ご存知、解剖学者である養老孟司氏の愛猫、『まる』の写真集2点をご紹介しよう。
と、いきなり養老孟司氏の肩書きを書いてしまったが、この写真集に登場する養老氏は、ただの猫好きおじさんである。
私の道楽でもあるNECOZANMAIというショップをやっていて、何が楽しいかと言えば、どの来訪者とも『ただの猫好き』同士として存分に話ができることだ。
名前もバックグラウンドも知らずに、ただただ猫で盛り上がる。
時には一緒に涙することもある。
別の場面で出会えば、『○○にお勤めの◎◎さん』だの、『□□をなさっている◇◇先生』だの、その人の肩書きが先に来て、心と心をつなぐにはそれ相応の時間と機会が必要になるだろう。
猫好きは、相手が猫好きというだけで、初対面でも何十年の既知のように思える。
心の垣根はいきなり取っ払われ、二つの心が融合して境目がなくなる。
本書は『まる』の写真集ではあるが、『まる』を通して、ただの猫好きおじさんの養老氏がよーく見える、そんな本である。
もちろん、『まる』はいい味を出している。
スコティッシュ・フォルドならではのぐにゃっとした座り方、その脱力感が何とも言えない。
この姿勢は、スコティッシュ・フォルドの先天的な骨の形成異常に依るらしい。
私の知り合いのスコティッシュ・フォルドは、この異常のために手術を繰り返すこととなり、その負担によって早世してしまった。
突然変異でできた折れ耳の個体を品種として確立するために、人工的な繁殖プログラムが組まれ、スコティッシュ・フォルドという種が生まれたわけだが、彼らの愛くるしさの裏には、深刻な身体的欠陥が隠れているのだ。
私は人工的な品種の開発には眉をひそめる方だが、それとて『まる』の魅力をわずかでも減ずるわけではない。
養老氏の言うように、『まる』は何かとガンジガラメな私たち人間の対極の象徴のような存在だ。
余計なことは考えず、今そこに居る『まる』を味わえばそれでよいのだろう。
『うちのまる』を★3つにしたのは、ただただ編集の問題だ。
猫の写真を無理にストーリーにはめ込もうと、アテレコ風な言葉を添えるのは、非常にリスキーだ。
うまくハマればよいが、ハズしてしまうと、とんだことになる。
アテレコの相手は、言葉なくして最高の語り部である猫なのだから。
『うちのまる』の中には、残念ながら『まる』の魅力を台無しにしてしまうキャプションが少なくなかった。
その反省があったのか、第2弾の写真集『そこのまる』は程よい作りになっている。
何はともあれ、『まる』はいい!!
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