならば、いずれ、それを克明に綴ろうと思う。
今、私は猫のとても近くにいる。
2008/7/21 北京猫大虐殺抗議署名にご協力ありがとうございました

中国の猫無差別捕獲・殺処分に抗議する署名は、7月17日をもって終了いたしました。皆様のご協力、本当にありがとうございました。いただいた署名は、発起人の方が胡首席と中国大使館に送付するとのことです。
チベット問題、四川省の大地震と、あまりに大きな出来事の連続に、この問題は報道機関にもなかなか取り上げていただけませんでしたが、世界の声を届けていくことは、変革の大きな一歩だと信じております。

ひとたび目を我が国、身近な地域に転ずれば、猫をめぐる問題は山積しています。
猫の問題は、人間を含めた命の問題です。他の命や心に思いを寄せてこそ、人の人たる由縁です。猫を疎ましく思う人々を撥ね除けるのではなく、その固い心の扉をそっと叩いて、穏やかな情が通い合う町を、国を作っていきたいものですね。そんな町こそ、大きく深く心地よい深呼吸のできる、命にとってかけがえの無い場所なのですから。

全国的に梅雨が明け、いよいよ夏本番。
今年も猛暑となりそうですが、皆様、くれぐれもご自愛くださいますように。

2008/7/13 梅雨が明けない、とぼやきながら低い空を見上げるとき、時間が足踏みしている音が聞こえる。
心配ごとをかかえて、自分の心の中ばかり覗いているとき、時間の呼吸が聞こえなくなる。
でも、時は足踏みもしなければ、呼吸を止めもしない。
そぼ降る雨が似合う紫陽花も、すでに色を失い、気づけば桔梗が涼やかな花を付けていた。
その風情から、桔梗は秋の花と思い込んでいたが、実は今が旬。
昨日、今日の突然の猛暑もものともしない逞しさは、いったいどこに隠れているのだろうか。
まとわりつくような暑さの中、一服の清涼感を与えてあげよう、という神様の心遣いから、桔梗は生まれたのかもしれない。
人は、流れ続ける時を忘れ、立ち止まったり、時を遡ることがどれほど多いことか。
流れゆく時に竿さすことなく、流されずに流れていく……猫たちも草木も、時と共に生きている。
そんな生き方が私たちを魅了して止まないのかもしれない。


2008/7/6 先月のらーちゃんの血液検査の結果は、リンの値までが高くなっていた。らーちゃんの腎機能が重篤な状況にあることは、数値を見るまでもなかった。パサついた皮毛、凹んだ脇腹が、体調の悪さを訴えていた。残された時間を多少とも気分よく過すことができるなら、と先月から週に一回輸液に通っている。

待合室で顔見知りに出会うことも度々だが、先日は、思い掛けない方と再会した。
もう二年程になるのだろうか、その人は、保護した乳飲み子が手当の甲斐なく、亡くなってしまったことで自責の念に苦しんでいた。
その時も確か、家には2匹の保護猫がいたはずだ。
「まあ、お久しぶり」
「本当に。お変わりありません?」
「ええ、お陰様で。家の猫が8匹になりましたけど」
その一言で十分だった。近況報告に何時間も費やす必要などない。家のない猫たちへの餌やり、体調に対する気遣い、保護するまでの葛藤、保護してからの泣き笑い、すべてが見えるようだった。大きく頷き合うだけで、すべてを共有できた。

前回は、動物病院には不似合いな出立ちの男性がやって来た。白の作業服に白い帽子、それからマスク。両手に段ボール箱を抱えていた。やけに大きい箱で、交通事故にでも遭った猫を連れてきたのかと、覗くのも憚られた。
「ミー」
箱から聞こえてきたのは、幼猫の声。工場の敷地の中で、カラスにつつかれていたのだそうだ。
「病院に連れて行ってやれ、と社長に言われて……」
その男性は、はにかむように言った。服装から推して、近くの食品工場の人だろう。心太とかあんみつとか作っているんじゃなかったかしら。この会社なら大丈夫!製品は安心して食べられる。帰り道、その工場の前を通る時、ひとりでに「ありがとう」と頭を下げていた。
2008/6/29
先日、遅ればせながら「父の日」のプレゼント代わりに、お寿司を食べに行くことにした。地元の美味処の情報源は、このところ専らおばあちゃんだ。デイサービスに出掛けては、情報を仕入れてくる。今回のお寿司屋さんも、おばあちゃんが下見済、味見済の太鼓判付。楽しみに出掛けてみると、品の良い小さな暖簾が僅かに存在を知らせる小粋な佇まい。

だが、私の目は、隣の建物に釘付けになった。サビ猫が梅雨の晴れ間を惜しむように、身繕いに精を出している。近寄っても怖がる素振りはないが、絶妙な間合いで身繕いを止め、歩き出した。
そして、門口に置かれた水盤に近寄り、こちらを振り返る。この時、はじめて目を合わせたのだが、彼女は、何事もなかったように、水を飲み始めた。

メインストリートから1本入ったこの場所には、まったりとした時が流れ、猫の舌が水を掬う音が耳に心地よい。改めて、猫の姿を眺めると、スリムな体付きには不似合いな横腹に目が止まった。
「妊娠しているのかしら」
「えっ、そうですか?」
いつの間にか私の傍らに立っていたお寿司屋さんの店の人が、私の独り言に驚いた。何でも5匹の仔猫を生んだばかりで、それぞれを里子に出してほっとしたところだと言う。サビは野良だったが、ご近所で面倒を見てるのだそうだ。
「避妊してあげてください。まず早急に獣医さんに相談して」
「そうですね」
食事は与えても、避妊・去勢の話しになると引いてしまう人が多い中、この人は真剣に真正面から受け止めてくれた。

このお寿司屋さんの雰囲気も、味も、決して期待を裏切らないだろうと思った。
そして、まさにその通りだった。期待の倍以上も美味しいことを除いては。
2008/6/22 宮沢さんに続いて、らーちゃんがお腹に、ぬーちゃんが耳の前の毛の薄いところに、さらにはゴンちゃんが足に深手を負った。
neco家では、目下ケンカの連鎖が起こっている。
大きなゲージを設えなければならないかと、カタログを繰ったものの、何か煮え切らないものがあった。
暗澹たる思いで、予定していた『ムツゴロウの玉手箱』という講演会に出掛けた。
テーマは『エジプトとネコ』。
自然体で淡々と語られる畑先生のお話しは、なかなか本題には行き着かない。
だが、発せられる一句一句からは、先生が自らの命と長い長い時間を掛けて体得した、命に対するフィロソフィーが滲み出ていて、私のしたり顔は見る見るしぼんだ。
私はこれまで猫たちを家族として共に暮らしてきたつもりだ。ペットを飼っている、という意識はまったくなかったはず。
でも、本当に対等の命として彼らと接してきただろうか。
『可愛い〜』と頭を撫でるとき、彼らの行動を制御しなければと思うとき、彼らの言い分を何でも聞き入れるとき、私が彼らに向けた目線は斜めではなかったか。
先生にお尋ねしたいこともあったが、この基本的な命題の前に、言葉を失ってしまった。
煮え切らずにいたゲージなど、やはり論外だ。
戦々兢々とした雰囲気漂う今のneco家だが、これを対等の命の触れ合いで乗り切りなさい、と宿題を与えられた気がした。
耳学問に邪魔されず、心をぶつけることは、やさしいことではないかもしれない。
でも、こんな折に、畑先生の生の言葉に触れる機会を得たことも、何かの導きだろう。



先日、明治神宮の花菖蒲を見て来ました。鬱陶しい梅雨の一服の清涼として、紫のグラデーションをお楽しみください。

2008/6/15 長く家を留守にできない我が家では、4〜12月の間、月に1度の一泊旅行が暮しのアクセントとなっている。
もっとも、猫のいないベッドで一晩眠った翌朝には、早くも里心ならぬ猫心がつき、いつもより早い朝食をとって、一目散に家路につく。
お昼頃には帰っているのだから、何とも何とも。
今回の旅行は、梅雨の最中、心配したお天気にも恵まれ、日ごろの心掛け云々といいながら、リフレッシュして家に戻った。
出迎えたのは、宮沢さん。
ところが、その鼻のてっぺんは血にそまり、右前足を上げるように歩く。
身体検査をすると、お腹にも深い噛み痕。
案の定、部屋の床の上には、ミルクティー色の毛が散っていた。
相手は誰だ!トンちゃん?ニセド?
だが、この二匹、悪びれる様子はない。
あれーぇ?と見渡すと……居た!
視線から逃れるように、おどおど逃げ隠れする猫が一匹!
ゴンちゃんだった。
やっとのことでゴンちゃんを捕まえ、こちらも身体検査。
だが、全くの無傷だ。
念のために全員を調べるが、宮沢さん以外、誰一人ケガをしている者はいなかった。
やはり相手はゴンちゃんに違いない。
日ごろ小競り合いをしても、人間の留守中には、仲裁がいないことを悟ってか、休戦協定を結んだように平穏無事だったのに、何ということだろう。
宮沢さんの右手は、第二指の爪が半分なくなり、手のひらの肉球の上部もえぐられている。
梅雨時でもあり、急いで病院に連れていった。
診察していただくと、あまり気にしていなかったお腹の傷は縫った方が良いとのこと。
あっという間に一針掛けていただいた。
あとは、抗生剤の軟膏を塗り、飲み薬。
これでは、一泊旅行もままならない。
宮沢さんとゴンちゃんを先生に預かっていただくしかない?
とんだ旅行の幕切れだった。
2008/6/8 いつの間にか、デイジーやマーガレット、シャクナゲの季節は、終わった。
替わって庭の主役になったのがアジサイとアマリリスだ。
今3鉢あるアマリリスは、17年も前にいただいたもの。
よく売られている水栽培のパッケージだった。
これといった手入れはしなかったが、春の訪れと共に芽を出すと、猛烈な勢いで葉を伸ばし、この時期には真っ赤な大輪の花を咲かせた。
プラスチックの鉢の中の球根は、年々太っていったのだろう。
昨年、ついに鉢を割ってしまった。
これまで水栽培していたものを、土に植え替えるのには逡巡したが、そのままでは死んでしまうから、というお花屋さんの言葉に後押しされて、大きな植木鉢に植え替えた。
プラスチックの鉢を取り払うと、球根から無数に伸びる白い根が、植木鉢の形にスクラップされていた。
無事に命をつないでくれるだろうか、と案じながら一冬過したが、春先にはしっかりとした芽が土から覗いた。
そして、今、これまで以上に見事な花が玄関先を飾ってくれている。
17年の間、これが見納めかもしれない、と思いつつ愛でてきたアマリリスは、衰えを知らないならしい。
植物は、繊細さと同時に、動物以上の逞しさを兼ね備えているのかもしれない。
だが、明日という日を期待することなく、今咲き誇る花を愛でよう。
アマリリスとの付き合いは、まさに一期一会だったのだから。

2008/6/1 昨晩、帰宅すると、『ご近所の底力』というTV番組が流れていた。
いつもなら野球中継を見ているはずなのに、と訝しんでいると、「猫のことやってるのよ」とおばあちゃん。
どうやら、猫好きと猫嫌いが対立する町内の問題解決がテーマのようだ。
番組の前半は見損ねたので、双方どのような主張が展開されたのか、わからないが、猫嫌いの中には、かなり頑な人も見受けられた。
話しは、地域猫活動に及んでいて、横浜市西区の例が紹介された。
そこで日々、家のない猫の世話をしている人4名のうち、2名は猫好き、2名は猫が大の苦手だという。
これにはさすがに驚いた。そして感激もした。
地域猫の存在と地域猫活動が仮に認められても、実際の世話は猫好きがやるもの、というのが相場だろうと考えていたからだ。
だが、それでは猫をめぐる対立構造の根っこは残ったままだ。
横浜市西区のように、双方が協力してはじめて、地域をあげての活動が本物になる。
そもそも、地域猫を保護しようとする者も、猫害を訴える者も、家のない猫がゼロであって欲しい、という願いを共に持っているのだ。
両者が共通の目標(希望)を持っている、と認識されていないことが、地域内の対立の根源なのだろう。
一度、共通認識ができあがれば、双方の協力体制は、自ずと出来上るのかもしれない。
地域猫活動のモデル地区としては、同じく横浜市の磯子区が広く知られているが、番組でもここの活動がレポートされた。
特筆すべきは、猫の公衆トイレが設置されていることだ。
世話役の方が、猫の行動パターンを観察したところ、餌場の近くで用を足す傾向があることを発見。
そこでトイレを餌場から1、2mのところに置いた。
猫を好まない人の心理も配慮して、人目に付きにくいところに配置されている。
公衆トイレの形状は、発砲スチロールの箱に普通の砂を入れただけ。
猫は、自分の排泄物をきれいに隠す習性を持っているから、匂いもほとんどない。
食事の世話の時にトイレ掃除をすればOK。
気が抜けるほど、簡単なものだったが、それもこれも、猫を良く知る、という基本が生み出した知恵なのだ。
それを忘れて、頭の中だけで考えていると、やたら大袈裟なことになり、実行不可能になる。
反省至極だった。

2年程前になるだろうか、『ご近所の底力』の番組制作の方から、私のところに電話があった。
「猫を寄せ付けない方法」を教えて欲しいという。
その時、明快な回答はできなかったし、それ以上に釈然としないものを感じた。
今回、地域猫がTV番組のテーマに取り上げられ、広く一般に視聴されたことは、問題解決に向けての大きな大きな前進だ。
我々、猫を飼う者、地域猫の世話をする者は、その責任を全うすることを改めて自らに、猫たちに、社会に誓い、向けられる他者の眼差しを笑顔で受け止めていきたいと思う。
2008/5/25 腰痛を持て余して、整形外科に通い始めた。
もともと僅かな時間、屈み仕事をしただけで、腰を伸ばすことができなかった。
走る痛みに覚悟を決め、『エイッ!』と気合いを入れて、一気に伸ばさないと、ずっと屈みっぱなしになってしまう。
だが、最近は、寝て起きるときも、椅子から立ち上がるときも、同じように痛みが出るようになり、悪化の一途を辿っているような気がしたのだ。
レントゲンを撮ってみると、20年前の腰椎圧迫骨折に加えて、背骨が大きく左に湾曲していることが判った。
背骨の湾曲は意外だった。
日常の姿勢の良さは、自他共に認める数少ない長所だったのだから。
いつから湾曲しているのかは判然とはしないのだが、突然に曲がったという類のものではない。
ただ、近頃の痛みの原因には、私の寝相が関係しているようだ。
私は、常に仰向けに寝ている。
しかも左腕にエリちゃんを抱き、掛け布団の上にニセド、宮沢さん、シマちゃん、らーちゃんのいずれか2,3匹をのせているから、寝返りも打たない。
さらに、掛け布団の上の猫を避けるのに、右足は曲げて外側に倒していた。
この姿勢を続けていて良い訳はない、と自覚はしていたのだが、いつの間にかこれが習慣になってしまい、他のポーズが取れなくなっていた。
診断の結果、取り敢えず、毎日牽引に通うことになった。
腰椎骨折があるので、普通の人の三分の一の負荷しか掛けられない。
あとは、寝相の改善、つまり膝を曲げて横向きで寝ること、そして腰椎体操をすること。
ベッドに入る前に、パンフレットに載っている数種の体操をすることにした。
エリちゃんは、妙な格好で横たわる私を不審気に眺めていたが、腹筋運動の際に思わず口から漏れた「う、う〜」という声を聞くに至り、私の救助にのり出した。
まずは、顔を近づけて、目をしっかり見つめる。
つぎに、鼻を私の鼻に合わせ、体温を測り、私の鼻が乾いていると知ると、舐め始める。
さらに、ぎこちない動きをする腕を舐めては、再度顔を覗き込む。
エリちゃんは、腰痛体操の間中、これを繰り返した。
根気良く続けて効果の出る腰椎体操、
エリちゃんの看護付きなら三日坊主にならずに済みそうだ。
2008/5/18 昨年植えたイチゴが漸く収穫の時を迎えている。
真新しい土に苗を植え、肥料をやり、寒くなるころから藁を被せ、と母がまめに面倒を見て来た。
葉が大きくなっては喜び、花が咲いたと言って大騒ぎ。
実になるらしいちっぽけな緑の塊に、大きくなあれ、大きくなあれ、とおまじないを掛け、そこそこの大きさになってからは、赤くなあれ、赤くなあれ、と新種の呪文を唱えた。
毎日眺めては、じっと待つ。
漸く、漸く、7分くらい色づいたところで、そっと実を持ち上げてみた。
えっ?!うっそー!味見の先客がいたことを知った。
下側のまだ緑の残るところに、かじった痕が二つ、三つ。
藁の下で、心地よく暮らしているダンゴ虫に先を越されたらしい。
全体が赤くなるまで、待っていたかったのだが、ダンゴ虫との競争ともなれば、そんな悠長なことは言っていられない。
7分通り色付けば良しとして、実を摘んだ。
籠に一杯、なんて想像しないでくださいね。
一度に三つか四つなんですから。
いただきます、と手を合わせ、そっとかじると、シャキッという小気味良い音を立てた。。
お世辞にも甘いとは言えなかったが、新鮮な味わいがすっぱさを消してくれた。
ダンゴ虫と一つの物を分け合うというのも、初体験。
同じ釜の飯ならぬイチゴだが、ダンゴ虫と家族になったような気がした。
コストパフォーマンスは超悪いイチゴ作りだったが、忘れがたい一粒になった。
2008/5/11 GWの初日に、モジリアニ展を見ようと国立新美術館に出掛けた。
だが、まずは腹ごしらえ。花より団子でしょ!と東京ミッドタウンに立ち寄った。
目星をつけていたイタリアンの店に入ったのだが、何だが従業員の姿が場違いなように思える。
つい5分前までデスクワークをしていたサラリーマンが、急いでネクタイを取り、ワイシャツの第一ボタンを外して、エプロンをした、という感じなのだ。
動きもギクシャクしていて、板に付かない。
不審に思いながらも、取り敢えず課長さん風のウェイターにオーダーした。
お父さんと私で、別々のコースを注文したのだが、運ばれた料理は、テーブルの中央に置かれ、どちらのものか判らない。
メニューは持って行かれてしまったので、確かめようもなく、適当に食べ始めた。
すると、部長さん風の人が、突然、お詫びに何かお飲物を、と申し出てくれた。
やはり、私たちは料理を取り違えて食べていたらしい。
すでにビールを飲んでいるお父さんには、もう一杯。私はジンジャエールをいただいた。
二人で半分ずつ料理を食べ進めていると、さらに部長さんがワインを持って来てくださった。今度は何のお詫びなのだろう???
部長さん曰く、会社の人事異動で、その日が初日なのだそうだ。
なるほど、これで頷けた。
お詫びはまだ続き、ドルチェのケーキが一つ多くお皿に盛られていた。
決して気分を悪くするようなことはなかったのに、お詫びの嵐で、嬉しいやら、可笑しいやら。
私は大満足。でも、お父さんは、酔いが回ってしまい、モジリアニの肖像画の中に、チカチカと星が飛び交うのを見ていたようです。
2008/4/27 加齢性の腎機能障害で、もって昨年一杯と診断されていた「らーちゃん」は、年末に引いた風邪からも回復して、今に至っている。
朝晩、炭のような粉を水にとかして飲ませ始めて1年になる。
だが、最近ずいぶんと肉が落ちたように思う。
どちらかと云えば食い意地が張っていたのに、近頃はぺちゃぺちゃ舐めるばかりで、皿の中身は一向に減らない。
スープ仕立ての缶詰なら食べやすかろうと、あれこれ買い込んで来てはお皿にあけるのだが、喜んだのは初めの数日だけ。
今では、らーちゃんの食べ残しを狙って、後ろに列ができる。
らーちゃんが自分でお皿を離れるまで、じっと順番待ちをするその他大勢の姿は微笑ましいが、長時間かかってもレトルトパックの四分の一くらいしか食べないらーちゃんには、悲しくなる。
昨日は万策尽き果てて、新しく買ったドライフードをあげたのだが、歯の弱いらーちゃんが喜ぶはずもない。
と思ったのが誤りだった。あっと云う間に、小袋一袋分を平らげた。
私が心配し過ぎているのだろうか。
おばあちゃんに日中の様子を聞けば、食べてると思うけどね、と曖昧な返事だが、とりわけ気にかける様子でもない。
それでも、毛並は他の子と比べればパサ付きがちだ。
一年前に、カウントダウンを始めて久しいが、残された時間をどう過ごさせてあげたら良いのか、考える毎日が続く。
2008/4/21 我が家の砂利敷の車庫に、スミレが自生している。
道路から入ってすぐの、土らしい土も見当たらない、そんな所に一輪のスミレが咲いたのが3、4年前。
細い茎の先にはかな気な薄紫の花をつけるスミレの、思いも寄らない逞しさは、まさに衝撃的だった。
年々株が増え、スミレのパッチワークを楽しんでいたのだが、今年は3月になっても葉すら見えなかった。
昨年の夏、スミレと隣合わせる位置に、これまたこの上なく逞しい植物(こちらは背丈ほどにもなる、見かけも逞しい植物なのだが)がピンクの花をぎっしりと付けていた。
さすがのスミレも勢力争いに破れたか、と諦めかけていた頃、スミレと思われる葉が伸び始めた。
半信半疑で眺めるうちに、恐ろしい程の勢いで葉が茂り、見覚えのある蕾が付き、あっという間に花開いた。
厳しかった冬に、少しだけ長く冬眠をしていたのだろう。
スミレの他、ポピーやたんぼぼなど、自生する植物が与えてくれる開花の喜びは、一入だ。
可憐な見かけを真似るのは無理でも、その逞しさは持ちたいと思う。
2008/4/14 4月10日のトップページでお願いいたしました『北京の猫大虐殺』に抗議する署名運動につきましては、皆様のご協力をいただき、本当にありがとうございました。お陰様で、10日時点では1,000名あまりの署名が、只今現在、4,000に近づいております。発起人の方は、第一便を中国大使館に提出したとのこと。署名運動は、6月30日まで続けられ、目標は20万名ですので、まだまだ頑張らなければなりません。皆様も引き続き、猫つながりを初めとするネットワークで、中国の悲惨な状況をお知らせいただき、署名活動を広めてくださいますよう、お願い申し上げます。
私が個人的にメールを送付した方々からは、ご自身のHPやブログでの告知、ご友人へのメールの送付、またマスコミへの投稿等、多方面への働き掛けをしてくださった、とのお返事をいただきました。
中国での猫の無差別捕獲・殺処分の現状は、まだまだ知られておりません。皆さんの一つのアクションを通して、本件が万人の知るところとなり、国際世論として、中国に強く訴えることができるものと信じております。
先の犬の大虐殺も国際世論によって中止されました。皆様の更なるご協力を、重ねてお願い申し上げます。

この署名活動は、オンライン上で行えます。
下記サイトに趣旨と署名欄がございますので、ご覧ください。

http://www.shomei.tv/project-10.html

この写真の出典でもある記事は、下記でご覧いただけます。

http://www.dailymail.co.uk/pages/live/articles/news/worldnews.html?in_article_id=528694&in_page_id=1811

また、海外の署名サイトはこちらです。

http://www.thepetitionsite.com/1/stop-the-beijing-olympics-cat-massacre

2008/4/6 クーちゃんは、居間のお父さんの椅子と壁の間の僅かな隙間に、自分の陣地を作っている。
椅子の背もたれの上に、ポケットテッシュを入れた箱が置いてあるのだが、クーちゃんは、そこから陣地にポケットティッシュを上手に落とす。
そして袋を破いて中身を出し、ふかふかのベッドを作り上げているのだ。
昨年末の大掃除の時に、その出来映えに感心しながらも、すっかり片付けてしまったのだが、クーちゃんはめげずに、再度ベッドをこしらえた。
ところが、最近、その大事な陣地を脅かす輩がいる。
最初に入り込んだのは、トンちゃんだった。
入ったは良いが、狭い隙間から這い出すことができず、途中で引っかかってもがいていた。
椅子をずらして救出したのだが、重い椅子をそのままにしてしまったのがまずかった。
小振りなモナコがらくらく出入りするばかりか、メタボ体型のシマまでもが、たびたび侵入するようになった。
家で一番大きな皮の椅子で、ぬーちゃんとトンちゃんに挟まれて一日の大半を過ごすようになったクーちゃんは、陣地の監視がおろそかになっていたのだが、そうそう他人に出入りされては黙っていられない。
お父さんの椅子の背もたれから、じっと陣地を覗き込む。
その心配そうな顔つきに、一緒に覗いてみると、平らに何重にも敷き詰めてあったティッシュは隅っこに山のように盛り上がり、何とも無惨な状態だった。
クーちゃんは、他の猫の目の前で、これ見よがしに出入りしていたわけではないのに、陣地の存在に気付かれるとは。
猫は無関心を装いながらも、他の動静はしっかりと把握しているらしい。
陣地は改修されるのか、そのまま放棄されるのか。
クーちゃん、どうする?
2008/3/29 絶好のお花見日和の週末となった。
桜の名所は、お花見の宴で賑わっていることだろう。
事務所も、バルコニーに続くドアを開け放しておくことが多くなった。
パソコンに向いながら、何となく視線を感じて振り向くと、ズレータと目が合った。
いつの間にかドアから中に入り、私の横のサイドテーブルの下に座り込んでいたのだ。
寒い間は、ドアは閉め切りだったし、ズレータもねぐらで丸くなっていたのだろう。
春はいい。春は嬉しい。
neco家でも、冬の間中、自然冷蔵物置と化していたウッドデッキで、猫たちが遊ぶようになった。
猫の額ほどの庭には、デイジーが今を盛りに咲き競い、アジサイが刻々と葉を伸ばす。
昨年植えたイチゴも可憐な花をつけ、毎朝ハーネスを着けたぬーちゃんと、一つ、二つと数を数える。
春はいい、春は嬉しい。
2008/3/22 昨日、ムツゴロウ先生こと畑正憲氏の個展を拝見に、本当に久しぶりに銀座に出掛けた。
イトシアが完成して初めての銀座。有楽町の駅からいきなりプランタンまで見通せてしまって、びっくり。
週日でもあり、午前中一杯、雨模様だったからなのだろうが、銀座は閑散としていた。
混み合う銀座もいただけないが、閑散とした銀座もやはり寂しい。
好景気が庶民レベルに行き渡る前に、不景気が蔓延してしまったのかと不安にもなる。
エルメス、コーチ、マックスマーラなどなど、ドアマンが控える高級ブティークの前を足早に抜けて、目指すギャラリーへ。
そこは、ビルとビルの隙間を回り込んだところに入口のある、マッチ箱ほどのギャラリーだった。
5mと離れていない通りの華やかさとは無縁な、質素な小っぽけな空間……だが、そこには色彩と命が息づいていた。
畑氏が自由に描く動物たち……その中に "Good Bye" と題された一点があった。
明るい緑の中に描き出されたカラフルな顔、ゴリラだろうか、オランウータンだろうか、その一点を眼にして、図らずも涙があふれた。
ギャラリーの方の話しでは、撮影隊が引上げるときに顔を出してくれた時の絵だそうだが、その Good Bye がもっと多くを語っているように思われた。
出品されている作品の80%以上がすでに売約済み。猫の絵も何点かあったが、私は、すでに行き先の決まっている Good Bye の前から離れられずにいた。
2008/3/16 料理のレシピから、鉢植えの花の手入れの仕方、言葉の意味から専門的な調べものまで、インターネットはありがたい存在だ。
海外との通信は、メールオンリー。時差がかえって幸いして、終業前に送信しておけば、翌朝返事が入っている。
ネットやメールが不通になったら一日を棒に振ってしまうほど。
とは云え、毎日入る迷惑メールは1000通に及ぶ。
ほとんどが海外のものだが、大学のディプロマ取得の案内から、処方薬の販売、ブランドのスーパーコピーの大バーゲン……
消すだけでもおびただしい時間がかかる。
ネットについては、国内外を問わず居ながらにして欲しいものが手に入る反面、出掛けなければ見ることがないものが大量に目に入り、あれも欲しい、これも欲しいと、毎日物欲をかき立てる。
買うか買わずか、考えるのに疲れ果て、買っても買わなくても、ちょっとした後悔が残る。
この辺りで本当に必要なものは何かを取捨選択し、それぞれに膨大にある選択肢の中から一つを選び出す基準をしっかりと持たなければならない。
今の私は、じゃぶじゃぶと血税を浪費する道路特定財源のようなものだ。
反省、反省。
2008/3/8 この2週間ですっかり春になりました。
気付けばご近所の梅は満開。これまで、あまりの寒さにうつむき加減に歩いていたのでしょう、一輪、二輪と花がほころび始めたのも目に入らなかっただけに、満開の枝々は一際眩しく感じられます。
3月3日は雛祭り。日々忙しさに流されていますが、母が作るちらし寿司が季節の節目を教えてくれました。このちらし寿司、自慢の一品で、器にちなんで大名ちらしと呼んでいます。これだけで30品目カバーできるほど、具沢山です。

外猫さんも何とか冬を越し、食後にのんびりと身繕いするようになりました。これまで食べ終わるとそそくさと寝床に戻っていたのに……。
冬が厳しく長いほど、春の訪れは大きく膨れるものですね。
さあ、春の優しい陽射しを猫たちと共に存分に楽しみましょう。

2008/2/24 クーちゃんが身につけたバンデージの洋服を怖がったのは、トンちゃんばかりではなかった。
レオナも異常を感じるのか、2階から下りてこようとしない。
病院で人恋しい数日を過ごしたクーちゃんにとって、周囲に漂う空々しい空気は堪えただろう。
救世主となったのは、ぬーちゃんだった。
それまで、ぬーちゃんの巨漢に多少怯えていたクーちゃんだったが、極上の大きな毛布のようなぬーちゃんにくるまれると、ようやく安心して目を閉じた。
以来片時もぬーちゃんから離れようとしないクーちゃんを、トンちゃんは苦々しい眼で眺める。
ぬーちゃんは、トンちゃんにとっても大切な毛布だったのだから。
暴れん坊のクーちゃんだが、ほどけた結び目を一度結び直してからは、バンデージを嫌がりもせず、22日までちゃんと身につけていた。
いよいよ抜糸の日。
朝は、捕り物の再現となった。逃げ回るクーちゃんを追い掛け、追い詰め、バスタオルを被せて洗濯ネットへ。
ところが、そのとき、痛めた爪をまた引っ掛けてしまった。
外科用ボンドで止めてあった爪が肉から剥がれ、出血。
避妊手術の痕はきれいなものだったが、翌日、爪と組織を一緒に切除することになった。
新年とともに猫風邪に冒され、避妊手術の退院の日に生爪を剥ぎ、結局爪を組織ごと切り取らなければならない。
災難続きだ。
バンデージを取って帰宅すると、トンちゃんはようやく納得したのか、さっそくクーちゃんと遊び始めた。
レオナも階下に下りて来る。
ハンデージひとつがこれほどみんなに影響を与えるとは……。
そして昨日、再び捕り物を繰り返し、爪と組織の切除をした。
夕方には帰宅し、ようやく一件落着なのだが、2日続けての捕り物に、朝は危険と感じたのか、今朝クーちゃんは、私が出勤するまで身を潜めていた。
2008/2/17 2月12日に、クーちゃんの避妊手術の予約が入れてある。朝食を食べさせずに病院に連れて行かなければならない。朝起きるとすぐに10以上も並べてあるお皿を片付けた。クーちゃんをキャリーに入れるまでは、みんなも食べずに我慢、我慢。
クーちゃんは、眠っているか、トンちゃんに抱っこしている時にしか捕まえられないから、こちらはそのチャンスを待つしかない。
だが、体の動きも頭の巡りも並外れて速いクーちゃんのこと、一向に出てこない朝ご飯に、早くも異変を感じ取った。目が合うたびに、さっと身を隠す。こんなときは無視を続けるに限るのだが、「早く眠ってよ」と胸の内で繰り返すこちらの気は伝わってしまうらしく、警戒を解く様子もない。
根比べに負けて、山盛りのご飯皿をいっぱい並べた。先生には手術延期をお願いするしかない。
だが、延期をしてもまた同じことの繰り返し。食事をしてもいいから、連れて来るよう言われて、さらに待つこと2時間。ようやく眠ったクーちゃんを洗濯ネットに捕獲。やれやれ。

本来ならば翌日には退院できるのだが、稀に見る暴れん坊とあっては、傷口が開く恐れがある。4日入院させていただくことにして、病院を後にした。
クーちゃんの不在を泣いて訴えるトンちゃんに、よくよく言い聞かせて待った4日目。迎えに行くと、いつもにこやかな看護士さんの表情が暗い。何かあったのだろうかと不安がかすめたが、ケージごと運ばれてきたクーちゃんは、バンデージの服を来て、はしっこい眼を大きく見開いている。私の声を聞いて、一声、「みや〜お」と鳴いた。鳴き方が全然違いますねえ、と先生に言われて、相好をくずさずにはいられなかったが、同時にそれは、今までとんでもない声で叫んでいたことになる。
私がケージの床板に血の模様を見つけた丁度その時、クーちゃんが暴れて爪をケガしたことを知らされた。お腹の違和感が和らぐにつれ、クーちゃんは脱出を試みるようになり、生爪を剥がしてしまったらしい。血の様子から、つい先ほどの出来事だと判る。私がケージから出して、爪を診ていただくと、麻酔をかけて処置しなければならない状態とのこと。空のキャリーを持ち帰ることになった。

そして、今日、退院できるかどうか判らないまま私は出勤。お婆ちゃんからの電話でクーちゃんが家に戻ったことを知った。クーちゃんは、大好きなトンちゃんに抱っこしてもらうのをどれほど楽しみにしていたことだろう。だが、当のトンちゃんは、あれほどクーちゃんの不在を訴えていたというのに、近寄るクーちゃんを猫パンチで寄せ付けずにいるという。落ち着かないクーちゃんは、家中を駆け回り、首回りのバンデージの結び目がほどけてきたらしい。このままでは、バンデージが脱げて、手術の痕が剥き出しになってしまう、とおばあちゃんはオロオロ。こちらも会社に居ては、どうすることもできない。
病院に行く時も、入院中も、退院してからも騒動だらけのクーちゃん。心配だが、おばあちゃんのSOSが来ないから、取り敢えずは何とかなっているのだろう。

2008/2/10 我が家にネズミがいる?
まさかねえ。
じゃあ、天井裏のあのドタバタは何?
と、天井を見上げる私たちの頭に、上から花瓶の木箱が落ちてきた。
ビックリして見回すと、天袋に猫陰が……他ならぬクーちゃんだった。
慌てて天袋の中を覗くと、天井板がずれていた。
ネズミの正体は猫、という訳だ。
犯人探しは簡単だった。天井裏に積もった埃を体中にくっつけて、お腹と足が真っ黒なのだ。
クーちゃんを筆頭に、モナコ、コエリ、シマ、レオナの4姉弟。
意外だったのは、この面々にゴンちゃんが加わっていたこと。
天袋から顔を出す犯人たちの目は、一様に爛々と輝いている。
天井裏大運動会開催中は、コエリとクーちゃんも休戦協定を結んでいるのだろうか。
天井裏には電気の配線が通っている。爪でもひっかけてショートしては大変だ。
せっかく見つけた秘密の場所だろうが、襖に楔を噛ませて閉鎖した。
やれやれ……
2008/1/20 このところ、会社の外猫さんたちの集りが悪い。
みぞれまじりの雨が降っても、律儀に待っていてくれるのは、タマだけだ。
ご飯皿を並べてドライフードを入れる音がすると、慌てて起きてくるのがあっちゃんとズレータ。あまりの寒さに寝床を離れられずにいるのだろう。
ホワイトソックスに至っては、呼んで、呼んで、ようやく姿を現す始末。缶詰だけをかき込むように食べて、逃げ帰る。数日前は、2日ほどまったく姿を見せない日もあった。お正月休みの間に何かあったのだろうか、と心配していたのだが、その原因がはっきりした。
昨日、遅ればせながらやって来たホワイトソックスは、いきなりゴホンゴホンと咳き込んだ。顔は精彩がなく、心なしかやつれた感じがする。鼻水こそ垂らしていないが、どうやら風邪を引いてしまったようだ。本当は寝込んでいたいところなのだろうが、飲まず喰わずでいては治るものも治らない、と本能が教えているのか、喉ごしの良い缶詰を流し込むように食べた。何日か前から比べると、食べる量は増えたから、こちらが気付く前に峠を越えたのかもしれない。このところの寒さに、熱っぽい体を横たえていたホワイトソックス……どんなに辛かったろう。
今朝は、クーちゃんがいただいたお薬、セフゾンを持参した。最初に処方されたノイチームとタリビットは、今回の風邪には効き目が実感できなかったが、セフゾンは目に見えて効いた。ご飯に混ぜれば、食べてくれるだろう。
今朝も待っていてくれたのはタマだけ。往来の掃き掃除をする私を、大声で呼んでいる。だが、その声はざらついている。風邪が移った?
「ホワイトソックスー、おはよう」
フェンスの隙間に向かって声を掛けると、今日はすぐにやって来た。相変わらず咳き込んでいる。風邪に間違いない。
手早くセフゾンを猫缶に混ぜ、ホワイトソックスとタマに分ける。二匹とも薬に気付いた風もなく、缶詰を平らげた。ホワイトソックスは、ドライフードもそこそこ食べたから、食欲は戻ってきたのだろう。このまま快方に向かってくれることを祈るばかりだ。
お正月は、我が家の猫の風邪に振り回され、今度は外猫さん。そして夕べは私も風邪でノックダウン。今年は、風邪との闘いになりそうだ。
2008/1/13

遅ればせながら……

あけまして
おめでとうございます

2008年が、皆様とすべての猫たちにとって、健やかで幸多からんことを、心よりお祈り申し上げます。

昨年賜りましたご支援に感謝申し上げますと共に、本年も、引き続き『猫三昧』をお引き立てくださいますよう、よろしくお願い申し上げます。

 

東京は、お天気にも恵まれ、穏やかなお正月でしたが、皆様、いかがお過ごしでしたでしょうか。
今年は、初心に立ち返って、このHPをもっともっと充実させよう、そのためには、限りある時間を有効に使って……と昨年末に決意したばかりだというのに、新年のご挨拶が13日になってしまうなんて……何ともお恥ずかしい。言い訳をするわけではないのですが、息をつく間もない忙しさとはこのことか、と思うような日々を過ごしておりました。仕事は仕事、猫たちの大事なご飯代ですから、おろそかにできず、結果、松の内を遥かに過ぎてのご挨拶となってしまいました。ごめんなさい。メールをくださった多くの方にも、お返事が遅れております。本当にごめんなさい。

出だしからこれでは、と先々がますます不安になりますが、この忙しさの中で、時間の使い方が少し上手になったようにも思います。悔いることのない密度の濃い時間を過ごして、『猫三昧』をもっと元気にしてまいります。皆様、温かい目で見守ってくださいね。