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★★★★

生きる歓び

2009年5月25日 初版発行
著者:保坂和志
発行所:中央公論新社
ISBN:978-4-12-205151-5
C1193

今でこそ本を読むようになったが、幼い時から大学を卒業するまで、本はもっぱら『積んどく』だった私にとって、文学との縁は薄い。本書と巡り会ったのも、人を介してのことで、猫好きが知れると人はあれこれと情報をもたらしてくれる。

読み始めて、いきなり仰天した。最初の一文が16行続き、ワンパラグラフとなっているのだ。保坂和志氏の作品に親しんでいる向きには、何の不思議もないことだろうが、恥ずかしながら初めて氏の文を目にした私はそれだけで度肝を抜かれた。
覚悟をして読み進めたのだが、その5、6ページを読んだところで、私が長年持ち続けていたもやもやとした疑念や後ろめたさが吹っ飛ぶことになる。長くなるが引用する。

……そんな子猫にかかずらっているヒマがあったら、世界の難民救済の募金にでも行った方がいい──というのは一見正しい理屈のように見えるかもしれないけれど、じつは全然正しくない。(中略)人間というのは、自分が立ち合って、現実に目で見たことを基盤にして思考するように出来ているからだ。人間の思考はもともと「世界」というような抽象でなくて目の前にある事態に対処するように発達したからで、純粋な思考の力なんてたかが知れていてすぐに限界につきあたる。人間の思考力を推し進めるのは、自分が立ち合っている現実の全体から受け止めた感情の力なのだ。そこに自分が見ていない世界を持ってくるのは、突然の神の視点の導入のような根拠のないもので、それは知識でも知性でもなんでもない、ご都合主義のフィクションでしかない。……

唸った。一文16行の文体といい、核心をすっぱと言い切る姿といい、さらに居住まいを正して読み進むことになった。だが、死の淵に追いつめられた片目のない子猫を引き取り、とことん付き合うことに決めた著者が、生きようとする子猫を見つめる目は素直で、真っ直ぐで、余分なものは何もなかった。『だが』という接続詞は間違っている。読点をつなげて16行もの一文を書き、逡巡することなく信じることを言いのける著者であるからこそ、余分なく子猫の生きる様を綴ることができるのだろう。再び長文になるが引用する。

……世界にあるものを「善悪」という尺度で計ることは「人間的」な発想だという考え方があって、軽々しく何でも「善悪」で分けてしまうことは相当うさん臭くて、この世界にあるものやこの世界で起きることを、「世界」の側を主体に置くかぎり簡単にいいとも悪いともうれしいとも苦しいとも言えないと思うけれど、そうではなくて、「生命」を主体に置いて考えるなら計ることは可能で、「生命」にとっては「生きる」ことはそのまま「歓び」であり「善」なのだ。

著者の世界感と生命感が重なった一文である。

私は、いつの頃からか、とんと頭を使わなくなった。暇さえあれば、いやなくとも、あれこれエンドレスに考えあぐねていた20代が嘘のようだ。頭を使わなくなった分、幸せになった。目の前のこと一つ一つを精一杯やっていくことの積み重ねが生きることだとしたら、生きることは歓びだと実感できる。歓びは、余分をそぎ落として生まれるのかもしれない。



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