大塚敦子氏は、戦争や紛争、自然破壊、エイズやガンの終末期を迎えた人々、難病と闘う子供たち等、死に直面するからこそ生が凝縮される現場を、取材し続けているフォトジャーナリストだ。
本書は、氏が夫君とアメリカに渡った時に共に暮らすことになった2匹の仔猫の短い生涯と、彼らを見守る著者自身の葛藤、そして心の交わりを描いたフォトブックである。
譲り受けた愛くるしい2匹の仔猫は、可愛い盛りに続けて発病。主治医は、安楽死が最良の判断かもしれないと伝えるが、著者には到底受け入れることができない。一縷の望みをかけて主治医のクリニックと大病院に車を走らせる日々、日ごと痩せ細る仔猫たち、そして訪れた別れ……その中で、著者は愛と執着とは全く異なることを学んでいく。別れは、愛すればこそ受け入れ、受け止められるものだということを。
今私も、重い心臓病と血小板減少症を患う猫とともに居る。
彼は昨年の9月、食べることを止め、ベッドの下に潜り込んだ。
早々に気づき、病院に連れていったのだが、その時すでに体温が下がっていた。家の中に居なければ、最期の時を迎える場所へと旅に出ていたはずだ。体温を下げてしまうのは、少しでも楽に命を終えるための野生の知恵なのではないだろうか。しかし、彼は、私と暮らすが故に、獣医師の元に連れて行かれ、投薬と強制給餌で危機を脱し、今を生かされている。私自身の『逝っちゃ嫌』という感情からの行為を、彼はどう受け止めているのだろうか。直ることのない病に冒された動物たちに対して、私たち人間がなすべきことは何なのか、日々考えさせられている。
朝晩、10錠近い薬を彼は飲み込んでくれるが、さすがに強制給餌は嫌がるようになった。そして彼の『嫌』を私も受け入れることができるようになっている。今は、残された時間が彼にとって穏やかであることを祈りつつ、彼の声を正しく聞き取ることしかない。
本書は別れの有り様を問いかけてくれる。
背骨の尖った愛猫たちの姿を見るにつけ、著者の胸がどれほど痛んだことか……それでも臆せず写真に収める姿勢は、ジャーナリストならではのものだろう。
私もしっかりと今ある命、やがて訪れる死と向き合っていきたい。
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