『だいすきだった』と過去形になっているタイトルから、ねこのバーニーが死んでしまったお話しだと容易に想像できる。
ぼくの だいすきな ねこの バーニー
きんようびに しんじゃった。
ストーリーはこの一文で始まる。
バーニーがどんなにすてきな猫だったか、どんなに楽しい出来事があったか、どんなに深く関わり合っていたか、どんなに愛していたか……たくさんのエピソードが「ぼく」によって語られるのだろう、と思って読み進めると、これが違う。
本書は、命の最期、『死』をどう捉えるかに、正面から向き合ったものなのだ。
私自身、この数年だけでも8匹の猫と今生の別れをした。
その中で、私なりの死生観が自ずと出来上ってきたのだが、もしかしたら、その死生観の裏側には、自分を慰めるためのまやかしが隠れているのではないか……「ぼく」の父親が「ぼく」に語る言葉を目にして、私は少々気恥ずかしくなった。
来世、天国を否定も肯定もせず、事実をきちんと伝えることは、子供にとって一見残酷なように思えるが、子供への慈しみと死んだ者への尊敬をもって語られれば、子供は正しく、前向きに受け取り、別れの傷を自力で癒すことができるのだと知った。
文中の絵は、ペン画のようなモノクロで描かれており、それが夢見心地や美化をシャットアウトして、現実を直視させる後押しをしているように感じられる。
「ぼく」は、両親の深い愛情に包まれて、現実を正しく受け止め、消化し、一回りも二回りも強く、逞しく、大きくなっていくことだろう。
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